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15 今まで通りの関係。

 
 小一時間ほどすると、奈々子はしゃべり疲れたのか、黙ってボクの肩に頭をのっけて、そしてすぅっと眠ってしまった。
 
 ここは地下だし、空調も効いてるし、寒くはないけど……ほら、女の子って、冬場でもコートの下は結構薄着だったりするじゃん。
 
 奈々子も、もう11月の終わりだっていうのに、この部屋に入るときに脱いだジャケットの下は半袖で、しかも……胸元が結構開いてる。
 
 この狭い密室で、こんな服で、男と二人っきりだっていうのに……こんなぴったりくっついて眠ってしまうなんて、無防備すぎるだろ。
 
 ……そうだ。
 ボクだって、一応『男』だぞ? 高橋と違って、ボクは本当の『兄』じゃないんだぞ?
 
 さっき塞がれた唇。絡められた舌。
 おまえだって、もう『コドモ』じゃないんだろ?
 
「……おまえは、分かってんのかよ……」
 
 自分の発した声が掠れているのに気づいた。
 ダメだ……。ボクはもう、こいつのこと『妹』として見られない。
 
 ボクは、ボクの肩にもたれかかっている奈々子の顔を覗き込むように、自分の顔を近づけた。
 あと数センチ……。あと数センチで、唇が触れてしまう。
 
 ……それで、いいのか?
 それが、『オレ』の望んでいることか?
 
 このまま突き進んだとして……こいつはその後も、『オレ』に笑顔を見せてくれるのか?
 
 ……あり得ないだろ。
 好きでもない『男』に襲われて喜ぶ『女』だっているわけないってのに、『兄』に襲われて喜ぶ『妹』なんて、どこにいるってんだよ。
 
 そうだ。
 この無邪気な寝顔は、『オレ』のこと『兄』としてしか見てないって証拠じゃないか。
 
『オレ』がホントにほしいのは……こいつの『カラダ』じゃなくて、『笑顔』だろ?
 
 ボクが奈々子のことを『妹』として見られなくなったって、奈々子にとってボクは『兄』なんだ。
 
 奈々子は、ボクを決して裏切らない。裏切らないでいてほしい。
 そう思っているのに、『オレ』が裏切ってどうすんだ。
 
 ホント、何バカなこと考えてんだ、『オレ』は。
 
 ボクはゆっくりと顔を奈々子とは逆の方向へ向けて、深くため息をついた。
 
 
 
 
 
 
 
 翌朝、奈々子が目を覚ましたのは8時半ごろだった。
 普段、ボクなんかより仕事が忙しそうだから、きっとほとんど寝てないんだろう。
 
 ボクは……当然眠れなかった。どうせ今日は紗弥香も仕事だし、家に帰ったら寝ればいい。
 
「あぁ……どうしよう? せっかくメイク直したのに、寝ちゃったよぉ」
 
 うぅ~んっと伸びをした奈々子は、もう一度メイクを直そうとカバンに手をかけた。
 
「奈々子ぉ……家に帰ってからでいいんじゃないか? いまここで直したって、家に帰ったらどうせ風呂入ったりするだろ? あんまり塗って落として……してると、肌に悪いぞ」
「あ、うん……そっか。そうだねっ。うん、そうするっ」
 
 奈々子は、いつもと変わらない、屈託のない笑顔でうなずいた。
 
 ……まったく、人の気も知らないで。
 でも……ボクは、やっぱりこの笑顔が見ていたいんだ。
 
 手を出してしまわないで、よかった。ホント、取り返しのつかないことをするところだった。
 
「……あのさぁ、奈々子」
「ん? なに?」
「ボクは……奈々子のこと……好きだよ。そうやって、笑ってる奈々子が好きなんだ。だから……もう、昨日みたいに、泣くなよ?」
 
 なんか、何言ってるんだろ……ボク。
 だけど、これが今の正直な気持ちだと思う。
 
 別に、どうこうしようなんて、思ってない。
 奈々子の笑顔を見ていられるなら、『兄妹』でいいじゃないか。
 
 そう、いまの関係のままで……。
 
 しばらくボクの顔を見つめていた奈々子は、ニコッと笑って、力強く答えた。
 
「うんっ。あたしも、盟にぃのこと、好きだよっ。だから、泣かないっ」
 
 
 
 
 
 
 店の前で奈々子と別れて、別々の階段から地下を出た。
 奈々子の方は、店の人にお願いしてタクシーを手配してもらった。
 
 ボクは、歩いて駅まで向かって、電車で……動き始めた商店街を通り抜け、途中コンビニに寄って、帰宅。
 
 コンビニのレジ袋をソファの前に置かれているリビングテーブルの上に無造作に置いて、ボクはソファに身を投げ出した。
 
 
『あたしも、盟にぃのこと、好きだよっ』
 
 やっぱり、あれは……どう考えても『兄』に向けられた言葉だよな。
『諒クンのことが、好きだよっ』って言ってるのと、まったく同じだろ。
 きっと、ボクの言葉も、奈々子にとっては高橋から言われたのと同じにしか聞こえないんだろう。
 
 ……それで、いいじゃないか。
 いままで通り、『兄』と『妹』だ。何も変わらない。
 
 なのに、いまボクの目の前に置かれているレジ袋の中にある、この雑誌はいったい何だ?
 
 いや、雑誌の素性は分かってる。さっきコンビニで買ったんだよ。
 この肉まんと一緒に。
 
 ボクが疑問に思ってるのは、なんでこの雑誌の表紙を飾ってるのが、奈々子なんだ? ってことだよ。
 
 ……いやいや、ちょっとずれてる。
 
 奈々子がこの手の雑誌(女性向けファッション誌)の表紙を飾るのは、珍しいことじゃない……っていうか、むしろ当然で自然なことだ。
 
 だから、なんでボクは、奈々子が表紙を飾ってるこの雑誌を買っちゃったのか? ってことだ。
 相方のSHIOちゃんと一緒じゃなくて、ピン(だから芸人かって)で、しかも8ページもの特集が組まれてる。
 
 ……なんだかんだで、見ちゃってるよ、雑誌。
 いろんな表情の奈々子が載ってるけど……やっぱり、この笑顔のが一番かわいいなぁ…………。
 
「……あれ、盟。おかえりっ」
「えっ? うわっ! さ、紗弥香!?」
 
 ふいに、ベランダの窓が開いて、仕事に行ってるはずの紗弥香が顔を覗かせた。
 
「なっ……え? もう9時過ぎてるぞ? 仕事はっ!?」
「うん、実は昨日、課長にお願いして、お休みもらっちゃったっ。その分、昨日は残業してきたの。それで、ほら、会社からだと、わたしの家よりこっちのが近いから……」
「えっ……何時に来たの?」
「……夜11時過ぎかな?」
 
 紗弥香は洗濯かごを抱えて部屋に入った(あ、洗濯物干してくれてたのか……)。
 
「盟は、朝まで仕事だったんでしょう? いつも、お疲れ様ですっ」
「えぇ? あ、あぁ、うん。そう……仕事。実は、全然寝てないんだ」
 
『他の女と会ってました』なんて、言えねぇぇ……。
 
「……あ、それ、『en-en』じゃない? 盟がこんな雑誌買うなんて、珍しいね」
 
 紗弥香は、ボクが持ってた雑誌をひょいっと手に取った。
 
「え? そ、そうかな……」
「うん。盟って、『週刊少年なんとか』みたいなマンガしか買ってこないと思ってた。……あ、これ、Andanteのなーこだ」
「ア、アアアアAndanteのななな、なーこ、ししし知ってるんだ?」
 
 おいおい、あからさまに挙動不審だろっ、『オレ』!
 
「……いまどき、Andanteを知らない人の方が珍しいでしょ? 盟は、会ったことあるの?」
「ええぇ? だ、誰に?」
「だから、このコ」
 
 と、紗弥香は雑誌の表紙に載っている奈々子を指差した。
 
「あ……し、仕事では、アレかな。歌番組で一緒になるくらいで……。あの、でも、この間の水谷さんのパーティーの二次会のときに会って、少しだけ話したよ。少し……だけ」
 
 ウソ……は、言ってないよな?
 
「ふぅん……そうなんだ」
 
 紗弥香は、気に留める様子もなく、雑誌をぱらぱらとめくった。
 
「……あ、この雑誌、高橋くんが連載してるの、知ってる?」
「え? た、高橋が?」
「うん。……あ、あった。これ」
 
 と、紗弥香が開いて差し出したページをボクは覗き込んだ。
 ホントだ。一ページの半分のスペースに、高橋の写真となにやら文章が書かれている。
 
 ……うわっ。ボク、いままで最も重要なことを忘れてた。
 何って……高橋だよ、高橋っ。高橋の存在を忘れてたっ!!
 
 奈々子は、ボクの『妹』がどうとかって以前に、間違いなく、まぎれもなく、この『高橋諒』の妹なんだ。
 そうだ。『だから』、奈々子にだけは、手を出しちゃいけないし、惚れちゃいけないんだ。
 
 あぁ……なんか、急に現実に引き戻された気分。
 
「……盟? 顔色悪いよ、大丈夫?」
 
 紗弥香は、高橋の写真を見つめていたボクの顔を覗き込むようにして言った。
 
「ん……大丈夫。ちょっと……疲れただけ」
「そう? あ、お風呂はいる?」
「いや……いまはいいよ。とにかく……眠い」
「そっか。じゃ、着替え出すね」
 
 そう言って紗弥香はクローゼットの扉を開けた。
 
「紗弥香……ごめんな?」
「……ん? 何が?」
「その……せっかく頑張って残業して、休みにしてもらったんだろ? なのに……なんか、ボクのせいで出かけられなくて」
「んーん、仕事で疲れてるんでしょ? わたしは、勝手にお休みもらっただけだし」
 
 うっ……。なんか、刺さるなぁ……。
 
 
 

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