16 他人には言いづらい悩み。

 7月になってしまった。
 来週から始まる夏のライブに向けて、オレたちHinataは事務所の会議室を陣取って最後の調整中だ。

 今回のライブはいつもより規模も小さいし、派手な演出も一切なくて……まぁ、そこらへんの詳しいことは、企画段階から中心になって動いてくれてる高橋がいずれ語ってくれると思うけど、とにかく、ライブ直前だという割には、実はそれほど忙しくはない。

 もちろん、この時期に予定されていた大きな仕事(秋の新番組に向けてあちこち取材に行くはずだったんだ)を一つ降ろされたってのが、スケジュールに余裕が出てしまった最大の要因なんだけど。
 おかげで、奈々子とは週に1、2回くらいのペースで会うことができてる。

 ハッキリ言って、いま、毎日がめちゃくちゃ楽しい。
 先週、二人で焼き肉を食いに行ったんだ。
 そしたら、驚いたことに、あの芸能リポーターの柿元さんが隣の席に座っててさ。
 つき合ってることが世間に知られたらいけない(って、希さんから改めて釘を刺された)から、内心ヒヤヒヤしたんだけど。
 機転を利かせた奈々子が、

「スキンヘッドのカレシの話、盟にぃに聞いてもらってるんですよーっ。だって、諒クンってば道坂サンと結婚してから全然あたしにかまってくんないんだもん」

 ……なんて言ったら、柿元さん、あっさり信じちゃったんだよな。

 昨日は昨日で、オープンカフェの一番目立つ席で、二人でお茶してたら、当然、二人とも芸能人ってことで、それなりに注目を浴びたわけだけど。
 やっぱり、『兄・高橋の代わりに、オレが妹・奈々子の相手をしてやってる』……という構図に見えるらしくて(ヒソヒソ話してんの、聞こえるんだよ)。
 ホントはつき合ってんのにね、なんて、奈々子と目だけで会話して、こうして気持ちが通じてるってことがうれしくて、つい口元がゆるんでしまう。
 好きなカノジョと変装もなしに堂々と飲むアイスミルクティーは、格別に美味い。

 ところで。
 恋がうまくいってると、その他のことまで不思議と良い方向へと進むって話を聞くことがあるけど、あれってどうやらホントらしい。

 オレの場合、最も顕著だったのは、歌だ。
 音域が広くなったし、声量もいくらか増したはず。
 一緒にボイトレを受けてた直くんや高橋が驚いてたから、オレの気のせいなんかじゃないと思う。
 何より、歌うこと自体が楽しくて、単調な発声練習でさえ、「ちょっとごめん、もう一回!」なんて、おかわりを要求しちゃうくらいだ。

 長年、ボイトレでHinataを指導してくれている谷崎さんって人が、感極まってハグしてきたのには、ちょっとばかし面食らってしまったけど、正直、悪い気はしなかった。
 直くんがいま撮影してる映画も、公開されたら観に行こうと思ってる。

 すべてが順調。怖いものなんて、何もない。
 ……と、言い切ってしまいたいところなんだけど。
 ひとつだけ、ちょっと他人には言いづらい悩みが表面化しつつある。

「……で? 悩みってのは、いったい何なワケ?」

 希さんは、ライブに必要な資料に目を向けたまま、面倒臭そうに聞いた。

「えーっと、実は……」
「手短に話してよ。キミ、ときどき無駄に話が長くて分かりにくいから」
「う……じゃあ、単刀直入に言うけど、だから、その…………奈々子を抱けないんだ」
「抱けナイ? セックスできないってコト?」
「…………うん」

 希さんは顔を上げてオレをじっと見つめると、哀れむような表情で笑った。

「キミ、まだ30になったばかりなのにね。かわいそーに」
「違うよっ。そういう意味じゃなくて、……つまり、拒否られてる気がするんだ、奈々子に」

 チャンスは三回あった。
 どちらかの家で、二人でゆっくりと過ごしていれば、自然とそういう流れになっていくじゃん。

 キスはするんだよ。
 そこはむしろ、奈々子の方から積極的にしてくれるわけ。
 ところが、だ。
 オレが『その先』へ進もうという雰囲気を少しでも出そうものなら、

「あ、ケータイ鳴ってるっ」とか。
「クシャミが出ちゃう」とか。

 なんだかんだ理由をつけては、トイレや別の部屋に行ってしまって、その後、なかなか戻ってこない。

 もう一度言うよ。チャンスは三回あったんだ。
 その三回ともがこの調子じゃあ、オレもさすがに考えちゃうじゃん。
 やっぱり、オレと『そういう関係』になるのを、奈々子はためらってんのかな……って。

「考え過ぎでしょ」

 希さんはあんまり興味なさそうに答えた。

「…………え、それで終わり? アドバイスとか、ないの?」
「ナイね。だいたい、ナンでそんな相談をボクにするワケ?」
「いや、だって、他に相談できる人なんていないしさ。オレと希さんの仲じゃん」
「キミとボクの仲? ボクたちの関係って何?」
「えー? 親友でしょ?」
「上司と部下」
「……冷たいなぁ」
「副社長と平社員」

 とことんムカツク男だな、このオレンジ頭。
 確かに、この事務所が普通の会社だったら、オレは紛れもなく『平社員』だけど。
 ……なんて、そんなことはどうだっていいんだよ。

「中川、キミの方がボクより圧倒的に場数は踏んでるハズでしょ。こういうとき、キミは今までどうしてたの?」
「え? それは、その…………場合によっては、多少強引に、とか」
「じゃぁ、今回もそーすれば?」
「奈々子を相手に? そんなことできないよ」
「なんで?」
「だってさ、あいつがオレと先に進むのをためらってんのは、たぶん……オレのことをまだ『兄』みたいな存在として見てる部分があるからだと思うんだ。それなのに、オレが突っ走って強引にだなんて……」

 はぁぁぁ……と、希さんは深くため息をついて、資料が積まれている机に突っ伏してしまった。

「キミたち、バカなんじゃナイの? もう、話につきあってられナイんだケド」
「なんだよ、その言い方。こっちは真剣に悩んでるのに」
「だったら自分であのコに聞きなよ。『おまえはオレのことが本当に好きなのか?』って」
「それができないから、こうして相談してるんじゃん」
「なんでできないの? カンタンなことでしょ」
「……正直、怖いんだよ」

 奈々子のことが好きだと気づいてから半年。
 いろいろあったけど、ようやく奈々子とつき合えるってところまできたんだ。
 ここで奈々子に『やっぱり盟にぃのこと、諒クンの代わりくらいにしか見れないの。ゴメンネっ』なんて言われた日には、オレ、一生立ち直れなくなってしまう。

「アホらしい。勝手に言ってれば?」

 希さんは机の上の資料を集めて、トンッと揃えた。

「そーやって、いつまでもウジウジしてたって、何も変わらナイよ。怖がる必要なんてナイ。先へ進みなよ」
「先へ……?」
「そ。当たって砕けるつもりでぶつかれば、意外とすんなり行くカモよ」
「……砕けちゃったらどうすんだよ」
「いっそ砕け散ってしまえばイイのにね」

 人の背中を押しておいて、谷底に突き落とすつもりかよっ。

「とにかく、ボクが力になってあげられるのはココまで。キミのくだらない悩みにつきあってる暇はナイんだよ。会議室に戻るよ」

 と、希さんは資料を抱えて席を立った。
 自分の悩みに気を取られて、いまオレと希さんがいる場所がどこなのかを言い忘れてた。

 ここは副社長室だ。
 昔から、希さんが仕事するときに使っている部屋。

 相談したいことがあるからって希さんを会議室から連れ出して、この部屋で話し込んでたってわけなんだけど。

「や、ちょっと待ってよ希さん。も、もう少しここで話していかない?」
「は? ナンで? イヤだよ。キミとあのコの話はもうウンザリだ」
「奈々子の話じゃなくてもいいよ。そうだな、えっと……『日本の景気を回復させるには』ってのは? オレ、あれからちゃんと勉強してるし」
「また時間があるときにね。分かってる? ライブが始まるの、来週ナンだよ」
「わ、分かってるよ」
「まさか、キミ、高橋から逃げてるんじゃナイだろうね?」
「うっ……」

 なんで、こう、痛い所を的確についてくるんだよ。

「キミから高橋にちゃんと話したの? ナナとつき合うってこと」
「…………まだ言えてない」
「さっさと言いなよ。時間が経てば経つほど言いづらくなるよ」
「いや、だってさ、高橋のやつ、なんか最近やたらと機嫌悪いんだよ」

 オレだって、言わなきゃなんないよなとは思ってるんだ。

 あの『ハンバーグ事件』の凶器が製造されている場面を見ていたモニタールームで、話してたじゃん、高橋が。
 奈々子にカレシができたけど、相手の男が挨拶に来ない……って。
 しかも、あれ、相手の男がオレだって知ってて言ってたんだよな(知らなかったのはオレだけだよ)。
 だからオレは、自分が奈々子のカレシだという事実を知って(改めてきちんと、告白もしたことだし)、すぐにでも高橋に報告しなきゃと思ってたんだけど。
 なかなかタイミングが掴めなくて、(自分で言いたくはないけど)うだうだしているうちに、高橋の機嫌がどんどん悪くなっていったんだ。

 理由は分かんないよ。オレが挨拶に行かないのが原因かもしれないし、全然別のところにあるのかもしれない。
 分かんないけど、高橋の機嫌が悪いことだけは事実だ。
 だって、最近の高橋の一人称、『俺』率が異様に高いんだよ……うぅ、怖い。

「そうは言っても、このままじゃ仕事になんナイでしょ」

 希さんはイラついた様子で、机の上に設置されてる電話に手を伸ばした。

「会議室に内線かけて、高橋をこの部屋に呼ぶから、さっさと用事済ませちゃってよ」
「ええっ!? い、いま!?」
「とーぜん」
「いやいやいやいや、無理無理無理!!」
「さっきも言ったよ。『当たって砕けろ』」
「砕け散ったら、それこそ仕事どころじゃないじゃんっ!!」
「ウルサイな。業務命令だよ、平社員。…………あ、ボクだけど、高橋にいますぐコッチに来るように伝えてくれる? そう、副社長室」

 うわぁあっ! やばいっ!!
 高橋が副社長室に来るっ!

 このままじゃ、マジで殺されるかもしんないっ!

 どうする? どうしたらいいんだ!?
 オレはまだ死にたくないんだぁっ!!

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