17 局地的豪雨。

 外は突然の局地的豪雨。
 ビルごと洗車機に突っ込んだのかってくらいの勢いで、窓ガラスに襲いかかる強い雨。
 始めは遠慮がちにゴロゴロと鳴っていた雷も、もうかなり近くまで来てるのが分かる。

 次に雷鳴が響き渡ったときが、オレの最期かもしんない。

 高橋は腕組みをしたまま、もうかれこれ一時間近く黙っている。
 ……いや、『一時間近く』とオレが感じているだけで、実際はたぶん数分ってとこなんだろう。

 内線で会議室から呼び出され、(来なくてもいいのに)すぐにやって来た高橋を、希さんが副社長の椅子なんかに座らせたもんだから、ただでさえ不機嫌なときにはだだ漏れの威圧感が、それはもうハンパなく倍増されている状態だ。

 そんな高橋の前で、オレが何をしたのかって言うと。
 まずは、報告が遅くなってしまったことを詫びて。
 次に、改めて奈々子とつき合うことになった旨を告げて。
 そして……土下座。
 もちろん、現在進行形で絶賛継続中。

「な……奈々子がおまえの大事な妹だってことは、分かってるよ。分かってるけど、でも、好きなんだ。こんなに誰かと一緒にいたいって思ったのは、もう何年振りって感じで……だから、奈々子とつき合うこと、認めてほしいんだ。頼む」

 高橋の沈黙が怖い。
 頭が上げらんない。
 視界に入るのは、副社長室の床と自分の手だけ。

 ……のはずなのに、突然、端の方で何かがヒュッと動いて、オレは反射的にビクッと身体をこわばらせた。

 高橋の足だ。

「嫌だ。盟くんが奈々子のカレシだなんて、俺は絶対に認めない」

 高橋の『俺』キターーーーーーー!!

「いや、でも、当の奈々子は快諾してくれてるわけだし……」
「そんなこと俺には関係ねぇし」

 視界から高橋の足が消えた。
 でも、やつは足を引っ込めたんじゃない。
 高く振り上げたんだ。

 ヤバイ、蹴られる。
 頭を踏まれる。
 こここ、殺されるうぅぅ――――!

「……なぁんてね」

 高橋のおどけた声に、オレはそぉーっと顔を上げた。
 見ると……あっ、高橋のやつ、ニタニタ笑ってやがるっ。

「僕は別に、何も怒ってなんかないよ。あんな妹でよければ、のし付けて進呈するし」

 ……これは高橋の本心なのか?
 疑心暗鬼。
 こいつのどこからどこまでを信じていいのか、分かんない。

「盟くん、覚えてる?」

 高橋は続けた。

「いまは副社長室になってるこの部屋……って言っても昔と何も変わってないけど。僕たちHinataのスタートは、この部屋だったよね」

 もちろん、覚えてる。

 あの頃、オレは高校生だった。
 長野から上京してきて、この事務所の中にある希さんの部屋で、二人で生活してた。
 ちょうど夏休みが始まるってときに、希さんが静岡で直くんを見つけて。
 その流れで、大阪に住んでた高橋を、この東京まで呼び寄せて。
 三人でグループを結成してデビューするんだって、この部屋で希さんから聞かされた。

 そのとき、オレは初めて出会ったんだ。
 兄にくっついて東京へやってきた高橋の妹――奈々子に。

「あのとき小学生だった奈々子が、盟くんとつき合うっていうんだから、なんだか不思議な感じだよ。いつか諦めると僕は思ってたけど、本当に長年の片想いを成就させるなんて」

 ピシャーン!! バリバリバリバリバリバリ……ドドーーーーン!!

 高橋が指先から無意識に放った稲妻は、完全に無防備だったオレに直撃。
 ……というのはもちろん、自分が受けた衝撃を比喩的に表現したつもりなんだけど、いまいち伝わりづらい。
 つまり、この高橋の何気ない発言に、オレは驚愕してしまったってわけ。

「なん……? え、ちょ、高橋、いまなんて言った? ……『長年の片想い』? それって、奈々子が昔から、オレのことが好きだったってことか?」
「ん?」

 高橋は怪訝そうに眉を寄せて、

「……あれ、奈々子から聞いてない?」
「聞いてない」
「何で?」
「そんなこと、オレに分かるわけないだろ?」
「あーあ、言っちゃった」

 希さんが深くため息。

「そーいうコトは本人から言わせなきゃダメだよ。あのコががんばってきたコトは認めるケド、肝心なトコは他人マカセなんだから」
「いや、だって、まさかまだ盟くんが知らなかっただなんて、思ってもみなかったし」
「ちょっと待ってよ。もしかして、希さんも知ってたってこと? 奈々子がオレのこと……」
「知ってたよ。っていうか、気づかナイ中川の方がオカシイよ。ドコまで鈍いの?」

 えぇっ……知らなかったのはオレだけかよっ!?

「……や、でもさ、小学生の奈々子が、高校生のオレを好きだったとして、でもそれは、今までずっとってワケじゃないんだろ?」
「さあ? ボクは何年も会ってなかったから、その間のコトは知らナイ。高橋は何か知ってる?」

 と希さんが聞くと、高橋はうーん……と腕組みして、

「どうかな。少なくとも、他の男の人を好きになったとか、カレシができたとか、そんな話を聞いたことはないけど」

 ウソだろっ?
 だって、奈々子と初めて会ったのは10年以上も前だぞ?
 去年、久しぶりに再会するまで、ほとんど会ってないんだぞ?
 その間、ずっと、オレのことだけ……?

「それはさておき」

 と、高橋はさらに話をつなげた(……って、さておいちゃうのかよ)。

「奈々子の恋路がどうなろうと、僕は別に興味ないんだけど。一応、親元から離れて生活してるって意味では、多少気にかかってたんだ」

 高橋はうーんと腕を伸ばして、ふうっと一息。

「これでようやく肩の荷をひとつ降ろせるよ。正直に言うと、僕、それどころじゃないんだ」
「なんだ、道坂さんとケンカでもしたのかよ?」
「いや、ケンカはしてないんだけど……」

 しばし手をあごにやって考えていた高橋は、がっくりとうなだれて、

「僕ってそんなに頼りないかなぁ……」

 な、何だ!? 大丈夫なのかっ!?
 こんな弱気な高橋、珍しいぞ!?

「な、何言ってんだよ。おまえが頼りないってんなら、世の中のすべての男が頼りないってことになるじゃん」
「……だよね。僕もそう思うんだけど」

 おいおいっ! 自信があるのか、ないのか、どっちなんだよ?

「ま、悩んでるのはキミだけじゃナイってコトだよ、中川」

 希さんがオレの肩をポンッと叩いた。

「じゃあ、希さんも何か悩んでることがあるのかよ?」
「あるケド、キミに話したところで何の解決にもならナイから、言わナイ」

 …………聞かなきゃよかった。

 事務所の外へ出てみると、さっきまでどしゃ降りだったのが嘘みたいに、雲間から日が差していた。
 ランドセルを背負った女のコが、歩道にできた水たまりにわざと足を突っ込んで遊んでる。

 ふと辺りを見回すと、隣のビルの前に設置されてる町内会の掲示板に『第三十七回○○町夏祭り』の案内が貼られてるのが目に入った。

 Hinataがデビューすると決まったあの夏には、みんなでこの夏祭りに行ったんだよな。確か、奈々子も一緒だった気がする。

 あぁ、そうだ。
 わたがしから始まって、焼きそば、りんごあめ、チョコバナナ……と、屋台の食い物をほとんど制覇する勢いだった奈々子だけど。
 お好み焼きだけは、どうもお気に召さなかったみたいで、オレが代わりに食ってやったんじゃなかったかな。

 ……ん? お好み焼きじゃなくて、たこ焼きだったかもしんない。
 もう10年以上も前のことだし、ハッキリとは思い出せそうにないけど、奈々子は覚えてるかな。

 気づけば、灰色の雨雲はずっと遠くへ流れていって、水色の水彩絵の具を塗り拡げたような鮮やかな夏空が目に眩しい。
 もうすぐ梅雨も明けて、本格的な夏が始まる。

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