08 道頓堀 1

 二階席からバタバタと階段を駆け下り、マクデンバーガーのショップから飛び出して、仰天。
 道頓堀の街は、『スーパーアイドルがやってきた』との情報を聞きつけた野次馬で埋め尽くされていた。

 ……いや、それはちょっと、話を盛り過ぎやけど。
 少なくとも、マクデンバーガーの店の前には、黒山の人だかり。

 自分で言うのもなんやけど、ボクだって『プラタナスの福山』として、大阪では結構、有名なんやで?
 サインや写真をお願いされるのも、しょっちゅうなんやで?

 それやのに……なんやこれ。誰も見向きもせえへん。
 これが『アイドル』と『芸人』の差っちゅうやつなんか。

 ……なんて、敗北感を味わってる場合とちゃうねん。

「諒さんっ! 諒さーんっ!!」

 どこにおるかも分からへんけど、とりあえず人だかりの中心に向かって、目一杯、叫ぶ。
 と、道を挟んだ向かい側の店の前で、一人の男が振り返った。
 身につけてるのは、有名デザイナーが最近立ち上げたばかりの、超高級ブランドの服。

 なんでそんなことが、こんな遠目からでも分かるんかっちゅうと、これと全く同じコーディネートを、今朝方、見かけたばかりやねん。
 コンビニの雑誌コーナーの一番目立つトコに置いてあった、ファッション雑誌の表紙。
 なんでも、新ブランドのイメージキャラクターに就任しはったんやって。
 Hinataの高橋諒。…………諒さんが。

「こっちです! 諒さんっ!」

 さらに声を張り上げて、手を振ると、
 ……あ、目が合った。
 むぅ……。あの凶器のような鋭い眼光は、相変わらずやな。

 人の波をかき分けて、諒さんはボクの方へと近づいてくる。

 この人だかりの中で、ボクの存在を見つけてくれるなんて、奇跡や。
 長い間、もう十年以上も離れとったけど、ボクと諒さんの絆は今も変わらないんですね、諒さん!

 喜びを噛みしめていると、ボクのところまでたどり着いた諒さんは、開口一番、

「遅いっ!」
「……はい?」
「俺がおまえの半径1キロ以内のところまで来たら、呼んでなくても駆けつけろ」

 なんちゅう無茶を言いよる。

「諒さん……十数年ぶりの再会なんっすよ、もっと感動的なものにしましょうよ」
「いらん」

 バッサリ。

「そんなことより、福山」

 諒さんの口調が、わずかに鋭くなる。
 ……嫌な予感。

 中学の頃の記憶を掘り起こすと、諒さんがこのあとボクに言うセリフは、九割九分、とてつもなく厄介な頼みごとやねん。
 しかも、ボクが断る余地は最初から残されてへんっていう、ね。

 心の中で軽くため息をついて、

「なんっすか? 諒さんのためなら、たとえ火の中、水の中。地球の裏側だろうが大気圏の向こう側にだって……」
「あら、福山くん?」

 諒さんの背中から、ひょこっと顔を覗かせたのは。
 今日、これから仕事でご一緒する予定になってる、お笑い芸人の道坂さん。
 みなさんご存知の通り、諒さんの奥さんや。

「こんなところで偶然ねぇ。今日はよろしくね」

 のんきなもんやなぁ、道坂さん。
 そうして貴女あなたが諒さんのとなりにいられるのは、誰のお陰やねんっちゅー話や。

 あのとき、花本さんが『えげつない裏工作』の実行犯にボクを指名してなかったら、いまのその幸せはなかったかもしれんのやで?

 ボクがどんな気持ちで、実行犯役を引き受けたのか、とか。
 任務遂行中に『衝撃の事実』を察知してしまった瞬間の、激しい動揺、とか。
 これっぽっちも気付いてないんやろうし、考えてみようと思ったことすらもないんやろう。

 ターゲットの想い人が、『絶対に勝てっこない』中学時代の先輩やったなんて……ほんま、やりきれんわ。

「じゃぁ、福山」

 ぽむっ、と。
 唐突にボクの肩を叩いたのは、諒さんだ。

「え?」
「そういうことやから」
「そういうこと? ……って、どういうことっすかっ?」
「あとは頼んだ」
「…………はいぃ? ちょっ、頼んだ、って、諒さんっ? なんのことやらさっぱり……」

 戸惑うボクを、諒さんは完全に無視。

「みっちゃん、僕は食事してくるから。先に福山とスタジオに向かってて」
「え? 食事って、一人で行っちゃうの?」
「みっちゃんもお腹空いてるなら、一緒に行ってもいいけど」
「別に、空いてないけど」
「後で僕もスタジオに行くから、観覧できるようにお願いしておいて。テレビOSKだったよね?」
「KSテレビよ。ほんとに大丈夫? 迷子になったりしないでよ?」

 分かってるよ、と笑いながら諒さんは、キャーキャーと沸き立つ野次馬に、すうっと溶け込んでしまった。

「ほんとに大丈夫かしら。あのコ、時々ビックリするくらい方向音痴だから、ちょっと心配」

 道坂さんは額に手を当ててぼやく。

 ……ツッコミどころは、そこやないねん、道坂さん。
 なんでこんなときに、道坂さんを置いて、メシなんか食いに行くんやろうか。
 万が一、この隙を狙って、道坂さんが襲われでもしたら、どないするつもりや?

 甘く見てるんやろうか?
 それとも、忘れてしもうたんか?

 昔のこと――――諒さんがアイドルデビューして上京する前のこと。
 諒さん(とボク)の地元、この大阪で過ごした日々を。

 いや、諒さんに限って、そんな……忘れるなんてこと、いくらなんでも有り得ん話や。
 ……とすると、可能性としては、もしかして。

「えーっと……道坂さん。あの伝言、諒さんにちゃんと伝えてくれました?」
「伝言?」
「一ヶ月くらい前にお会いしたとき、お願いしたと思うんっすけど」
「なんだったかしら」
「『トモに気をつけて』って」
「……あぁ! そうよ、思い出したわっ!」

 まさか(というか、やっぱり)、今の今まで忘れてたんかっ?
 ……と思ったら、どうやらそうではないらしく、道坂さんは眠っていた火山が噴火したかのごとく、まくしたてた。

「会ったら文句言ってやろうと思ってたのよ、福山くん。あなたね、伝言の仕方が間違ってる。諒くんの家のネコの様子が気になるなら、初めからそう言えばいいじゃない」

 耳を疑う発言だった。

「もしかして、道坂さん……トモのことをご存知なかった、とか?」
「知らなかったわよ。ネコを飼ってること自体、今日初めて知ったわ」
「なんでですか? 結婚してるんでしょう? 諒さんの実家に行ったことくらい……」
「ええ、行ったわよ、ついさっき。これも今日が初めて」

 なんちゅうこっちゃ。
 てっきり、道坂さんがトモのことを知ってるもんやと思い込んどった。
 だから、『トモに気をつけて』と言えば、道坂さんは「あぁ、あの実家のネコのことね」と勝手に勘違いしてくれるハズやと……。

「伝言なら、ちゃんと伝えたわよ。諒くんも諒くんよね、伝言がネコの話だってこと、この一カ月ずっと黙ってたのよ。それで、私が『トモ』っていったい誰かしら? って、ずっと悶々と悩んで不安になってるのを横目で見て楽しんでるんだから。ほんと、頭に来ちゃう」
「……すんません」

 道坂さんを不安にさせないための伝言やったのに。
 気を利かせたつもりが、完全に裏目に出たパターンや。

「トモは元気だったわよ。もうおばあちゃんの歳だって聞いたけど、諒くんとたくさんお喋りしてたわ。きっと、東京に連れて帰りたいんじゃないかしらね。私もネコは嫌いじゃないから、構わないけど」

 諒さんに伝言は届いている。
 じゃあ、なんで諒さんは今、道坂さんから離れたんや?
 諒さんが守るべきなのは、道坂さんなんとちゃうんか?
 ボクが伝言に隠した真意が、伝わってないんやろうか……?

「ちょっと、福山くん、聞いてる?」
「え? あ……はい。聞いてます、聞いてます」
「うそばっかり。いいわよ、ただ文句言いたいだけなんだから。朝からずっと諒くんを疑ってた罪悪感を、誰かに話してスッキリさせたいだけなのよ」
「疑ってた……と言いますと?」
「例えばね、その『トモ』ってのが諒くんの元カノだったりするのかしら、とか」
「も、もも元カノ?」

 思わず声が上ずってしもうた。

「例えばの話よ。『トモエ』とか『トモミ』とか『トモコ』とか、そういう女のコの名前を連想しちゃって……ねぇ、せっかくだから聞いてくれる? 私ったらね、諒くんが、その元カノに会いたいがために、わざわざ大阪までついてきたのかしら、なんて考えちゃって」

 道坂さんは自分が剛速球でど真ん中にストライク投げ込んでるなんてまったく気付きもせず、のんきな調子で続けた。

「でも、まぁ、よくよく考えてみたら、そんなことある訳ないわよねぇ。新婚早々そんなことがあってみなさいよ。世間に知れたら、あのコ、干されて仕事がなくなっちゃうわ。そんな危険なこと、いくらなんでも……ねぇ」
「あはは……道坂さん、そりゃぁいくらなんでも……ですわ。あははは……」

 いやいや……全然、笑えへん。
 諒さんに限って、そんな危険なこと、いくらなんでも……有り得る話や。
 ほんまに、元カノに会うてるんとちゃうか!?

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