新大阪の駅で、私は新幹線を降りた。
今日は仕事なのよ。大阪のKSテレビで、とあるバラエティー番組の生放送にゲスト出演。
夕方四時からの放送だから、一時間前の三時にマネージャーと現地で合流予定。
だから……そうね、お昼過ぎに大阪に着いて、合流前にちょっとだけ街を散策するつもり。
……だったのよ、今朝まで。
ちなみに、いま何時かというと。
午前九時を少し過ぎたところ。
予定よりも何時間も早く、私は大阪の地にいる。
しかも、大阪にやってきたのは、私ひとりじゃない。
私より先に新大阪のホームに降り立った彼は振り返って、私に一言。
「みっちゃんと一緒に大阪に来るのって、初めてだよね」
字面じゃまったく分かんないと思うけど、イントネーションが微妙に関西風だ。
「そうね、初めてよ。そもそも、二人でこんなに遠出すること自体、初めてなんじゃないかしら」
「そうだね。……ん? そうかな。前にどこかに行かなかった? ほら、付き合い始めた頃だったかな」
「あのときは名古屋の近くだったでしょ。東京と大阪の真ん中くらいじゃないの?」
「そういえば、あれ以来、旅行してないね」
「旅行!? あれ、旅行だったの!? 驚いた。アクシデントで泊まる羽目になったんでしょう?」
「新婚旅行だって、まだ行ってないし」
「まだ結婚して三カ月経ってないじゃない。『新婚』の有効期限は一年だって聞いたわよ」
「三年以内には行きたいね。うまくスケジュールが合えばいいけど」
「そんなことより、ねぇ、諒くん」
私は、(やっぱり字面じゃ分かんないだろうけど)ほんのり関西テイストで喋り続けている彼に、とある疑問を投げた。
今朝からずっと、私の頭の中を支配し続けている、この疑問。
「どうして、ほんとに大阪までついて来ちゃったのよ?」
事の発端は、たぶん、一ヶ月くらい前までさかのぼることになると思うんだけど。
「道坂さーんっ! 道坂さんっ、道坂さんっ!」
いつも通り、『しぐパラ』(忘れてるかもしれないから念のため説明しておくけど、私が芸人デビューしてからずっとレギュラーで出させてもらってるバラエティー番組のことよ)の収録を終えて、帰ろうとしているときだった。
大声で私の名前を連呼しながらテレビ局の廊下を走ってきたのは、福山くんだ。
「あら、福山くん。お疲れさま」
「おつ……お疲れさまっす。あの、ちょっと……」
「っていうか、そんなに大きい声で私の名前を何回も叫ばないでくれる? 恥ずかしいじゃない」
「す、すみません……でも、道坂さん、なかなか……立ち止まってくれへんもんで……」
「えっ、ほんとに?」
福山くんは肩で息をしながら、何度か頷く。
そんなにまでして、私を呼び止めなきゃならなかったなんて。
「何か大事な用かしら?」
聞くと、福山くんは再び頷いて、
「あの、今度、大阪でやってるボクらの番組に、道坂さんがゲストでいらっしゃる予定やって聞いたんですけど」
「えっ、そうなの? まだマネージャーから聞いてないけど。いつ頃?」
「たぶん、来月の頭か、今月末か……」
そんな一ヶ月も先の予定、聞いてるわけないじゃない。
聞いてもすぐ忘れちゃうんだから。
「で? 偶然、私を見掛けたから挨拶しておこうってことかしら?」
「いえ……あ、もちろん、ご挨拶も、なんですけど」
むぅ、と胸の前で腕組みをして、なにやら考え込んだ福山くんは、やがて辺りを見回して、
「あの、道坂さんが大阪で仕事があるってこと、諒さんは知ってるんですか?」
「諒くん? 知らないに決まってるじゃない。私だって、福山くんから今さっき聞いて知ったばかりなんだから」
「……ですよね」
今度は頭を抱え込んで、私の目の前をうろうろと歩き出した。
落ち着きがないわね。
せっかく仕事が終わったんだから、早く帰らせてちょうだいよ。
と、文句を言ってもよかったんだけど。
なんだか深刻な問題のようだから、相談に乗ってあげるっていうのもいいかもしれないわね。
この先も芸人として生きていくなら、後輩から慕われていて損はないもの。
……なんて、よこしまなことを考えているうちに、福山くんは意を決したようで、
「道坂さんっ!」
「な、なによ」
「ボク、諒さんに伝えたいことがあるんです。でも、連絡先とか分からへんし……。道坂さんから、諒さんに伝えてもらってもいいですか?」
「いいけど……何を伝えればいいの?」
福山くんは、必ず正確に伝えてくださいね、と念を押すと。
こんな言葉を、私に耳打ちしたの。
「『トモに気をつけて』」
福山くんについて、軽く説明しておくわね。
彼は私と同じ、お笑い芸人。所属してる事務所は違うけどね。
『プラタナス』っていう、関西では大人気コンビのツッコミを担当してる。
歳は諒くんより一つ下らしいから、27歳かしら。
この二人、実は同じ中学校に通っていたらしくて、しかも同じ部活の先輩と後輩だったそうなんだけど。
いったい、何の部活だったんだろう?
サッカー部?
バスケ部?
野球部……ってイメージじゃないわね、なんとなく。
諒くんって意外とガッチリとした身体してるから、柔道部みたいな格闘技系だったりして。
……なんて、話がそれたわね。
とにかく、福山くんは、私の知らない『中学時代の諒くん』を知っている、ある意味貴重な人物なわけだけど。
その福山くんからの、諒くんへの伝言。
『トモに気をつけて』。
……『トモ』って、何?