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03 8月30日→8月31日。

 8月30日。
 もうすぐ、夏休みも終わり。
 あたしは、朝からずっと家の電話の受話器を握り締めていた。
 
『Hinata』のデビューが9月半ばらしいから、この時期、静岡の家にはきっといない。
 だけど、何もしないではいられなかった。
 
 ……そうだ。電話をかけて、樋口がいなかったなら、もうすっぱり気持ちを切り替えよう。
 
 もうすぐお昼、というころに、あたしは思い切って樋口の家に電話をかけた。
 
『……はい。樋口ですけど……』
 
 ……え? お母さんじゃない。男の人? あ、兄弟とか、お父さんかな?
 
「あ、えっと……藤田といいますが、直くんは……いらっしゃいますか?」
『………………俺だけど』
 
 ……えええ? 本人!?
 
「……あっ、……樋口?」
『あぁ…………』
 
 なななななな、なんで樋口本人がいるの?
 
 いやいやいやいや、動揺してる場合じゃないっ!!
 なんのために電話したかって、本来、謝るためでしょう!?
 
『あ、……あのよ、このあいだは……』
「あのっ、このあいだは、ごめんねっ?」
 
 ……やった! 言えた!
 
『…………え? 謝るのは、俺の方だろ?』
「ううん、あたし、あの時びっくりしちゃって……。だって、樋口が……あんなことするなんて、思ってもみなかったから……」
 
 ……って、まるで樋口が悪いみたいな言い方じゃないの!?
 
『いや、だから……俺の方こそ、ごめんな? その……忘れてくれっ』
「……え?」
 
 忘れてくれ、って……どういうこと?
 
『何もなかったことに……って、やっぱ、無理か?』
 
 何もなかったこと……って。
 あたしが蹴りとばしたことも、樋口が……あんなこと言ったってことも。
 ……ってことよね?
 
「じゃぁ、いままで通り、友達ってこと?」
『あぁ、うん……。そう。……友達』
 
 何かが胸にグサッと刺さったような気がする……。
 
「…………うん、そうだね。友達……だもんね」
 
 ……そっか、そうだよね。
 やだな、あたし……どっかで期待してたみたい。
 
 え? 期待……って、何を……?
 
『……と、ところで、用件はなんなんだ?』
「え? 用件?」
『だって、業務連絡なんだろ? この電話』
「業務連絡?」
 
 ……なんだ、樋口にとっては、あたしはただのクラスメートでしかないんだ。
 
「何言ってんの? 違うよ。連絡網だったら、樋口の方から掛ってくるはずでしょ? 五十音順なんだから」
 
 あたしは、手に持っていた緊急連絡網の、あたしと樋口の名前の間にある矢印の向きを確認して言った。
 
『あ…………そうか。……じゃぁ、なんの用……』
「何って、だから……謝ろうと思って」
『あ……そうなのか? わざわざ?』
「……なによ。悪い?」
 
 こっちは、夏休み中ずっと悩んでたんだからっ!!
 
『いや……そうじゃなくて、その……ありがとな』
「え? あ、うん」
 
 ……あ、なんだ。
 樋口の中では、あの出来事はどうってことないことだったのかな。
 やっぱり……、単純に、あたしが失恋した現場を目撃しちゃったから、仕方なく声かけた、くらいなものだったんだ。
 
『じゃぁ、えっと……明後日の始業式に、ガッコーでな』
「えっ!?」
 
 学校……来るの!?
 え? あれ、もしかして、あの『Hinataの樋口直』は……似てるけど別人?
 
「あ、うん、学校……あ、そういえば、樋口、夏休みの出校日にいなかったよね。あの、文化祭のことなんだけど……」
 
 そっか、樋口は、やっぱり樋口なんだ。
 アイドルなんかに、なるわけじゃないんだ。
 なぁんだ。悩んで損した気分…………。
 
『文化祭? ……あ、ワリィ、俺、今年の文化祭は参加できそうにねぇんだけど』
 
 今度は、頭をガツンと殴られたような気がした。
 
「……え、そうなの? なんで?」
『……あの、実は……いろいろ事情があって、昨日まで東京にいたんだ。明後日の始業式には行くけど、その後また東京に戻るから、しばらくガッコーに行けそうにねぇんだ。』
「え? 東京?」
『あぁ……。文化祭って、10月の頭だろ? 次にガッコーに行けるのは、……そうだな、11月くらいか。だから……文化祭は、無理だな。』
 
 それは……やっぱり、アイドルデビューするから、ってこと?
 
「そっか……。なんか、ちょっと……さみしいな」
 
 この一か月以上の間、ずっと頭の中は樋口のことでいっぱいで。
 やっとの思いで謝ることができて。
 樋口はやっぱり、アイドルなんかじゃなくて、あたしのクラスメートの樋口なんだ、と思ったその直後にこんな展開。
 
 神様って意地悪だ……。
 
「……樋口さぁ、明日……忙しい?」
『え? 明日? ……いや、特に用事はねーけど。……なんで?』
「あ、あのさ、よかったら明日、どこか……遊びに行かない?」
 
 ……って、あたし何言ってんの!?
 あたし、馬鹿じゃないの!? そうだ、絶対馬鹿なんだ!!
 やっぱり、アイドルデビューする樋口を誘うなんて、あたし、どうかしてるでしょ!?
 樋口だって、こんな誘い断るはず――――。
 
『……あぁ、もちろん、構わねーけど』
 
 ほら、やっぱり、構わ……え? 構わないって?
 
「ほんと? じゃぁ……」
 
 なんか、自分でもこの展開についていけてないけど。
 あたしは、待ち合わせをするため、とりあえずパッと思いついた場所と時間を樋口に告げて、電話を切った。
 
 
 
 
 
 
 翌日。
 あたしは、なんでか待ち合わせの時間の一時間も前に、待ち合わせ場所である駅の改札口にたどりつきそうだった。
 
 男のコと二人っきりで出かける、なんて、実はあたし、初めてなのだ。
 うわぁぁ……緊張する。
 
 改札口を出てあたりを見回すと、こっちに背を向けて立っている、同い年くらいの男のコがいた。
 時折あたりを見回すようにしているその男のコの横顔が見えた。
 
 …………って、樋口じゃん!!
 
 グレーっぽいTシャツに、少し細身のジーパン。
 帽子やなんかはかぶってなくて……普通の高校生だ。
 
 あ、なんか、男子の私服姿なんて修学旅行くらいでしか見たことないから、ちょっとドキドキする。
 っていうか、樋口……ほっそいなぁ……。
 なんて、見惚れてる場合じゃないでしょ、あたし。
 
「……あ、……樋口?」
 
 背中越しに声をかけると、振り返った男のコは……やっぱり樋口だった。
 
「樋口、早いね。まだ、一時間前だよ」
「……っつーか、おまえだって、早ぇじゃねーかよ」
「あ、そっか、そうだね」
 
 あたし、馬鹿だな……。
 
 やっぱり、こうして見てみると、樋口って結構かっこいいんだなぁ……。
 なんで、いままで気づかなかったんだろう。
 ……って、だから見惚れてる場合じゃないんだってば。
 
「……あのさ、ほんとに……ごめんね? この間……」
「いや、だから、悪いのは俺だって……って、やめねーか、この話は」
「あ、そ、そうだね。……えっと、じゃぁ……どうしようか?」
「なんだ、どっか行きてーところがあるんじゃねーのか?」
 
 はっ……しまった。
 なんか、展開についていけなくて、何も考えてなかった!
 
「ううん、ただ、友達と出かけるって言ったら、この駅前しか浮かばなかっただけで……」
 
 ここは、正直にそう言うしかないよね。
 
「じゃぁ、とりあえずプラプラすっか? どっか寄って行きてーとこあったら、言えよ?」
 
 樋口とあたしは、並んで(……といっても、距離はあるけど)歩き出した。
 いま、あたしの隣にいる樋口は、普段と変わらない樋口だ。
 
『アイドル』なんて……やっぱり、ただの同姓同名で、同じ年で、顔が似てただけ?
 でも、そんなの偶然にしては出来すぎてる……。
 
 聞いてみたい。
『樋口は、アイドルになるの?』って。
 でも……、樋口の方から言わないってことは、隠してるってこと?
 
「……樋口はさぁ、東京へ行くって……就職するの?」
 
 なんか、ものすごく遠まわしに聞いちゃった。
 
「え? あ、……まぁ、そうだな。就職って言っていいんだろうな」
 
 ……なんだろう、この微妙な答え。
 はっきりと、『就職する』と言わないってことは、『どこかの会社に就職する』わけじゃないからってこと?
 じゃぁ、やっぱり…………。
 
「そっか……。すごいね。あたしなんて、やりたいこと……まだみつかんなくて」
 
 そうだ。あたしはただなんとなく、進学することを決めた。
 志望校だって、学力や場所で行けそうなところを適当に決めただけだ。
 なんか、ちょっと情けない……。
 
「俺だって、別にやりてーと思ってるわけじゃねーんだ。ただ、なんか……成り行きでな。今でも、まだ信じられねーんだけどよ」
「成り行きで? ……いったい、どんな仕事なの?」
 
 ……き、聞いちゃった。
 
「どんなって……」
 
 樋口は、口籠ってしまった。
 やっぱり……言いたくないの?
 
 突然立ち止まった樋口は、きょろきょろとあたりを見回して、何かを見つけたのか驚いた表情になった。
 視線の先には…………。
 …………!!
『Hinata』のポスター!!
 
 その『Hinata』のポスターが貼られたお店からは、名古屋のコンサートでも聴いた『Hinata』のデビュー曲が流れていた。
 樋口は、じっと『Hinata』のポスターを見てる。
 
 普通、男の子が男の子のアイドルのポスターなんて……真剣に見ないよね?
 似てるだけだったら、『こいつ、俺に似てるよな? 名前も一緒なんだぜ?』とか言うよね?
 じゃぁ、やっぱり…………。
 
「……ねぇ、まさか、コレ……樋口?」
 
 あたしはとうとう、そのポスターに映っている真ん中の男の子を指差して、言ってしまった。
 
「あ、…………あぁ、実は、そうなんだ」
 
 樋口は、少し困ったような顔で言った。
 
「なんか、成り行きでな、そんなことになっちまってよ……。おまえ、ハギーズとか好きじゃねーって言ってたから、知らなかっただろ?」
 
 樋口に言われて、あたしはうつむいてしまった。
 
『あたし……あたしは、知ってた。名古屋のコンサートで見たんだよ』
 
 なぜか、その言葉が出てこない。
 
 樋口は、更に困ったような様子で、
 
「……なぁ、おい、美里……」
「ああああああああっ!! そこにいるの、『樋口直』くんじゃない!?」
 
 突然の大声にあたしと樋口が振り向くと、中高生くらいの女の子が数人、樋口を指差して固まってる。
 
「ほらっ! そこのポスターとおんなじ顔!! やっぱり、『Hinata』の樋口くんだっ!」
 
 女の子たちが大声で騒ぐから、……わわわ、なんか、すっごい人が集まってきてる!!
 
「樋口、ど、どうしよう?」
「……しょーがねぇ。美里っ、走るぞっ!!」
 
 あたしは、樋口に手をひかれて、その人だかりから逃れるため走り出した。
 
 
 
 
 
 
 
 
「……っ……ここまで……くれば、……さすがに……追って……来ないね」
「……あぁ、……なんか……悪かったな」
「あたしは……全然……平気……」
 
 駅前から少し離れた住宅街にある公園で、あたしと樋口は疲れ果ててた。
 
「樋口……すごいんだね。あんなたくさんの女の子に追っかけられて……」
「……すげーのは、俺じゃねーよ。『ハギーズ』のネームバリューってやつだろ。あと、他の二人がかなりすげーやつらだしな」
 
 樋口は笑って言った。
 そんなこと……樋口は、樋口は…………。
 
「さっきのポスターの中の樋口は……、ちゃんとアイドルの顔してた。あたしのクラスメートの樋口とは……やっぱりどこか違ってた」
「……美里?」
「せっかく仲直りできたのに……樋口は遠くに行っちゃうんだね」
 
 名古屋のコンサートで感じた距離感。
 いま、こうしてそばにいるのに、樋口はもう遠い存在なんだ……。
 
 あたし、目頭が熱くなっていることに気づいた。
 
 泣いちゃいけない。
 
 そう思って、目を伏せた、そのときだった。
 腕に、一か月前と同じ感覚。
 
「……樋口?」
 
 グイッと引き寄せられて、あたしは、次の瞬間には樋口の腕の中にいた。
 
「……ごめんっ。友達だってことは分かってる。……分かってっけど、俺……」
 
 樋口は、それ以上何も言わず、ただずっと……、あたしを抱きしめてた。
 
 あたしは……何もできなくて、何も言えなくて…………。
 樋口の腕の中で、樋口の胸に額をくっつけてうつむくしかなかった。
 
 ただひたすら、涙が出てしまわないように。
 
 
 
 
 その夜、あたしは、一晩中泣き続けた。
 あたしは……樋口のことが好きなんだ。
 
 
 

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