11 KSテレビ 楽屋 1

「……出ないわねぇ」

 道坂さんは軽くため息をついて、ケータイをテーブルに置いた。

 KSテレビの収録スタジオや。
 予定より少し早く着いたものだから、道坂さんのマネージャーもまだ来てへんってことで、道坂さんはボク(正確にはボクと相方の徳川でやらせてもらってるお笑いコンビ『プラタナス』)の楽屋でマネージャーを待つと言う。

 けど、道坂さんがほんまに待ってるのは、マネージャーよりも諒さんや。
 そろそろ来てもええ頃なのに、連絡も何もないもんやから、迷子にでもなったんちゃうかって心配らしい。
 確かに、諒さんの方向音痴は昔から酷いもんやったけど。

「ケータイ鳴ってんのに気づいてないんですかね、何度も掛けてんのに」

 迷子になるよりは、こっちの方が幾分可能性が高い。
『幾分』しか違わないのがなんとも……いや、別にええけど。

「そうね。あのコ、いつもリュックにケータイ入れてるし。食べるときにリュックを降ろしてイスにでも置こうものなら、絶対に気づくわけないし……」

 うなずきかけた道坂さんは、むぅと眉間にしわを寄せて、

「そういえば、さっき実家を出たときからリュック持ってなかったわ。あんな衣装みたいな服には合わないもの。もしかしたら、ケータイもリュックごと実家に置きっぱなしかもしれない」

 その上、迷子にでもなってしもうたら、どないすんのやろう。
 それはそれで心配や。
 けど、もう三十路も近い大人なんやし、道を聞くなりなんなりするやろう。

 そんなことより。
 もっと心配なのは、諒さんの元カノ――とも子さんの存在や。

 白状する。
 実は、少し前にとも子さんに会った。いや、会ってしまった。
 待ち伏せされたんや。

 諒さんと道坂さんの結婚式の様子がテレビの番組で放送されて数日が経った頃。
 仕事終わりに徳川と歩いていたら、とも子さんがボクの前に現れたんや。
 相変わらずのべっぴんさんやった。

 事情もなんも知らん相方が当然のように飲みに誘った。
 そんな流れで、ボクはその酒の席でのとも子さんの一挙一動から、いくつかの情報を読みとったんや。

 一つ。諒さんが結婚してしまったのが、ショックだったこと。
 二つ。しかも相手が『モテないお笑い芸人』だったのが受け入れ難いこと。
 三つ。そんな状況を打開(というより破壊)する道を探るべく、当時のことを知る唯一の人物――ボクに接触したこと。

 ハッキリとしたことは何も言わなかった。
 諒さんとの関係も、徳川の前では一切触れなかった。
 通ってた中学から輩出された芸能人の結婚話、でしかなかった。

 それでも、ボクには分かった。
 具体的にどんな言動が引っかかったのかまでは自分でもよう分からへん。
 いわゆる『第六感』ってやつや。

 とも子さんが、高橋夫妻を危機に陥れるかもしれん。
 
 少々常識から外れた行動をとる人や。
 あの諒さんでさえ、手を焼くほどやった。
 相手の気持ちなんてお構いなしに、勝手気ままに振り回す。
 ――たとえ法に触れるようなことになろうとも。

 とも子さんは、諒さんを手に入れたいはずや。
 だとしたら、道坂さんは邪魔な存在や。
 短絡的な発想をするなら、道坂さんを消しにかかる。
 ――ヘタしたら冗談抜きで命を狙ってくるかも分からん。

『トモに気をつけて』――もちろん、とも子さんのことや。
 道坂さんが大阪に来たら、とも子さんに狙われる。
 だから、諒さんが道坂さんを守ってください――という意味を込めての伝言……のつもりやった。

 それやのに、伝言は届いているはずやのに、諒さんは道坂さんから離れた。

 諒さんのことやから、何か理由があるはずや。
 単独行動をとらざるを得ない、何かしらの理由が。
 けれど、それがどれだけ危険なことなのか、諒さんはたぶんきっと分かってない。

 諒さんが大阪に来てるのは、ネットの波に乗っかって周知のことや。
 自身が宣伝してるブランドの服も着てたし、相当目立つ。
 道坂さんの身の安全は、ボクと一緒に無事にスタジオ入りを果たしたことで確保されている。
 ……となると、とも子さんが次に狙いを定めるターゲットは、

「おい、福山!」

 楽屋のドアが開くと同時に、怒鳴り声が響いた。
 瞬間、沈んでいた道坂さんが顔を上げたけれど、声の主が誰だか分かった途端、露骨に落胆の表情。

「おまえ、いきなりマクデンから飛び出して行きよったと思ったら全然戻ってこぉへんし、先にスタジオ行くんやったらせめて連絡くらいせえっちゅうねん」

 荷物を雑に置いたところで、徳川は道坂さんの存在に気づいた。
 道坂さんの眉間にめっちゃシワが寄ってる。
 けれども、普段からいつもそんな表情でいることが多いせいなのか、徳川は自分の登場が全く歓迎されてないことにも気づかず、愛想笑って道坂さんと軽く挨拶を交わす。

 なんちゅうか、こいつ、ほんまに間が悪い。
 こっちの事情もなんも知らんし、しゃーないことやけど、今日ばかりはちょっとどっか行っとって欲しい。
 無理やけど。
 
「……すまん。久々に諒さんに会うたから、おまえのこと忘れとった」
「おぉ、マジであの高橋諒が来てんの? オレ、会うたことないねん」
「ちょっと、徳川くん」

 眉間のシワをさらに深くした道坂さんが口を挟んだ。

「高橋くんのこと、呼び捨てにしないでくれる? 一応、私の旦那なんだから」
「あぁ、そうっすね。すんません」

 徳川は片手で拝んで軽く詫びる。
 そのテキトー加減に道坂さんも呆れたようやけど、そんなに本気で怒っているようでもなさそうや。
 細かいと言えば細かいけど、ある意味ではおおらかとも言えるかもしれん。

 そんなことより、と徳川が声を弾ませた。
 コントのネタでも思い浮かんだのかと、話を聞く姿勢を整える。

「さっき、ここ来る途中でとも子ちゃん見たで」

 何の脈絡もなく徳川が出したその名前に、心臓が止まるかと思った。

「……と、とも子、ちゃん?」
「ああ。この間、一緒に飲んだやん。中学が同じで、どえらいべっぴんの、とも子ちゃん。オレ、あんとき連絡先聞いてへんかったから、ちょっと声かけて聞こうかと思ったんやけど」

 徳川はもったいぶりつつ、残念そうにかぶりを振って、

「男と一緒やった。駅の近くのシティーホテルに入ってくとこ。さすが、とも子ちゃん、昼間っからようやるわ」

 シティーホテル?

 なんか嫌な予感がする。
 続きを聞くべきか、止めさせるべきか。
 でも、ここで話を止めさせるのは不自然のような気がする。

「……どんな男やった?」
「遠目やったからハッキリ分からんけど、そこそこイケメンやと思うで。まあ、オレにはかなわんけどな。ちょっとチビやったし」

 何の気なしに話を聞いていた道坂さんの目が動いた。

 しまった。
 無理矢理にでも話を止めさせるべきやったかもしれん。
 ……でも、もう遅い。

『そこそこイケメン』で『ちょっとチビ』。

 芸人の中では相当なイケメンで高身長の徳川が言うんやったら、そのままの言葉通りのイメージとは微妙に違う。
『そこそこイケメン』はかなりのハイレベルであるはずで。
『ちょっとチビ』ってのも決して背が高いとは言えない、といったところや。

 要するに。諒さんの特徴と合致する。

 もちろん、そんな男なんて大阪には他にもごまんと、とまでは言わんけど、チラホラぐらいはいるんやし、諒さんやない確率の方が絶対に……なんて。
 道坂さんの脳裏によぎってしまった不安は、確実な情報が得られん限り、そう簡単には拭えん。

「服装は?」
「服装?」
「どんな服着てたかって聞いてんのや。その、相手の男」

 一か八か、や。
 白黒はっきりさせたら、とりあえずスッキリする。

 白ならなんも問題ない。
 諒さんは今頃、腹が満たされてこっち向かってるか、道に迷ってるかのどちらかや。

 もしも黒なら――。

 固唾を飲んで、ボクと道坂さんは徳川の言葉を待った。
 徳川はここへ来る途中の記憶を探ると、あぁ、と膝を打って、

「阪神タイガース」
「……阪神タイガースぅ?」
「の、ユニフォームシャツって言うんかいな。あと、野球帽かぶってて。その辺の若い兄ちゃんや」

 徳川の言葉を聞いた道坂さんは、ふぅんと鼻で大きくため息。

 白や。諒さんやない。
 高級ブランドのスーツとタイガースを見間違うわけあらへん。

 それやのに、なんやこの引っかかる感じ。
 ザラッとする感じ。

 徳川が見かけた、とも子さんと一緒にホテルに入ってった男は、諒さんやない。
 そう断定してもええはずなのに、ボクの『第六感』がそれを許さへん。

 けれども、道坂さんには『第六感』ってやつが備わってないのか、何事もなかったかのようにテーブルに置いてあったペットボトルのお茶に口を付けた。

「なあ、福山。とも子ちゃんの連絡先、知らん?」
「知らん」
「オレ、もう一回会いたいねん。目が覚めたらオレだけベッドの上で裸やって、とも子ちゃん、おれへんもん」

 なんちゅう発言や。
 つき合いの長い相方のボクでもマジで引くわ。
 道坂さんもさぞかしどん引きしているかと思いきや、意外と通常レベルの仏頂面で、

「徳川くん、気をつけなさいよ。あなた達、いま勢いがあって一番いい時なんだから。相手が美人だからって食いまくってたら、そのうちハニートラップにひっかかるわよ」

 さらりとえげつないことを言ってのける。

「そこなんですよねぇ」

 徳川は、道坂さんの忠告に頷きながら、持論を展開した。

「東京に拠点を移したら、そういう可能性も高まるよなって。オレ、まだまだ遊びたいし」

 なぬっ!?
 上京の話をのらりくらりとかわしとったんは、ただ遊びたいだけやったんか、ゴラァ!
 ……と、楽屋のテーブルの一つや二つひっくり返したいところやけど、道坂さんもおることやし、我慢、我慢。

「それにしても、いくらなんでも遅いわよね、諒くん」

 道坂さんは壁掛けの時計を見上げて、ため息をついた。
 生放送の時間が近づいて、そろそろ準備を始めなあかん頃合いや。

「ねえ、福山くん。諒くんってば、いま何してるんだと思う?」

 何でそんなこと聞くねん。
 自分は何気ない質問を投げたつもりかもしれんけど、受け取るこっちの身にもなってもらわんと困る。

 諒さんは、とも子さんとシティーホテルに行ってるかもしれん……なんて、言える訳ない。

 第一、あり得んことや。
 仮に、諒さんが何かしらの理由でとも子さんと会うたとして。
 とも子さんが次のターゲットとして諒さんに狙いを定めたとして。
 諒さんがそれに応じるはずがない。

 道坂さんが信じてるのに、ボクが信じなくてどうする?
 ボクの『第六感』はあくまでもただの直感や。
 推測でもなんでもない。

「えぇ……そうですね、たぶんきっと、遅くなったお詫びにとかなんとかで、道坂さんが好きな食べもんでも買うてるとか……」

 思いつきでテキトーなことを答えてみる。
 そうであったらいいという期待を込めて。
 するとそこへ、

「こんなところにいたんだ。探したよ」

 ノックもなしに楽屋のドアが開いて、そんなに背の高くないハイレベルなイケメンが顔をのぞかせた。

 諒さんだった。

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