これがドッキリじゃなかったら、いったいなんなのよ。
遠くで沈む夕陽に、広くて人気のない駐車場。
周りの木々や建物の陰から、撮影できないこともないわ。
意味もなくチンピラに絡まれるなんて、古典的なパターン。
ほら、状況を把握すればするほど、ドッキリであることを否定できなくなっていく。
あのど真ん中で仁王立ちしてる女のコだって、どこかのタレント事務所に所属してるコに決まってるわ。
だって、女の私でも目がくらんじゃいそうなくらいの、絶世の美女なんだもの。
……ん? 『絶世の美女』?
「いい加減にしろよ。あんまりしつこいと警察に突き出すって言っただろ、とも子!」
諒くんは厳しい口調で、美女に向かって言い放つ。
……『とも子』?
「もしかして、あの美女が『とも子』ってコ?」
「そうです」
車の中で、一緒になって屈んで身を隠している福山くんが、私の疑問に答えてくれた。
「諒さんの中学時代のカノジョです。ちなみに、徳川が言うてた『べっぴんさん』のとも子さんも、同一人物」
「なによそれ。知らないって、諒くん言ってたじゃない。嘘だったってこと!?」
「……すみません。いろいろ事情がありまして」
福山くんは心底申し訳なさそうに、頭を下げる。
本来、謝らなきゃいけないのは諒くんよね、この場合。
「とにかく、できるだけ伏せててください。何かの番組の企画とか、ドッキリとか、全然そんなんとちゃいますから。間違っても、車の外に出んといてください」
「もし、うっかり出ちゃったら?」
「命の保証ができません」
真顔で言われてしまった。
これは……いわゆる『マジでガチなやつ』、だ。
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「いい加減にしろよ。あんまりしつこいと警察に突き出すって言っただろ、とも子!」
数時間前に宣言したばかりだ。
僕の周りの人間に、少しでも危害を加えるようなことがあったら、法的な措置を取らざるを得ない、と。
そんなことは僕にはできないと、タカを括ってるってことか。見くびられたもんだ。
どこからかき集めたのか、見るからにガラの悪い連中を背に、とも子は余裕の表情を見せる。
「諒、そろそろお芝居は終わりにしたら?」
「はぁ?」
とも子の発言の意味がまったく理解できない。
「諒が仕事一筋だってことは、分かってる。仕事のためならなんだってするって。でも、だからってプライベートをそこまで犠牲にすることはないと思うの」
「……何を言ってるんだ?」
「あなたが結婚したのは、好感度狙いでしょう? そうじゃなければ、あんなオバサン、あなたが相手するわけないじゃない。仕事のために結婚しただけの話で、本当はまだ、わたしのことが好きなのよね?」
「…………」
どういう思考回路してるんだ。
「好感度って言うけど、僕が彼女と結婚したから好感度が上がったなんて話、聞いたことないよ。だいたい、そんなものに頼らなきゃならないほど、仕事のできない人間じゃないよ、僕は」
「じゃあ、どうしてわたしが贈ったあのライター、まだ持ってるの? わたしのことが好きだからでしょう?」
いい加減、しつこい。
「僕が持ってたんじゃないよ。彼女に預けてあったんだ。僕には必要のないものだけど、捨てるのももったいないと思って……ただそれだけだ。深い意味なんてない」
「……煙草、やめたの?」
とも子の問いに、僕は頷いた。
信じられないとでも言いたげな表情で、とも子は首を横に振る。
「どうして? どうして、道坂靖子なの? どうしてあんなブサイクな女なんかと結婚したの?」
「どうして……って言われても」
「わたしの方が断然、美人なのに」
「そりゃぁ、彼女に限らず、とも子と比べたら誰だって見劣りするよ」
「歳だって、わたしの方が若いし」
「当たり前だよ。とも子は僕と同い年なんだから」
「あの女、インテリで売ってるけど二流大学出身じゃない。わたしなんて、関西一の国立大学出てるんだから」
「とも子が成績優秀だったことは覚えてるよ」
「性格だって悪いじゃない。下品だし、上から目線だし、無愛想だし」
「それは、あくまでも表向きの仕事でのキャラで……」
「じゃあ、普段はすごく性格のいい人間だってこと?」
「うーん……そういう訳じゃないけど……」
「ちょっと待ちなさいよっ!」
その声に振り向くと、いままさにボロクソに言われていた女芸人……いや、僕の妻が、車から降りて駆け寄ってきた。
「さっきから聞いてれば……ひどいじゃないっ。なんで私のこと一つも褒めてくれないのよっ」
「……みっちゃん、話がややこしくなるから車に戻ってよ」
「嫌よ。言われっぱなしで黙っていられないわっ」
あぁ……もう、面倒くさいな。
「ほら、ブサイクなオバサンが僻んでるじゃない。みっともない。こんな女のどこがいいの?」
とも子はここぞとばかりに挑発する。
僕は荒ぶる妻をなだめながら、なんだか疲れてしまってため息をついた。
『道坂さんのどこがいいんですか?』
例の公開(してしまっていた)プロポーズ以降、どこへ行っても聞かれた。
聞かれるたびに、照れて答えをはぐらかしているフリをしてきたけれど、正直なところ、毎度毎度過ぎるこの質問に、辟易してしまっている。
聞いてどうするのか、と。
共感してもらえるとは思えない。
共感してほしいとも思わない。
僕の感じる『彼女の良さ』なんて、僕だけが分かっていればいいことじゃないか。
だから、
「彼女のどこがいいのか、答えなきゃいけない理由はない」
「……そう」
とも子が、どこか諦めたような表情で呟く。
もちろん、これで仕方なく撤収しようという諦めではない。
あくまで、僕を説き伏せることを放棄しただけだ。
チンピラどもが気合い十分の戦闘態勢で、じわりと間合いを詰めてくる。
「諒くん! そんなやつら、やっつけちゃいなさいよっ。剣道部だったんでしょ!?」
背後から妻の声援が飛んできた。
……のはいいけれど、身に覚えのない言葉に思わず聞き返した。
「剣道部……?」
「中学のときよ。同じ剣道部だったって、福山くんに聞いたわ。『KENDOUS』も観てたわよ!」
あぁ、ずっと以前に出演したドラマのことだ。
ということは、剣道部というのは福山が機転を利かせてでっち上げた情報か。
……と納得しかけたところで、今度はとも子の背後がざわつきだした。
「おい、『KENDOUS』って、剣道のドラマだったよな?」
「ああ、ヤンキーが剣道部に入って、強くなっていくやつ」
「観てた観てた。一時期、憧れて剣道やってた」
「俺も」
それなら、更正するところまで真似てくれればいいのに。
「主役のヤンキーやってたの、誰だっけ?」
「あー、あれだろ? Hinataの高橋諒」
「……なぁ、あれ、高橋諒に似てね?」
ガラの悪い連中が、一斉に視線を僕へと集中させる。
なにを今更、だ。
「本人だけど?」
しれっと答えてみると、どよめきが起こった。
「あのドラマの主役が!?」
「本物だ。すげぇ!!」
どうやら概ね好意的な反応のようだけど、そんなことより。
「これから喧嘩する相手が誰なのか、知らずに集まってたなんて、間抜けにもほどがあるんじゃないの?」
僕は単なる素朴な疑問のつもりだったけど、
「あぁ!? ふざけんなっ。やんのかゴラァ!」
向こうは挑発と受け取ったらしい。
好意的な反応はどこへやら、だ。
火蓋は切られてしまった。
さて、どうしたものか。
こんな人気のない駐車場で、チンピラどもを従えたとも子と対峙せざるを得なくなった時点で、戦闘回避の可能性はほぼゼロだと分かってはいたものの、
「ウルァァアアアッ!」
目を血走らせて殴りかかってきた男の攻撃を、難なく避ける。
手段の選びようがない。
こちらからただの一度でも攻撃しようものなら、暴力行為がどうのと、自分たちの方から仕掛けた事実を棚に上げて騒ぎ立てるに違いない。
こちらが被害を受けてしまえば、正当防衛も成り立つのだろうけど、商売道具とも言える自分の身体には、できればアザ一つたりとも作りたくはない。
かといって、こうして延々と避け続けていたところで、いつまで経っても終わらないじゃないか、と。
ハッキリ言って、決めかねていた。
迷っていた、とも言えるのだろう。
「ひゃあああっ!!」
かわいくない悲鳴に振り向く。
僕の目に飛び込んできた光景は、妻に向かって、金属バットが振り下ろされる瞬間だった。