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04 始業式。

 翌日の9月1日。
 一晩中泣き続けて、しかもほとんど眠っていないと、人間ってこんな顔になるんだ、と思った。
 
 ……すっごい、ひどい顔。
 今日は始業式だというのに……。
 
 そうだ、今日は始業式なんだ。
 樋口は、『始業式には来るけど、その後しばらく学校には来られない』と言っていた。
 もし、あたしが学校を休んだら、樋口はきっと気にするだろう。
 休むわけにはいかない。
 
 あたしは、鏡に映ったあたしに向かって心の中で言った。
 笑え、あたし。
 笑って、樋口を送り出すんだ。
 ……大丈夫。あんたなら、できるよ、美里。
 
 
 
 
 登校途中で、道端に座り込んでる樋口をみつけた。
 あたしは、その樋口に声をかけた。
 
 努めて明るく、ハイテンションで。
 
 そうだ、あたし、笑うんだ。
 樋口との残り少ない時間、悲しい顔なんてしていられない。
 
 
 教室に着くと、クラス中のみんなは盛り上がってた。
 クラスメートがアイドルになっちゃうんだから、当然だ。
 
 なんか、樋口とあたしが一緒に登校してきたものだから、付き合ってるんじゃないか、なんて言い出す人までいるけど、そんなのは完全否定。
 
 だって、付き合ってるわけじゃないし。
 それに、そんなこと変な噂にでもなったら、樋口に迷惑かかっちゃう。
 
「ほら、みんなさ、樋口もアイドルデビューするんだし、みんなだって卒業したらバラバラになっちゃうでしょ? 残り少ない時間をさ、有意義に過ごそうよ」
 
 それは、あたしの本音だった。
 樋口だけじゃなく、他のみんなとも、楽しく笑って卒業できたらいいな、と思ってる。
 
「おおーい、おまえら、うるさいぞっ! 早く席につけー!」
 
 教室に入ってきた担任の声に、みんなはがたがたと席に戻っていったけど。
 その日、担任が話したことと言えば、結局樋口のことばかりだった。
 
 先生が、教え子のアイドルデビューに浮かれてどうすんの?
 
 
 
 
 
 
 
「藤田さん、ちょっといい?」
 
 始業式が終わって帰り支度をしていると、クラスメートの田中さんに声をかけられた。
「ん? なに? あ、文化祭のアンケート? ありがとう、実はあんまり集まってなくて……」
「そうじゃなくて、……あの、樋口くんのことなんだけど」
「……え? 樋口?」
 
 田中さんは、どちらかというとクラスではおとなしめな感じの子で、彼女の方からあたしに声をかけてくるなんて、滅多にないのだけれど。
 それを、わざわざ声をかけてきてくれてて、樋口の話題、ということは……もしかして。
 
「あ……、あたし、樋口とはホントに付き合ってないよ? うん、ホント、全然」
 
 田中さんは、疑いの眼差しをあたしに向けている。
 
「今朝は、偶然途中で会ったから一緒に来ただけで……。あの、誤解だから。全然違うから……安心して」
「……安心?」
「え? 田中さん……樋口のことが……好き……なんじゃないの?」
 
 周りに聞こえないように少し小さめの声であたしは聞いた。
 
「わたしが? 樋口くんを? ……冗談言わないでよ。わたしは『SEIKA』の竹ノ原たけのはらくんが好きなのよ」
 
 ……えっと、アイドルの話をしてたつもりはないんだけど。
 
「じゃぁ、えっと……何?」
 
 田中さんは、うつむいてぼそっと呟いた。
 
「…………気に入らない」
「……え?」
「あなたのことが、気に入らないって言ってるの。だいたいね、藤田さんってみんなにいい顔してさ、ミエミエなのよね」
 
 ……『いい顔』?
 
「……どういう意味よ?」
 
 あたしが問うと、田中さんはまっすぐにあたしの眼を見て、
 
「今朝のあれ、なんなのよ。いい子ぶって、仕切っちゃってさ。樋口のことだって、夏休み前には会話なんてロクにしたことないくせに、アイドルになるって知ったとたんに近づこうだなんて」
「そんなこと……!」
 
 あたしは、別にそんなつもりは……!
 
「とぼける気? あたし、知ってるんだからね。このあいだのSEIKAの名古屋コンサート、あなた来てたでしょう?」
 
 あ……加奈と行った、あのコンサートのことだ!
 
「『ハギーズには興味ありません』なんて顔してたくせにさ。帰りの新幹線で見たのよ。あんたが、会場で配られたHinataのファンクラブの案内を、バカみたいな顔して眺めてるの」
 
 帰りの新幹線……。
 あたし、確かに……ファンクラブの案内用紙に載ってる樋口のこと、見てた。
 だけど……別に、樋口がアイドルになるから近づこうってわけじゃ……。
 
「なんだ、そーいうことかよ」
 
 教室の入り口から聞こえてきた低い声に、あたしは振り返った。
 
「…………樋口っ!」
 
 樋口は、自嘲気味に笑いながら、
 
「そーだよな。やっぱ、おかしーと思ったんだ。バカだよな、俺。全然気づかねーでよ。昨日も、心ん中で、俺のこと笑ってたんだろ?」
 
 そんな……樋口、違うよ。
 あたしが好きなのは……クラスメートの樋口なんだよ。
 
 でも……この状況でそんなこと……言えるわけない。
 
「…………そうだよ。あんたのことなんて、ほんとは全然興味ないわよ。名古屋のコンサートであんたを見たときはびっくりしたけどさ、他の二人の方が断然かっこいいし、あんたに近づけば、あの二人にも会えるかな、なんて思ってただけだよ」
 
 どうしてこんな、樋口を傷つけるようなこと平気で言えるんだろう。
 あたし……嫌なやつだ。
 
 田中さんが、樋口に何か言ってる。
 内容はよく分からないけど、樋口のことをバカにしてるってことだけは分かる。
 
 田中さんだって、あたしより樋口と話したことなんかないくせに。
 樋口がどんな人なのか、少しも知りもしないくせに――。
 
「きっとさぁ、あれよ、二人の引き立て役なのよ。出来の悪い人が一人くらいいた方が、バランスがとれるってこと――」
「そんなわけナイでしょ?」
 
 あたしが田中さんの言葉に耐えかねてブチ切れる(立場にないんだけど)直前。
 見知らぬ男のコが教室に入ってきた。
 
「……の、希!?」
 
 どうやら、樋口の知り合いらしい。
 ……って、その男のコの後ろには、『Hinata』の……えっと、名前は忘れちゃったけど、とにかく樋口以外の二人だ。
 田中さんはもちろんだけど、他のクラスメートもみんな、驚いて固まってる。
 
 男のコは、やじろべえを取り出して、なにやら樋口に説明してる。
 
「……この異色な二人をつないで支えていられるのは、樋口しかいなんだ。何百人、何千人と見てきたボクが言うんだ。間違いナイ。断言するよ。それに、樋口ならこの二人の成長に合わせて樋口自身も成長していける……そーいうチカラを持ってるよ、キミは」
 
 あたしにはよく分からないけど、『樋口はすごい人なんだよ』みたいなことらしい。
 
 話し終えた男のコは、これから仕事が待ってるということを樋口に告げ、
 
「どーする? もし樋口が、『辞めたい』って言うなら、ボクは止めないケド」
 
 と、生意気そうな顔で樋口に言った。
 
 樋口は……迷ってるの?
 
「名古屋でファンが待ってるよ、直くん!」
 
 男のコの後で、『Hinata』の二人のうちの一人が言った。
 すると樋口は明るい口調で、
 
「……チッ、しょーがねーなっ。この俺が、必要なんだろ? っつーか、ゲリラライブだっつーのに、誰が待ってるって?」
 
 と、男のコの頭をぐりぐりとなで、半ば引きずるようにしながら、『Hinata』の二人の待つ教室の入り口へと歩いていった。
 
 樋口は、教室を出る直前、振り返った。
 何かを決意した表情で、クラスメートのみんな、そしてあたしの顔を見回した。
 
 今日の担任の話では、樋口はデビュー後しばらくして落ち着いたら、補習を受けにきて、一緒に卒業できるって言ってた。
 だけど、そのときの樋口の表情――――。
 
 樋口は、右手を高くあげて、
「……じゃぁなっ!」と笑顔で叫んだ。
 
 きっと、樋口は二度と学校には来ないんだと、なぜだか確信した。
 樋口はきっと、『アイドル』の道を歩いて行くことを決心したんだね。
 
 がんばれ、樋口。
 あたし、応援してるからね。
 
 
 
 
 
 
「……なぁんか、すげーことになったな?」
 
 クラスメートの男子がつぶやいた。
 
「樋口って、俺らと変わらねー、フツーの男子高校生だと思ってたけどよー。あの二人に馴染んでるよな?」
「って、おまえハギーズに詳しいのかよ?」
「……お袋と姉貴がハギーズのファンだから情報はいろいろ。あの二人はハギーズでも相当スゲーやつららしくて……」
「すごいなんてもんじゃないわよ! 高橋くんも中川くんも、いつデビューしてもおかしくないってずっと言われ続けてたんだから!」
 
 突然、田中さんが叫んだ。
 
「……田中には聞いてねーよ」
 
 田中さんは、男子の声を無視して、あたしに向かって言った。
 
「藤田さんも、残念だったわね。樋口くんがあの二人を支えるくらいのすごい人って言われててさ。こういうのってさ、『逃した魚は大きい』って――」
「『逃した』んじゃナイよ。『放した』んでしょ?」
 
 田中さんのしつこいイヤミを遮ってくれたのは……。
 あ、またさっきの小学生くらいの男のコだ。
 
「キミさ、樋口にケリ入れてたコでしょ? いやー、アレ、見事だったよ」
 
 はぁ? まさか、あれ……見てたの!?
 
「なーんとなく、こーなるんじゃないかと思って、ガッコーまで来てみてよかったよ。いるんだよね、ハギーズの名前を聞いて、コロッと態度を変えるオンナのコ」
 
 男のコは、両手を外国人のように広げて、やれやれ、というような口調で言った。
 
「あ、あたしは……」
「うん。キミは、どーやら違ったみたいだね。おかげで、ボクがキミに説得する手間が省けて助かったよ。いま、樋口に抜けられたら困るんだよね、ホントは」
「……説得?」
「そー。キミがなんだかんだと樋口を誘惑でもして、樋口を持ってかれちゃったら、コッチが困るってこと。……まぁ、たいていのコは、こーいうモノで引き下がってくれるんだケド」
 
 と、男のコは背負っていたリュックから封筒を取り出した。
 触れなくても、……ううん、少し離れたこの位置からでも、その封筒の厚みが分かる。
 
 中に入っているものは、まさか…………。
 
「ま、キミには使う必要なさそうだね」
 
 男のコは、ニッと笑いながらその封筒をリュックにしまった。
 ……要らないわよ、そんなもの。
 
「キミにはね、感謝してるんだ。『Hinata』を完成させるキッカケになったのは、キミだからね。キミがあのときゴーカイなケリを樋口にかましてなければ、今回の『Hinata』のデビューはなかった」
 
 男のコは、まっすぐにあたしの目を見て言った。
 うわぁ……なんか、吸い込まれそうなくらいきれいな瞳……。
 
 ……って、あたしの蹴りが、なんで『Hinata』に関係あるのよ?
 
「だから、お礼にコレあげるよ」
 
 と、男のコはリュックから取り出したものをあたしに手渡した。
 
「これは……?」
「ソレね、『Hinata』のデビューシングルのCD。初回限定盤で、今回そんなにたくさん作ってナイから、結構貴重だよ。まだどこにも出回ってナイから、取り扱いには注意してね」
 
 ……なんでそんな貴重なものをこのコが持ってるんだろう?
 
「じゃ、ボク急ぐからもう行くケド……。樋口に何か伝えたいコト、ある?」
「伝えたいこと……?」
 
 あたし、受け取ったCDのケースを握りしめながら少し考えて、
 
「じゃぁ、『頑張って』って……」
「……リョーカイ」
 
 男のコはニッと笑って、足早に教室を後にした。
 
 
「美里……、いまのはいったい、なんだったの?」
 
 それまで固まって様子を見ていたクラスメートのうちの一人が言った。
 
「さぁ……。あたしも、よくわかんないんだけど……」
 
 そう言って、あたしは男のコから受け取ったCDに視線を落とした。
 
 その後、樋口は秋になっても学校に来ることはなく。
 翌年の3月、あたしは、樋口を除くクラスメートたちとともに卒業した。
 
 
 
 
 
 

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