06 タバコ屋 『カツラギ商店』

 桜の公園から、諒くんの実家とは逆の方向へ歩くことわずか数分。
 ちょっと壁に寄りかかろうものなら崩れてしまうんじゃないかと思わせる、オンボロの建物。
 日に焼けて文字が薄くなった看板には、『カツラギ商店』の文字。

 タバコ屋さんだ。

 子どもの頃によくお世話になってたから顔を見せに行きたい、なんて諒くんが言うものだから、来てみたのはいいけど。

「ほんとに営業してるのかしら?」

 シャッターは開いてるようなのに、店内の灯りはついてないし、店主の姿も見えないし。

「母さんが三カートンも買ってきたんだから、やってるハズだよ」
「この店で買ったなんて確証はないじゃない」
「あの人、コンビニは好きじゃないんだよ。他にカートンで買えるところなんて近くにはないし……あ、ねぇ、みっちゃん。あそこにサルルーがいる」

 諒くんが指差す店内の奥を、目を凝らしてよーく見てみると……あ、ほんと。サルルーだわ。

 サルルーってね、諒くんがずっと前から熱心にやってる『モンキーハンター』っていうゲームに出てくるキャラクターなの。
 目がくりっとしてて、しっぽがとても長いさる。
 ピンクのリュックサックをいつも背負ってるの。リュックの中にはアボカドがたくさん入ってるんだって、諒くんが言ってたわ。
 その設定がゲームの中でどう活かされてるのか、謎なんだけど。
 そんな愛らしいサルルーが、なぜか小さなタバコ屋の店内に。

「もしかして、あのサルルーって、ライターなのかしら」
「だろうね。周りのメンツからして、サルルーだけがただの置き物ってことはないと思う」

 諒くんの言葉通り、サルルーの周りには、お手軽な百円ライターから、いわゆる『ジッポ』と呼ばれるオイル充填式のものまで、いろんなライターがずらり。
 売り物なのか、それとも店主の趣味なのか。
 ライターの良し悪しもピンキリも、私にはさっぱり分からないけど、ショーケースの中に大切そうに飾られてるものは、きっと高価なものなんでしょうね。

「あのサルルー、買おうかな」

 と諒くんの声が弾む。

「この間、サルルーのストラップ買ったばかりじゃない。ライターなんて何に使うのよ」
「別に、持ってても困らないよ」
「持ってなくても困らないでしょ」
「困らないけど、欲しい」

 言いだしたら聞かない駄々っ子ね。
 えぇ、もちろん、いつものことよ。

「すみません、こんにちはー」

 お店の奥に向かって、諒くんが叫んだ。
 ――返事がない。
 やっぱり誰もいないのかしら、と顔を見合わせていると、

「ほい……ほい……ほい……ほい」

 ゆっくり、ゆっくり、ゆーっくり。
 ひょうたんの絵が描かれているのれんの向こう側から、店主が姿を現した。
 さみしい頭をなでながら、店主はこちらを見やる。
 と、パッと顔をほころばせて、

「……お? おおっ!? 諒ちゃん!? 諒ちゃんやないかっ」

 諒くんは照れくさそうに微笑んで、店主に頭を下げた。

「お久しぶりです」
「ほんま、久しぶりやなぁ。いつもテレビで見てるでぇ。立派になったもんやなぁ」
「いえいえ、そんな……」
「母ちゃんのおつかいでタバコ買いに来とったあの諒ちゃんが、今はもう、日本一のアイドルスターなんやからなぁ。たいしたもんやて」

 恐縮する諒くん(珍しい光景だわ)に、店主はしみじみ。
 昔の自分を知る人との対面って、気恥ずかしさMAXよね。

「さっきも諒ちゃんの母ちゃんが来てくれはったで。ウチの店の一番のお得意様や」
「でしょうね。もう、一日中ずっと吸うてますから」
「諒ちゃんは? 吸わへんの?」
「僕は……えぇ、あの、コレがコレやもんで」

 諒くんは私を指差した後、その指を自分の頭に立てて、鬼のツノを作った。
 要するに、『タバコを吸うと、奥さん(何度も言うけど私のことよ)が怒る』ってことね。

「吸いたかったら吸えばいいじゃない。別に、怒ったりしないわよ」
「怒らなくても嫌な顔はするよね。ココにシワが寄る」

 諒くんは、私の眉間を指で押さえた。
 本日、二度目。

「ぞわぞわするからやめてってば」
「仲が良さそうでええなぁ」

 店主は目を細めて、しみじみと語った。

「中学生の頃の諒ちゃんは、もっと表情が硬かったけど、今はよう笑いよる。ほんま、ええ嫁はんもろたなぁ」
「いい嫁さん? 私が?」

 思わず聞き返すと、店主は笑って、

「そうや。あんた、ええ嫁はんやと思うで」
「どこがですか? 私なんて、地味だし、ブサイクだし……諒くんには絶世の美女くらいのお嫁さんがお似合いだと、世間の人はみんな思ってますよ、きっと」

 店主は首をゆっくりと横に振った。

「絶世の美女も、究極のブサイクも、見慣れてしまえばただの人や」

 わははははっと、店主は大爆笑。
 諒くんも激しく同意と言わんばかりに、一緒になって笑う。

 失礼しちゃうわね。
『いい嫁さん』だなんて持ち上げておいて、『究極のブサイク』って。
 ちょっとひどすぎるんじゃない?

「いや、でも、ほんまによう来てくれたなぁ。諒ちゃんをテレビで見るたびに、娘にも話しとったんや。大阪帰ってきたら、たまにはウチにも顔見せに来てくれたらええのになぁ、なんて」
「娘?」

 私が聞くと、諒くんはうなずいて、

「中学の同級生なんだよ、娘さんとは」
「そうや。同じ教室で机並べて勉強しとったのに、かたや日本の芸能界を背負って立つトップスター、かたや気まぐれな引きこもりや」
「引きこもり?」

 諒くんの表情が曇る。

「そうや。ときどき、念入りにめかしこんで、ぷらっと出ていきよるけどなぁ。基本、ずっと寝巻きのまま食っちゃ寝しとる。酒の臭いプンプンさせてるときもあるし。ほんま、どうしようもならん」

 店主は難しい顔で、深いため息。

「……あ、ゴメンなぁ、諒ちゃんにグチなんか聞かせてしもうて。せっかく顔見せに来てくれたのになぁ」
「いえ……今はどちらに?」
「あぁ、奥でダラダラしとるよ。諒ちゃん来てんのも分かってるやろうけどな、みっともない格好しとるで、恥ずかしくてよう出てこんわ」

 諒くんは、店主が指したひょうたん柄ののれんを見つめた。
 悲しそうな、寂しそうな……それでいて、悔しそうな。
 そういう、いろんな負の感情が複雑に入り乱れちゃってるような表情をしてる。

 無理もないわよね。
 みんなを笑顔にするのがアイドルの仕事、なんてよく言うけど。
 心を閉ざして引きこもっちゃってる人を笑顔になんて、そう簡単にできっこないもの。
 ましてや、相手は何度も言葉を交わしたことがある(んでしょうね、おそらく)、同級生。

 ――――何とかしてあげたい。でも、僕には何もできない。

 そんなふうに、諒くんの中で無力感がぐるぐると渦巻いちゃってるのよ、きっと。

「相手は女のコなんでしょう? 引きこもりでなくたって、家でくつろいでるときに、急に来られちゃ誰だって困るんじゃない? パジャマにスッピンで恥じらいもなく出てきちゃうような女のコなんて、少数派よ」

 私が言うと、諒くんは気を取り直したように笑って、余計なひと言。

「じゃあ、みっちゃんは少数派に入るんだね」

 ……恥じらいを忘れてしまったオバサンで、すみませんね。

 諒くんは私の眉間を指で押さえる(本日、三度目)と、優しく笑って、

「みっちゃん、道頓堀に行こう」
「なんなのよ、急に」
「ここから割りと近いし」
「そんなこと聞いてないし」
「お腹空いた」
「さっき食べたばかりでしょう?」

 最初から私の意見なんて聞くつもりのない諒くんは、私たちのやり取りを聞いて笑っている店主に会釈。

「そろそろ失礼します。娘さんにも……よろしくお伝え下さい」

 にこやかに頷く店主の後ろで。
 気のせいかしら、わずかに人の気配。
 噂の娘さんが、のれんの向こう側でずっと聞いてたのかもね。

 ちょっと会って話してみたかったな、とも思うけど、声をかけるのは止めておくわ。
 無理やり引きずり出したところで、本人にとっては、ただの迷惑行為でしかないのよ。
 こっちは善意や厚意のつもりであっても、ね。

「あっ、サルルーのこと忘れてた」

 地下鉄の駅に向かう途中で、諒くんが呟いた。
 へなへなとその場にしゃがみこんで、頭を抱える。
 いつも冷静で淡々としてるくせに、妙なところで取り乱すのよね。

「もういいじゃない。今どき、インターネットで探せば何でも手に入る時代でしょ?」
「ネットで……あるかな?」
「あるわよ、きっと。なければ、ライターが売ってるところを注意深く見て回るのね。私も、もしどこかで見つけたら、買っておいてあげるから」

 なだめてみても、諒くんはしゃがみこんだまま、動こうとしない。

「ほら、早く行くわよ。道頓堀でご飯食べるんでしょう?」

 ぽんぽんっ、と。
 諒くんの後頭部を、軽くなでてみる。
 ……整髪料で手がベタっとするわ。
 あんまり激しくなでまわすと、セットが乱れちゃうわね。
 頭をなでるのは諦めて、軽くかがんで諒くんの顔を覗き込んでみる。
 すると、

「……諒くん、なんで涙目になってるの?」

 ちょっとビックリ。
 大好きなゲームキャラクターのグッズを手に入れ損ねたくらいで、泣けてきちゃうものかしら。

 諒くんは少し照れくさそうに笑って、立ち上がる。

「なんでかな? 最近、涙もろいんだよね。僕ももう、歳かな」

 冗談っぽく言って、諒くんは空を仰ぐと。
 突然、私を抱き寄せた。

「な、何よ、急に?」
「そういう気分なんだよ」
「そんなこと言ったって……」

 恥ずかしいじゃない。
 公衆の面前で。
 白昼の往来で。
 たちまち、ブログだとかツイッターだとかで拡散されちゃうんだから。
 諒くんなんて、写真撮影用のブランド衣装で身を包んじゃってるものだから、目立ってしょうがない。
 やっぱり私も、もう少し小奇麗な格好してくるべきだったわ……なんて。

「分かったわ。サルルーをゲットできなくて悔しい気持ちは分かったから、放してちょうだい」
「嫌だ」
「……何で?」
「みっちゃんは、僕の奥さんでしょう?」
「そうよ、だから何なのよ」
「だったら、旦那さんの言うことを黙って聞いてなさい」

 なによ、亭主関白ぶっちゃって。
 さっきまで、目に涙を浮かべてたくせに。
 全然怖くなんかないんだから。

 いつもより少しだけ強い力で私を抱きしめる、諒くんの腕。
 どんな想いを抱えているのか、私にはやっぱりよく分からないわ。

 でもね。
 私のことを大切にしてくれてるんだってことは、なんとなく感じるの。
 今朝からずっと不安だったのが、嘘みたい。

 ……そうよ、思い出した。
 福山くんよ、福山くん。
 どうして私が不安になってたかって、福山くんが変な伝言なんか頼むからよ。
『トモに気をつけて』なんて。
 譲ったネコが心配なら、そう言えばいいじゃない。

 あぁ、もう、だんだん腹が立ってきたわ。
 あとで会ったら、文句のひとつやふたつじゃ済まないんだからね、福山くん!

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