07 酔った勢いでヤッちゃったワケだ。

「目、開けていいよ」

 何も知らされずに、指定された場所に座らされていた奈々子は、オレの合図でゆっくりと目を開けた。

「うわぁ……すっごぉいっ!」

 照明を落とした部屋のあちこちに置かれた小さなグラスの中で、小さな灯りが静かに揺れる。
 24個のキャンドルに照らされた奈々子は、驚いて言葉を失ってしまったみたいだ。

「で、これが25個目」

 奈々子の隣に座ったオレは、手にしていたマッチを擦って、目の前のテーブルの中央に置いた最後のキャンドルに火をつけた。

「25個?」
「そう。なんでだか分かる?」
「もしかして、…………あたしの誕生日?」
「正解。25歳の誕生日、おめでとう」
「えっ……マジでっ? ホントにっ? 盟にぃ、あたしの誕生日、知ってたのっ?」
「当然だろ?」

 この間、高橋から偶然聞いたんだ……ってことは、秘密。

「びっくりした?」
「うん。……あたし、誕生日をこんなステキにお祝いしてもらったの、初めて」
「……えっ、ちょっ……おい、泣くなよっ」
「だって、……うれしいんだもん」

 頬に流れる涙を服の袖口で拭おうとした奈々子を慌てて制して、ティッシュを渡してやった。

「あたし、一生忘れない。……ううん、死んでも忘れないっ」

 感激する奈々子の顔を見つめてたら、どうしようもなく愛しくて。
 今すぐにでも抱き寄せて、キスしたかった……んだけど。
 もし、キスしようと顔を近づけたときに、奈々子が拒否ってオレを突き飛ばしたりでもして、火のついたキャンドルを倒して火事……とかなったら最悪だ。
 焦るとロクなことがないからな……ホントに。

 奈々子を連れてくる前に準備していた料理を皿に盛り付けて、テーブルに並べていく。
 今日はオレも仕事があったから、大半はデパ地下で買ってきた惣菜だけど、スープだけは自分で作ったよ。温かい方がおいしいからね。

 食器棚の奥からグラスを二つ取り出して、オレは奈々子に聞いた。

「何が飲みたい? 缶チューハイならいくつかあるけど……あ、やっぱ、オレンジジュースがいいか?」
「あーっ、盟にぃってば、また、そーやってあたしのことコドモ扱いするっ」
「そうじゃなくてさ……」

 おまえ、アルコールは飲めないんだろ? と、聞こうと思ったんだ。
 いわゆる『酒の席』で奈々子と一緒になったことが、今までに二回。
 一度目は、水谷さんっていう共通の知り合いの結婚式の二次会。
 二度目は、高橋と道坂さんの……これも、結婚式の二次会。
 オレが見ていた限りでは、その二回とも、奈々子が口にしていた飲み物はいつもアイスティーだった。
 だからオレは、『奈々子は酒が飲めないもんだ』と……思っていたんだけど。

「そうだっ。あのね、今日は雑誌の撮影だったんだけど、誕生日のお祝いにって、コレもらったの」

 そう言って、大きな紙袋から奈々子が取り出したのは、赤ワインのボトル……3本。

「こっちは雑誌の出版社の人がプレゼントしてくれたんだよ。で、こっちが汐音からで、これは事務所の飯森いいもり社長から」

 奈々子が最後に指したワインが一番最高級なオーラを放ってるってことは、ワインには全然詳しくないオレでもはっきり分かった。

「最初はね、荷物になっちゃうからマネージャーに預かってもらおうかなって思ったんだけど、盟にぃがワイン嫌いじゃなかったら、一緒に飲みたいなって思って」
「あぁ、あんまり飲んだことはないけど……嫌いじゃないよ」
「ホント? よかったぁ」

 奈々子はヘニャッと顔を崩して笑った。
 思わずオレもつられて、笑ってしまう。

「おっし……じゃぁ、どのワインにする?」
「全部」
「……はぁっ? ぜ、全部?」
「うん。みんながね、『せっかくだから、飲み比べてみたら?』って」
「そうは言っても、二人じゃ3本も飲みきれないだろ。ワインって、開けちゃったら劣化が早いんだよ。もったいないよ」
「…………でも、飲みたいし」

 奈々子は唇を少しとがらせて拗ねてみせる。

 ……大丈夫。今のところ、だいたい計画通りだ。
 アルコールの飲めない奈々子には、缶チューハイ数本もあれば十分だと思ってたけど、ワインがしかもボトル3本だなんて、心強いじゃないか。

 飲み食いしながら話していれば、時間なんてあっという間に過ぎる。
 終電もなくなる。
 酒が入っていれば、車で送っていってやることもできないし。
 かといって、『電車で三駅』は歩くには少々距離がある。

 奈々子が、『タクシーを呼んででも絶対に帰る』なんて言い出さない限り、こいつは朝までこの部屋にいるってことになるわけだ。

 時間はたっぷりある。
 今夜こそ、絶対に奈々子をオレのモノにしてみせるっ!

「分かった。全部開けて、飲み比べしよう。飲みきれなかったら……そんときはまた、考えればいいよな」

 オレは、奈々子がSHIOちゃんからもらったというコルクスクリューを使って、全てのボトルの栓を抜いてやった。

 ……うん。ここまでは、はっきり覚えてるんだ。
 デパ地下で買った惣菜をつまみながら、二人で3本のワインを飲み比べた。

 奈々子は、「ぶとうジュースみたいで、おいしいねっ」と言いながら、かなりのペースで飲み進めた。

「あんまり飲みすぎると、後で一気に酔いがくるぞ」と言いつつ……オレも、普段じゃ考えられないくらいの量のワインを飲んだ気がする。

 ぼんやりと思い出せること……といえば。
 奈々子の、今までに見たこともないくらい最高にうれしそうな笑顔と。
 その後、両腕で奈々子をしっかりと抱きしめてやったこと。

 だけど、その前後に何があったのか……まったく記憶に残ってない。

「…………と、いうわけなんだけど」

 オレが事情を説明し終えると、それまで黙って聞いていた希さんは、深いため息をついた。

 奈々子と共にベッドで朝を迎えてしまった、その日の午後。
 オレは、いくつかの打ち合わせをするために、事務所にいた。
 とはいっても、ワインの飲み過ぎによる猛烈な二日酔いのせいで、打ち合わせがなかなかスムーズに進まなくて。
 見かねた希さんが、少し休憩させると人払いさせたもんだから、オレは彼に、昨晩のことについて白状せざるを得なくなったんだ。

 どのみち、奈々子とのことを相談できる相手なんて、この希さんしかいないんだけどさ……意外なことに。

「なるほどね。ナナの誕生日を祝うために自分の部屋に呼びこんだはいいケド、ワインを飲み過ぎて、気付いたら二人はベッドの上……と」
「ん……まぁ、そんなとこ」
「よーするに、酔った勢いでヤッちゃったワケだ」
「いや、それはない。……と思う」

 断言する、とまでは言えないけど、おそらくオレと奈々子は、その……最後の一線を越えてはいない。
 なんでそんなことが言えるのか、というと、答えは単純で、目が覚めたとき、二人ともきちんと服を着たままだったからだ。

 奈々子の方はどうか分かんないけど、少なくともオレは泥酔状態にあったわけで。
 そんな状況下で仮に……ヤッてしまったんだとしたら、その後わざわざ服を着直すなんてことをするハズがないってことは、今までの経験上、自分でよく分かってる。

「ボク、さすがに今回ばかりはあのコに同情するよ」

 と、希さんは言った。

「いくらなんでも、キミのしたコトはひどすぎる」
「いや、でも、別に、手を出したってわけじゃないんだし……」
「ヤッたかヤッてないかは、問題じゃナイんだよ」
「じゃぁ、何が問題なんだよ?」

 オレが聞くと、希さんはオレの目を見てじっと何かを考え込んだ後。
 軽くため息をついて、仕方なさそうに口を開いた。

「今朝、ナナから電話があったんだ」
「奈々子から?」
「そー。たぶん、キミんトコを出た後だと思うケド。キミに誕生日を祝ってもらったんだって、よろこんでたよ」
「よろこんでたなら、何も問題ないじゃん」
「キミは重要なコトを忘れてる」
「重要なこと? ……って、何?」
「教えナイ」
「なんで?」
「ムカツクから」
「……意味分かんない。なんで希さんがムカツクんだよ?」
「だいたい、あのコを相手に酒で酔わせてどーこーしようナンて企むコト自体、間違ってるよ」
「え、なんで? ……あ、いやいや、別に、どうこうしようなんて企んでないけどさ。あいつ、アルコールは飲めない……でしょ?」
「知らナイの? あのコ、酒にはかなり強いんだよ」
「えぇっ? そうなの? ……っていうか、なんで希さんがそんなこと知ってんの?」
「高橋の結婚式の二次会で飲んでるトコ、見たから」

 希さんの説明によると。
 高橋の結婚式の二次会で、奈々子がハイペースで酒を飲んでるのを見たんだそうだ。
 さすがに心配になって(『部下の家族』に何かあったら自分にも責任があるから、って妙に強調してたけど)、その時には既に会場を後にしていた高橋に、連絡してみたそうなんだけど。
 そうしたら、高橋からは『奈々子は僕より酒には強いから、心配いらない』という答えが返ってきたらしい。

「嘘でしょ? 高橋だって、酒には相当強いじゃん。っていうか、ザルでしょ、あいつは」
「高橋がザルなら、ナナは底ナシのバケツってトコでしょ」
「……マジで? いや、だって、二次会んときだって、奈々子が飲んでたのってアイスティーじゃん。アルコールは入ってないでしょ」
「あれ、『ロングアイランド・アイスティー』ってお酒だよ。ウォッカベースでアルコール度数はかなり高いんだって」

 ……知らなかった。
 奈々子が、そんなに酒に強いヤツだったなんて。

 今朝起きたとき、3本のワインボトルが全部空っぽになってたのを不思議に思ってたんだけど……そういうことなら納得がいく。

 奈々子を酔わせて良からぬことをしてやろうだなんて、思ってなかったけど(……うん、まぁ、ほんのちょこっとだけしか)。
 酒で高橋に勝ったことがないオレには、所詮、無理な話だったってことか……。

「あーあ、昨日の晩のコト、中川が酔ってて記憶にないナンて、ナナが知ったらそーとーショックだろうなー」

 と、希さん。

 ……オレ、いったい何をしたんだ?
 どうやら、『記憶がない』ことが悪いことなんであって。
 奈々子に対してしたこと自体は、悪いことではなさそうだけど。

 あぁっ、誰か……誰か、オレに真相を教えてくれっ!!

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