諒くんの実家から、ほんの少しだけ歩いて。
コンビニの脇を通り過ぎたところで、信号を渡る。
「やだ。『この近辺では有名』なんていうから、どんな桜の名所かと思ったじゃない」
私が不満を漏らすと、諒くんは笑って、
「有名なんだよ、うちの町内とその周辺では」
そりゃあね、勝手に『大阪では』とか『市内では』くらいのレベルを想像しちゃった私も悪いけど。
ハッキリ言って、期待はずれ。
公園自体は、そこそこ広い。
野球場とテニスコートもあるし。
広場ではバーベキューを楽しんでる人たちもいる。
ブランコとかすべり台とか、遊具もそれなりに整備されてたりもするんだけど。
肝心の桜はというと、外周と園内のあちこちに適当に植わってるというような感じ。
圧倒されるほど、たくさんの桜が存在するわけでもなく。
かといって、一本の樹が凛と佇むように立っているんでもなく。
なんか、こう……中途半端って感じ。
「そんなに露骨にガッカリしないでよ。ほら、お花見のメインはアレでしょ?」
と、諒くんが指差す先には……うわぁ。
魅惑のワンダーランド。
たこ焼き、お好み焼き、焼きそば、焼き鳥……たくさんの屋台が立ち並ぶ。
「何か食べようよ。朝、あまり食べずに出てきたから、お腹空いてるでしょ?」
言われてみれば確かに、お腹が空いてるような気がするわ。
桜だろうとバラだろうとコスモスだろうとタンポポだろうと、草花に囲まれてウットリ……なんて柄じゃないしね、諒くんも私も。
まさしく、花より団子。
「絶対にこぼさないでよ。汚したら大変……あ、ホラ、もう、言ってるそばからっ!」
口にくわえたポテトが、ぽろり。
高級なジャケットの袖口と裾をかすめて、芝生に落下。
「アリの食料に確定」
「何のんきなこと言ってんのよ。その服、汚したら弁償でしょ?」
「場合によってはね」
「どこかのブランドよね。やっぱり、その……お高いの?」
「総額で、そこそこの値段の車が買えるくらい」
……聞かなきゃよかった。
「バスタオルでも巻いておきなさいよ。よだれかけみたいに」
「持ってないよ、バスタオルなんて」
「借りてくればいいじゃない。すぐそこに実家があるんだから」
諒くんは笑って、私の目の前にポテトを一本差し出す。
細かいこと言ってないで、食べたら? ってことだ。
口を開けると、諒くんがポテトを放り込んでくれた。
なんだか、巣の中でお腹を空かせてエサを待ってたヒナみたいね、私。
「子どもの頃、よくこの公園で花見をしたんだ。そりゃ、絶景とは言い難いけどね。それなりに思い出が詰まってる」
「思い出? 例えば、どんな?」
「あの桜の木に登って、落ちたとか」
「それから?」
「そこの池で魚を捕まえようとして、落ちたとか」
「落ちてばかりじゃない。もっと他にないの、楽しい思い出は」
「ないこともないけど」
「諒くんなんて、きっと子どもの頃からモテモテだったんでしょうから、かわいい女のコとお花見デートとかしたんじゃないの?」
ポテトを口に運ぼうとしていた諒くんの手が、ピタッと止まった。
困ってるような、悩んでるような、複雑な表情。
「あ……触れちゃいけない話題だった?」
私が聞くと、諒くんはやさしく微笑んでかぶりを振った。
「したよ、お花見デート。中学のときにね、付き合ってたカノジョを誘って、今みたいに屋台でいろいろ買い込んで、それから……」
「それから?」
「ビールを飲んだ」
「……ちょっと待って。中学のときの話よね?」
「うん。まぁ、若気の至り? その時にはもう、今の事務所に入ってて、研修生でナンバーワンって言われてたし、上の立場の人にも気に入られて……調子に乗ってたんだよ。中学生で飲酒なんて、どうってことないって思ってた。バレたら確実にクビだよね。今考えると、恐ろしいよ」
言いながら、焼き鳥をほおばる諒くん。
口で言うほどには、事の重大さをあまり認識してないらしい。
「ねぇ、諒くん。一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど、その……カノジョって、どんな人だった?」
「どんな人、か……」
腕組みした諒くんは、むぅぅと考えて、
「絶世の美女」
「ぜ、絶世の美女ぉ?」
「うん。僕は仕事柄、女優さんとかモデルさんとか、綺麗な女性をたくさん見てきたけど、そのカノジョより美しい女性に出会ったことは一度もないよ」
「奈々子ちゃんより、美人?」
「……『私より美人?』とは聞かないの?」
「自分が美人から一番遠い所にいるのは分かってるから」
「それもそうだね」
少しくらい否定しろとは言わないけど、あっさり納得されるとなんだか悔しい。
「奈々子なんか足下にも及ばないくらい、綺麗な人だったよ。高飛車でワガママで、いつも僕を振り回してた」
「意外」
「何が?」
「諒くんが女のコに振り回されるなんて。想像できない。逆じゃないの?」
「僕が? 僕は女のコを振り回したりしないよ。今だって、ちゃんとみっちゃんのペースに合わせてるでしょう?」
ただのジョークなのか、それとも、ほんとに自覚がないのか。
「話を戻して……じゃあ、そのカノジョに会いたいとか思ったりする?」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「好奇心よ。気になるだけ」
「ふむ」
諒くんはストローを口にくわえて、コーラをごくごく。
「会いたいか、会いたくないか……と問われれば、まぁ、どちらでもないかな」
「どっちでもない?」
「うん。あんまり興味ない」
と言うと、諒くんは口をパカッと開けて催促。
あぁ、私が持ってる唐揚げが欲しいのね。
唐揚げをひとつつまようじで刺して、諒くんの口にホイッ。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐ……ごっくん。
「だってさ、付き合ってたって言ったって、ずいぶん昔の、子どもの頃の話だよ。今はどうしてるのか、分からないけど……きっと、結婚して子どももいて、例えば偶然すれ違っても分からないくらい面影がなかったりするんじゃないのかな」
桜の花びらが、ひらり。
私の鼻の穴にぴったりと貼り付いてふさぐ。
笑いの神様、こういうイタズラは、カメラがしっかり回ってるロケのときにでもしてちょうだい。
旦那さまと、まったり花見してるってときにこんなことされても、リアクション取りづらいわ。
「……ごめんね、諒くん」
「ん?」
「私、結構本気で疑ってた。昔のカノジョに会いたいがために、大阪までついてきたんじゃないかって。でも、よく考えたら、諒くんが上京したのって中学生なのよね」
「うん」
「中学生って言ったら、子どもじゃないの」
「子どもだね」
「それなのに、私ったら、大人と同じ感覚で考えてた。バカよね」
「そうだね」
……そこはやっぱり、少しくらい否定してくれてもいいんじゃないかしら。
「でも、そういうところが、みっちゃんらしいと思うし、みっちゃんがそうやって疑ったり不安になったりするのは、僕のことが好きだからでしょう?」
どんだけポジティブな上から目線なのよ。
私から言わせてもらえば、こういうところが諒くんらしいなって思う。
「そうよ。愛する旦那さまがイケメンすぎて、女のコにモテモテだから、不安で不安で仕方がないの」
私が答えると、諒くんは満足そうに微笑んだ。