「まずはぁ、ボウルにひき肉を入れまぁす。次は、たまご。……パン粉が大さじ2杯。ね、直にぃ、大さじってどれ?」
「これじゃね?」
「わ、ありがとー。じゃ、これで2杯……っと」
……不安だ。非常に不安だ。
スタジオに設置されたキッチンで、奈々子がフリフリのメイド服を着て料理を作っている。
今回の企画(オレの誕生日祝いってことね)の進行役、直くんがギャルソン風の衣装で奈々子をサポート。
その光景を、オレと高橋は別室で、モニターを通して見ている訳なんだけど。
さっき、直くんが「これじゃね?」と奈々子に手渡した大さじは、実は大さじなんかじゃない。
おたまだ。
番組を盛り上げるための、直くんのジョークだと思うよ。思うけど。
料理のできない直くんがサポート役って、どう考えてもおかしいだろ。
「次はぁ、玉ねぎのみじん切り、いっきまーす」
ざくっ……ざくっ……ざくっ……って、それはみじん切りじゃなくて角切りだろっ!
「あぁ……恐ろしくて見てらんない」
オレは思わずモニターから視線をそらして頭を抱えた。
「そもそも、奈々子はなんでメイド服なんか着てるんだ? 料理作るっていうなら、メイドじゃなくてシェフだろ?」
「あの格好の方が、盟くんがきっと喜ぶからって、自分から提案したんだって。収録が始まる直前に言ってたよ」
と、高橋。
なるほどね。
メイド服姿の奈々子が、この誕生日企画のサプライズ。
だから、さっきテレビ局内のカフェで遭遇したとき、あんなに慌ててたんだ。
「ったく……こんなコスプレでオレが喜ぶなんて、オレが変態みたいじゃん」
「違うの?」
「違うだろ。だいたい、そういうのは自分の男に対してだけやってろっての」
オレが言うと、高橋は、オレの言葉が意外だったような表情を見せた。
「……希さんの言ってた通りだ」
「は? なんでいきなり希さんが出てくるんだよ」
「いやいや、別に何でもないけど」
絶対に何かあるだろっ。
……と思ったけど、ここでしつこく問い詰めるのはやめておいた。
このモニタールームも、カメラが回ってんだよね、一応。
自分たちの番組だし、編集でどうにでもしてもらえるからって、ついギリギリ(たいていアウト)の話をしちゃうってこともあるんだけど。
カメラの回ってるところで希さんの話をするっていうのは、なんとなく抵抗があるんだよな。
なんだかんだで、何かとワケありの人だからさ、希さんって。
角切りにされた玉ねぎが、フライパンにたっぷり注がれた油の中で泳いでいる。
「ところでさぁ、高橋。おまえは、いままでに奈々子にカレシを紹介されたことってある?」
「んー……紹介されたことはないけど、今の彼氏に会ったことはあるよ」
「え、そうなの? あいつ、おまえにはまだ言ってないって……」
「そんなこと言ってた? 奈々子が?」
「うん。柿元さんが、根ほり葉ほり聞こうとするからさ」
高橋はうなずいて、
「それは、柿元さんの前だからでしょ。いくら奈々子が正真正銘のバカだからって、芸能リポーター相手に本当のことを全部話したりしないよ」
……だとしたら、どこまでがホントで、どこからがウソなんだ?
「気になる? 奈々子の彼氏がどんな人か」
高橋は腕組みしながらオレに聞いた。
「い、いや、オレは別に……」
「気になるよね。だって、僕の妹は、盟くんにとっても妹みたいなものだし」
「うっ……そ、そうだな。妹……だよな」
炒めた(揚げた?)角切り玉ねぎが、熱々の油とともにひき肉の入ったボウルに投入されていく。
モニター越しの大惨事に苦笑いしつつ、高橋は呟いた。
「相手は良い人だと思うよ。基本的には、ね」
「基本的に? ……ってことは、どこか難ありってことか?」
「ん……というか、まず、挨拶に来ない」
「挨拶?」
「うん。『妹さんと付き合うことになりました』って一言くらい、あってもいいと思うんだけど」
「じゃぁ、高橋とはそれなりに親しい人間だよな」
「親しい……うん、まぁ、交流はある」
「このギョーカイの人間」
「そういうことになるね」
「オレも知ってる人?」
「……どうかな? かなり有名ではあるけど」
「誰なんだ? 教えろよ」
「直接、奈々子に聞いてみれば? 『おまえの彼氏は誰なんだ?』って。盟くん、相手の名前聞いたらびっくりすると思うよ」
びっくりする? ……誰だ?
まさか、希さん!? ……なワケ、ないか。
野球のボールくらいの大きさと形に(かろうじて)整えられたひき肉を、奈々子は大事そうにフライパンの中へひとつ、ふたつと置いていく。
「……じゃあさ、その、相手の男が、高橋んとこに挨拶に来たとするじゃん」
「うん」
「そしたら、おまえはどうすんの? 何を言うとか決めてんの?」
「んー……そうだな。まずは、土下座でもしてもらって」
「ど、土下座?」
「で、床に突っ伏したその頭を踏んづけてやりたいね。『来るのが遅いっ!』とか言って」
高橋は腕組みして椅子に座ったまま、だんっ! と思いっきり床を踏んづけた。
もしも、そこに人の頭があったら……いや、考えるのはよそう。
オレが奈々子の彼氏じゃなくてよかった。
モニタールームから場所を移して、オレと高橋は再び、キッチンのあるスタジオへ。
そこにセッティングされたテーブルには、既に『例のモノ』が運ばれていた。
「完成っ! 盟にぃのために、がんばって作りました。奈々子特製スペシャルハンバーグでぇーっす!」
……いや、ちょっと待て。
今、奈々子は『スペシャルハンバーグ』って言ったけど。
「……これは、どう見ても爆弾だろ」
「盟にぃ、ひっどぉーい! ハンバーグ以外、あり得ないっしょ!」
「『コゲてる』を通り越して、もう、炭だろ。真っ黒じゃん」
「まぁまぁ、落ち着け、中川。とにかく座れ」
直くんに促されて、用意されてる席へしぶしぶ座る。
仕方ない。これも仕事だ。……一応。
ナイフとフォークを手に取って、おそるおそる爆弾を解体……じゃなかった。ハンバーグを半分に切り分けてみると。
赤。
何がって、切ったハンバーグの断面が。
「……おい、外側は炭化するほど焼けてんのに、内側は完全に生ってどういうことだよ。どうしたらこんな仕上がりになるんだ?」
「大丈夫だっつーの。俺、ずっと見てたけど、作業工程には何の問題もなかったぞ」
直くんが自信タップリに明言。
だから、料理できない人間が見てても意味ないんだっての。
この番組のスタッフも、いったい何を考えてるんだか……。
怒りというより呆れた気持ちで、テレビカメラの後ろにいるスタッフたちを見回してみる。
と、スタッフの一人が持ってるスケッチブック(いわゆる『カンペ』ってやつ)に書かれた文字が目に入った。
『ちゃぶ台返し』
あぁ、なるほどね。
やっぱり、(最初から分かっていたけど)オレの誕生日を祝う気はさらさらないってわけだ。
ここでオレが、ちゃぶ台返しのごとくハンバーグをひっくり返して、「こんなモノ食えるかっ!」……っていうのが、今回の企画の筋書きらしい。
ふざけんな。
そんなこと、できるわけないだろ。
いまどき、ハンバーグを皿ごとひっくり返したら、「食べ物を粗末にするな」って苦情が殺到……いやいや、オレが言いたいのは、そういうことじゃなくて。
オレは奈々子のことが好きなんだ。
あいつに彼氏がいるって分かっても、その気持ちはすぐには変わらない。
奈々子がオレの為に作ってくれたハンバーグを皿ごとひっくり返すなんて、(苦情がどうこう以前の話で)出来る訳ないんだよ。
オレは覚悟を決めて、手にしていたフォークをハンバーグに突き刺した。
「い……いただきます」
スタジオにいる番組スタッフたちが。
直くんが。
高橋が。
そして、奈々子が。
……要するに、その場にいる全ての人間が、あっけに取られた様子でオレの行動を見つめる中。
オレは生焼けの黒こげハンバーグを、胃の中へ落とし込んだ。
自分でも、バカだなぁって思ったよ。
多忙な日々で弱り切ったカラダに、生肉(と、あえて言わせてもらうよ)だなんて。
しかも、(スタジオにいるから忘れがちだけど)今は梅雨だし。
……まぁ、案の定。
収録の直後、オレは食中毒を起こして、救急車で病院へと搬送されることになったってわけ。