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08 小6女子、東京で迷子になる。

 二日目。
 俺にとっては、初めてのレッスンらしいレッスン。
 
 
 その1、ボイストレーニング。
 
「じゃぁ、まずピアノの音に合わせて声を出してみて。……違う、もっとお腹に力を入れて」
 
 一見、やさしそうな女の先生だけど、レッスンが始まると鬼に変わった。
 
「そうじゃないのよ。腹よ、腹」
「……腹?」
「そう。へそに力を入れるように」
「……へそ?」
「あぁ、もう!! これを腹筋で押し返すようなつもりで!!」
 
 言い終える前に、俺の腹をげんこつで思いきり押しつぶした。
 
「ぐはっ……!! ちょっ……、先生、苦し……っ」
「ちょっとこのコ、腹筋どこかに忘れてきたんじゃないの?」
 
 
 
 
 
 その2、ダンスレッスン。
 
「おい、中川、これ以上身体が曲がんねーんだけど」
「樋口くん、柔軟体操すらできないの? 仕方ないな、高橋、樋口くんの腕引っ張って。ボクが背中押すから」
「お、ワリーな。……って、痛ぇって!! た、高橋!! 腕っ……腕抜けるっ!! ……背骨折れるって、中川ぁぁぁ!!」
 
 
 
 
 その3、演技指導。
 
「『……コーヒーにする、それとも紅茶、……砂糖とミルクはどうする』」
「樋口くん、それ、お経?」
 
 
 
 
 
 その4――――――。
 
 
「……………………無理」
 
 俺は、二日目のスケジュールを終えて部屋に戻ると、畳んで部屋の隅に置いてある布団に倒れこんだ。
 
「おまえら、3年近くも、毎日こんなことしてきたのか?」
「そうだね、ほぼ毎日。でも、もっとのんびりペースでやってたけどね。多分、デビューが近いからスタッフもみんな焦ってるんだよ」
「俺が、あまりにも出来ねーからか?」
「いや……そういうわけじゃなくて、毎回そうなんだ。新しいグループの立ち上げのときは、出来の良し悪しに関係なく、みんな気持ちが焦っちゃうの」
 
 中川は笑って言った。
 
「でも、大丈夫だよ。ほら、昨日の取材でさ、みんな『昔から仲が良いみたいですね』って言ってたでしょ?
そういう空気感の方が、大事なんだ」
「空気感?」
「そう。そういうのって、誰でも出せるってわけじゃないからね。樋口くんなら、ボクら二人の中に放り込んでも上手くやっていけるって、判断したんじゃない? 希さんも」
「あんな短時間でか? ほんの数分話しただけで、『ついてこい』って言ってたぞ?」
「あの人は、人の性格とか、持ってるものを見抜く力に長けてるよね。もはや、『超能力』って言っていいんじゃないかってくらい。なぁ、高橋?」
 
 シャワーを浴び終えて出てきた高橋は、身体を拭きながら、
 
「ん? なんの話?」
「希さんだよ。あの人、超能力みたいなの、持ってるでしょう?」
「超能力?」
 
 中川の言葉にきょとんとした高橋は、やがて自分の右手を見つめて、
 
「……うん、超能力かどうかわからんけど、普通やないね」
 
 
 
 
 
 
 そんなこんなで、一週間が過ぎた。
 
「今日で、一週間だね。少しは身体、動くようになった?」
 
 ダンスレッスン(を始める前の柔軟体操)をしているときに、中川が俺に声をかけた。
 
「おお、ほらみろ。手が床につくようになったぞ」
 
 俺は開脚して身体を前に倒し、手を前に伸ばして床に触れる。
 
「…………うん、進歩したね」
「おい、なんでそんな棒読みなんだよ」
「そういえば、一週間ってことは、高橋の両親もそろそろ旅行から帰ってくるころなんじゃないの?」
 
 俺と同じく、開脚して身体を前に倒していた高橋(胸まで床にべったりついてやがる)は、身体を起こした。
 
「うん……昼過ぎに電話したら、家に戻っとった。すぐに奈々子を迎えに来るって」
「そっかぁ。奈々子ちゃん、帰っちゃうのかぁ。妹がいなくなると、おまえも寂しいな、高橋?」
「…………別に」
 
 と、そのとき。
 
 ――――バンッッ!! と、突然、派手にドアが開いた。
 
「高橋! 高橋は、いる!?」
 
 血相を変えて飛び込んできたのは、希だった。
 
「希さん……どうかしたんすか?」
「キミの妹が、いなくなった。ちょっと目を離したすきに……。事務所の中、あちこち探したケド、見つからないんだ。……ゴメン」
 
 高橋の顔は、一瞬にして青ざめた。
 パニくって言葉が出なくなっちまったようだから、俺が代わりに希に聞いた。
 
「いなくなったって……どのくらい前だ?」
「15分前には、あの部屋にいた。ボク、スタッフに呼ばれて少し離れたんだ」
「便所とかじゃねーのか? こっち来て体調崩しちまったのかもしれねーし」
「トイレなら女性スタッフに言って探してもらった。事務所内の全てのトイレを確認してもらったケド、いないんだ」
「……じゃぁ、外に出たのか?」
 
 俺の言葉に、高橋はドアに向かって駆け出そうとした。
 
「ちょっと待って。ボクが行くよ!」
 
 高橋の腕を掴んで止めたのは、中川だった。
 
「高橋だって、まだこの辺りに詳しくないでしょう? 二人も迷子になられたんじゃ、それこそ大変だ。奈々子ちゃん、いまお金いくらくらい持ってるの?」
「……多分、千円も持ってへんと……」
「じゃぁ、そう遠くへは行けないはずだ。……大丈夫。みんなはもう一度、事務所の中を探して」
 
 そう言うと、中川は俺の耳元で、
 
「もし、30分経っても戻らなかったら、念のため警察呼んで」
 
 と小声で言って、ドアの方へ走っていった。
 
 
「……………………っ」
「希? 大丈夫か? 顔色悪ぃぞ?」
 
 気づくと、希が胸を押さえて苦しそうにしている。
 
「希さん、走ったんやろ? ほんと、妹が迷惑かけて……すんません」
「いや……ボクは全然、大丈夫。……ちょっと久しぶりに走ったから、疲れただけだよ。……それより、もう一度事務所の中を……」
「ええよ。僕が探すから、希さんはもう休んでて……」
 
 
 
 
 
 ――――20分後。
 中川が、奈々子ちゃんを連れて戻ってきた。
 
 二人の手は、しっかりと繋がれている。
 
「すぐそこのコンビニの前で、突っ立ってた。シャープの芯が無くなったから、買いに行ったんだって。で、どっちから来たのか分からなくなったって」
 
 中川は、握っている奈々子ちゃんの手を高橋の前に突き出そうとした。
 でも、奈々子ちゃんはその手を握ったまま引っ込めてしまい、中川から離れようとしない。
 
 ……そりゃ、そうだ。
 高橋は、無表情で二人を睨みつけていて、『怖い』を通り越して、『恐ろしい』。
 
「奈々子、大丈夫だよ。高橋ね、ものすごく心配してたんだ。奈々子のこと、すごく大事なんだよ。高橋も、あんまり怒らないであげてよ。奈々子ね、高橋と離れて大阪に帰るのが寂しいんだよ。ね、奈々子?」
 
 中川の問いかけに、奈々子ちゃんはうつむいたままだ。
 その様子を見つめていた高橋は、やがて深くため息をついて言った。
 
「……別に、怒ってへんよ。奈々子、もうすぐ父さんたち来るから。来たら、ちゃんと大阪帰れ、な」
 
 
 
 
 
 
 その日の夕方、大阪から迎えにきた高橋の両親と共に、奈々子ちゃんは帰っていった。
 
「なぁんだかんだ、いろいろあったけど、やっぱりいなくなるとちょっと寂しいな、高橋?」
「……別に」
 
 さわやかな笑顔で聞く中川に、高橋は無愛想に答えた。
 
「奈々子さぁ、ほんとにおまえのこと好きなんだな。コンビニの前で見つけたとき、泣いてたんだよ、『帰りたくないんやもんっ』って。かぁぁぁわいい妹がいて、いいよなぁ」
 
 中川の言葉に、高橋は眉間にしわを寄せた。
 ……なんか、すげー怖ぇんだけど。
 
 中川は頭の後で手を組んで、
 
「奈々子は将来、絶っっ対、いいお嫁さんになるよ。洗濯も、お米の研ぎ方もちゃんとマスターして、炊飯器まで使えるようになったじゃん。やれば、ちゃんとできるよ。あぁ、あと3日あれば、味噌汁の作り方くらい伝授できたのになぁ」
 
 ……っつーか、さっきから気になってんだけど。
 なんで、中川は『奈々子』って呼び捨てしてるんだ?
 今日の昼までは、確か『奈々子ちゃん』って呼んでたはず……。
 ツッコミたいけど、ヘタに高橋の方を刺激するようなことになっても……。
 
「……盟くん」
「うん?」
「……なんで、さっきから『奈々子』って呼び捨てしてんの?」
「…………え?」
 
 俺がツッコむ前に、高橋が聞いた(気づいてやがったか……)。
 
「え? えっ? ……そんな風に呼んでた?」
 
 俺と高橋はうなずく。
 ……って、気づいてなかったのか自分で。
 
「べっ……別に、深い意味はないんだっ。だって、ほら、おまえの妹ってことは、ボクにとっても妹みたいなもんだろ? ボク、一人っ子だから、あんな妹いたらいいなぁー、なんて」
 
 中川の言葉に、高橋は怪訝そうに眉をよせて、
 
「……妹?」
「そう、妹。それ以上の感情なんて、ないよ。だから、別にいいだろ? 呼び捨てにするくらい」
 
 高橋に至近距離(互いの鼻の間隔、10センチくらいか?)で睨みつけられて、中川は必死に弁解した。
 ……っつーか、高校生が小学生のガキに恋愛感情なんか持つかよ?
 
「妹……ね」
 
 高橋は、ゆっくりと中川から離れると、意味ありげに言って、笑った。
 その、なんとも言えない複雑な表情。
 
 ……ほんと、どういう感情なのか、さっぱりわかんねー。
 
 
 
 

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