スポンサーリンク

01 記憶の中の幼馴染。

 
 大人になったいまなら、子供同士のたわいもないただの口約束だったって分かる。
 だけど、当時六歳だったわたしには、とても……とても大事な『約束』だった。
 
 小指を絡めてニコッと笑った、幼馴染の『メイくん』。
 
 小学校に上がる直前に東京に引っ越したわたしは、彼の苗字も顔も忘れていったけれど。
『メイくん』という名前と、この約束だけは……ずっと忘れる事はなかった。
 
「さーちゃん、おとなになったら、ぜったいケッコンしようね。やくそくだよっ―――」
 
 
 
 
 
 
 
 
「……香……紗弥香さやか?」
 
 名前を呼ばれてハッと気づくと、そこはわたしが勤めている会社の給湯室。
 
「え……何?」
「『何?』じゃないよ。お客様にお茶出し終わったんでしょ?」
 
 ……そうだった。
 いまわたしは仕事中で、たったいま上司への来客にお茶をお出ししてきたところだった。
 
「いつまで経っても戻ってこないから、様子見に来たの。たぶん、ここでまた……『見てる』んだろうと思ってね」
 
 言いながら、同僚の紘子ひろこは、わたしの手元を指差した。
 わたしは慌てて手元を隠すように胸元にやった。
 
「やっぱり、見てたの? 『それ』さぁ、随分前のでしょ? いまと顔全然違うじゃん」
「そ……そんなことないし。ほら、いまの顔はテレビでもいっぱい見られるし……」
 
 わたしが言うと、「まぁ……確かに」と紘子はうなずいて、
 
「でも、いつまでも『アイドル』のことばかり考えてたら、嫁に行けないぞ? 紗弥香っていまいくつだっけ?」
「……二週間前に28になった」
「ほらほら、そろそろ現実に目を向けた方がいいんじゃない? と、言う訳で、今夜は仕事終わったら飲みに行くぞっ!!」
「それ、紘子が飲みたいだけでしょう?」
 
 わたしが軽く睨みつけるようにして言うと、酒好き紘子は「いやいやいやいや……」と首を横に振って、
 
「飲みたいのは、私だけじゃない。信雄のぶお聡史さとし文香ふみかも、メンバーに入ってる」
 
 ……いつものメンバーね。っていうか、今日は水曜日なんだけど。
 金曜日まで待てないのかな。
 
「今日は、ちょっとだけ足を伸ばして、いつもと違う店に行くから。18時に下に集合ね」
 
『下』というのはもちろん、会社のあるビルの一階の出入り口という意味。
 紘子は、わたしの肩をポンポンっとたたいて、給湯室を後にした。
 
「『嫁に行けない』…………か」
 
 そうつぶやきながら、わたしは手に持っていた一枚の写真に視線を落とした。
 
 とあるアイドルの、デビュー1、2年目くらいの時のブロマイド。
 裏に返すと、写真に写っている彼のプロフィールが書かれている。
 
『Hinata 中川盟なかがわ めい』。
 出身は、わたしが6歳のころまで住んでいた、長野県。
 生年月日は……わたしの誕生日の一週間後。
 
『もしかしたら』……って思うくらい、自由だと思う。
 もしかしたらこの人が、幼馴染の『メイくん』かもしれない―――って。
 
 だけど。
 もし、本当にこの人が『メイくん』だったとするなら。
 それこそ、わたしは嫁に行けない。
 
 だって、相手はスーパーアイドル。
 わたしみたいな、平々凡々な生活をしている28歳OLが、出会う機会もないし。
 まかり間違って出会う機会があったとしても。
 スーパーアイドルが、平凡なOLを相手にするはずがない。
 ましてや、幼いころのたわいもない約束を果たしてくれるはずもない。
 
『結婚』……かぁ。
 
 もちろん、わたしだってずっと『メイくん』のことだけ想い続けているわけじゃない。
 付き合った男の人の一人や二人……くらいは、いた(平均よりはかなり少ない……とは思うけど)。
 
 現実を見つめてないわけでもないんだけど。
 そもそも、『出会い』がないの。しょうがないじゃない?
 
 
 
 
 
 
「今日もお疲れ様っ! ってことで……カンパーイ!!」
 
 今夜やってきたお店は、会社から少し歩いたところにある、小さな居酒屋。
 商店街の中にある、個人でやってる(と思われる)ような、本当に小さなお店。
 ちなみに、いつもはこのお店とは逆方向にある、チェーン店の居酒屋に行くんだけど。
 
「ねぇ、きょうはどうしてこのお店なの?」
 
 わたしが聞くと、紘子は意味ありげに笑って、
 
「まぁまぁまぁまぁ……。とりあえず、飲みなさいっ。パァァっとね、パァァっと!!」
 
 と、わたしの背中をばしばしっと叩いた。
 わたしは紘子と違って、そんなにお酒に強くないんだけど……と思いながら、オレンジ酎ハイを一口飲んで、から揚げを頬張った。
 
 
 
 ****
 
 今日は水曜日。
 たいてい、水曜日は18時ごろに仕事が終わるから、他に予定がなければいつも近所の居酒屋で、晩飯がてら独りで地味に飲んでる。
 
 ボクはそんなにお酒は強くないんだけど、普段人前に出て緊張する(緊張してるんだって。『ウソだろっ?』とか思うだろうけど)仕事をしてるから、そうやって週一くらいのペースで誰にも邪魔されない自分の時間っていうの?そういうのを持つようにしてる。
 
 Hinataのメンバーとは、あまり一緒に飲みに行かないんだ。
 直くんは飲めないから論外なんだけど、高橋はホント、ザルみたいでさ。どれだけ飲んでも、酔わないんじゃないかな、あいつ。
 若いころに一緒に飲んだときに、あいつがものすごい飲むから、男として負けらんないっ!! って対抗意識燃やしたことがあってさ。
 ……勝敗? そりゃぁ……気づいたら高橋が当時住んでた部屋のソファに転がってたよ。要するに、『負け』ってことだよな。これはもう、認めるしかない。うん。
 
 スタッフとか共演者とか、大勢で飲みにいくのも楽しいんだけど、それじゃぁ結局仕事の延長みたいで気が抜けないじゃん?
 そういう部分でもさ、やっぱ独りで飲みに行くっていうのも……結構大事なプロセスだったりするわけ。
 明日からの仕事への活力、みたいな? そんな感じ。
 
 そんなわけで、ボクは今夜も近所の居酒屋『ひょっとこ』の暖簾をくぐった。
 
『ひょっとこ』の店内は、6人くらいが座れる座敷スペースが二つと、カウンター席が8席。
 なんか訳の分かんない置物が置いてあったり、昔の(……だよな?)ポスターが貼ってあったりする。
 
 この、いかにも『庶民的』なところが好きなんだよな。なんか、落ち着く。
 
 こういうお店って、若い人があまり好んでこないから、ボクにとってはありがたい。
 ボクが『Hinataの中川盟』だって気づかれたら、その時点でもうボクにとっては『仕事』になっちゃうわけで。
 
 もちろん、ちゃんと笑顔で対応するけどね。『営業スマイル』で握手するくらい、どうってことないけど。
 でも、心の中では『ボクの時間を返せよっ!!』とか思ってる。……ちょっとだけね。
 
 …………ん? あ、今日は珍しく若いお客さんがいる(しかも5人も)。
 男二人、女三人。……合コンか? いや、それじゃぁ人数合わないなぁ。
 
 ま、いいや。伊達メガネも掛けてるし……気づかれないだろ。
 一応、彼らから少し離れた席に座ろうっと。
 えーっと……あ、ちょうど店の一番奥のカウンター席が空いてる。ここにしよう。
 
 ボクは店の大将に、オレンジ酎ハイと適当におつまみを注文して、店のテレビで流れていた野球中継を眺めた。
 
「ぃよぉぉっしっ! 紗弥香の負けっ!! はいっ、罰ゲーム!!」
 
 なにやら、若い客たちが盛り上がってる。やっぱ、合コンか?
 
 何気なくその盛り上がってる方へと視線を向けると、20代後半くらいの一人の女のコががっくりとうなだれていた。
 
 あぁ、何かゲームでもしてて、この女のコが負けたんだ。なんか、いかにもそういうのに弱そう。
 かわいそうに……。どんな罰ゲームさせられるんだろ?
 
 
 
 ****
 
 
 
 
「ばっ……罰ゲームっ? そんな話、わたし聞いてないよっ!!」
 
 わたしが言うと、紘子はニッと笑って、
 
「だって、言ってないもん。そういうのは、後から言うから楽しいのよっ」
「……そういうもの? それって、ちょっとズルくない?」
「さぁ、紗弥香っ! 罰ゲーム用のクジ引き作ってきたから、好きなの引いてっ! そこに書いてあるのが、今回の罰ゲームの内容っ」
 
 わたしの意見は完全に無視され、紘子はカバンから取り出したクジをわたしの目の前に突き出した。
 ここで拒んでも、場の空気が悪くなるだけだし……。仕方ないか。
 
 わたしは、紘子の手から飛び出ているクジ(会社のコピー用紙で作ったんだ、きっと)から、ひとつつまんで引き抜いた。
 細長く二つ折りになっていたクジを開いてみると…………。
 
『罰ゲーム・きょうお店に一人で来ている異性の客にアタックしちゃうっ!!』
 
 …………え?
 
 なに? 『アタック』?
 ちょっと言葉が古いんじゃ……って、そうじゃなくて。
 
「な、なによこれ? どういう意味よ?」
「『どういう』もなにも、そういう意味よ。ほら、紗弥香、彼氏いないじゃない? もっとこう積極的にいかないとっ」
「……ちょっと待ってよっ。紘子、そのクジ、全部貸してみなさいよっ」
「えっ? や、紗弥香、これは……その、わああぁぁああぁぁあっ! だめだめだめだめっ!!」
 
 明らかに挙動不審の紘子から、残りのクジを奪い取って中身を見てみると……やっぱり。
 全部のクジに、同じ内容が書かれてる。
 
「紘子っ、これ、どういうことよ?」
「あぁぁ、紗弥香、怒らないでよっ。ほらほらほら……とにかく、罰ゲームをさ……」
「こんな仕組まれた罰ゲームなんて、やるわけないでしょっ!? だいたい、この店にいる人って……わたしたち以外はみんな、お……おじさんじゃないの」
 
 わたしは店内を見回しながら、後半部分はかなり声を落として言った。
 それを聞いた紘子は再びニッと笑って、
 
「いやいやいやいや……よく見てみなよ。ほら、そのカウンター席の一番奥。うちらと同じくらいの歳の男がいるじゃん?」
 
 紘子がこそっと指差した先には、確かに。
 わたしたちと同じくらい……か、少し若いかな? くらいの男性が、一人でお店のテレビを見ながら飲んでいる。
 
「ほら、あの人、メガネかけてるけどさ。紗弥香が愛してやまないHinataの中川くんに、雰囲気似てない?」
 
 紘子の言葉に、わたしは改めてその男性の顔をじっくり見た。
 うん。言われてみると、あの『Hinataの中川盟』に似てなくもない……かな?
 だけど……。
 
「わたし、別に『Hinataの中川盟』の顔が好きなわけじゃ…………」
「何言ってんの? 毎日毎日、飽きもせずブロマイド眺めてるじゃん」
「や、それは…………」
 
 それは、あくまで、『Hinataの中川盟』が幼馴染の『メイくん』かもしれない……と思っているからであって、決してその手の顔が好みなわけでは……。
 
「あの人ね、水曜日のこの時間になるとたいていこの店に来るのよ」
「……なんで紘子がそんなこと知ってるの?」
「前から何度か見かけたことがあるのよね、あの人。中川くんに似てるから、なんとなく気になってたの。で、水曜日にこの店に入ってくのを何度か見たってわけ」
「紘子が中川くんのファンなんだったら、自分で声かけてみたらいいんじゃないの? わたしは遠慮しとく」
「何言ってるのよっ。あんたが中川くんのファンだから、でしょ? この友達想いの紘子さんを感謝しなさいよ?」
 
 結局、わたしには拒否権はないのね。
 
「……わかった。じゃぁ、ただの罰ゲームと思って、いくだけいってみる」
 
 わたしが観念して言うと、紘子はニッと笑って(何度目?)、
 
「そうこなくっちゃ! 大丈夫、紗弥香ならやれるっ!! 頑張れっ!!」
 
『頑張れ』って……。
 見ず知らずの人からアタック(だから、古いと思うんだけど)されて、OKしちゃうような軽い人だったら……むしろわたしは嫌なんだけど。
 
「……で、どう言えばいいの?」
「そりゃ、直球勝負で――――――」
 
 紘子は、ごにょごにょとわたしの耳元で『直球勝負』の言葉をささやいた。
 
 
 
 ****
 
 
 
 ……なんかさっきから、そこの若い女のコたちがチラチラこっち見てる気がすんだけど。
 あ、指差してガン見かよっ。やっべぇ……気づかれたか?
 
 小声でしゃべっていた女のコの声が少しずつ大きくなって、会話の内容が聞き取れた。
 
「……紘子が中川くんのファンなんだったら、自分で声かけてみたらいいんじゃないの? わたしは遠慮しとく―――」
「何言ってるのよっ。あんたが中川くんのファンだから、でしょ? この友達想いの紘子さんを感謝しなさいよ?」
 
 げげっ……完全にバレてるじゃんっ。はぁ……もう面倒くさっ……。
 とりあえず、声を掛けられるまでは知らんふりしておこう。
 
 ボクはその若い客たちから顔を背けるようにして、オレンジの酎ハイのグラスに手をかけた。
 
「あ、あのっ、お食事中のところ、すみませんっ!!」
 
 ――あぁ、もう声掛けられちゃったよ。早いよ。
 ま、仕方ない。これが『ゲーノー人』の宿命ってやつだ。うん。
 
 ボクは半ば反射的に『営業スマイル』を作って、声がした方を振り返ると、そこにはさっきゲームで負けてうなだれていた女のコが立っていた。
 
「あー、はい。何か?」
 
 ボクが言うと、女のコはしばらく何か言いにくそうにうつむいていたけど、やがて、決心がついたのか、スッと顔をあげて、口を開いた。
 
「あ、あのっ、もしよかったら、わわわたしと、おおおお付き合いしていただけませんかっ!?」
 
 
 
 
 ――――――――――――――――――は、はいぃ?
 いま、何て?
 
 
 
 
 ****
 
「あ、あのっ、もしよかったら、わわわたしと、おおおお付き合いしていただけませんかっ!?」
 
 紘子から聞いた『直球勝負』の言葉をそのまま口にすると、眼鏡をかけたその男性はぽかんと口をあけて、ついでに目が点になった。
 
 当然の反応だと思う。見ず知らずの女の人から、突然『付き合ってください』だなんて……安物のドラマや漫画じゃないんだから……。
 
 はぁ……。とりあえず、罰ゲームはこなしたことだし、後はこの男性に謝って、今日はもう紘子たちを置いて帰ろう。
 
「あ、あの…………」
 
 わたしは、一言謝ろうと男性の顔を見ると、男性は顔を横に向けてププっと笑って、
 
「あぁ……なんだ、そういうことか」
 
 ……?『そういうこと』ってなんだろう。
 わたしが疑問に思っていると男性はわたしの方に向き直って、
 
「よかったらさぁ、一緒に飲まない? ここ、ひとつ席空いてるし」
 
 と、男性はわざわざ席をひとつずれて、お店の奥側の席を空けて、椅子を引いた。
 
「えっ!? あ、あの、でも、そそそんな、ご迷惑なんじゃ……?」
「全然。ほら、座ってよ。ボクが一杯奢るし。いきなり『付き合って』って言われても、さすがにすぐに返事はできないけどさ、とりあえず話だけでもしてみない?」
 
 男性は、眼鏡の奥でさわやかに笑って、続けた。
 
「……先に話しかけてきたのは、きみの方じゃん?」
 
 
 
 
 

0