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10 『ハッピーエンド』

 
 Hinataの新曲のプロモーションが終わった次の土曜日。
 わたしは仕事が休みだし、盟の仕事も夕方からだから、午前中からクリスマスプレゼントを買いに出掛けることになった。
 
 窓のカギ……よしっ。
 ガスの元栓……よしっ。
 点けっ放しの電気も、なしっ。
 あとは……。
 
「お~い、紗弥香っ。まだかよっ。早くしろよっ」
 
 盟は既に玄関でお気に入りのスニーカーを履いて、わたしを待っていた。
 
「ちょっと待って。さっきのマグカップが置きっ放し……」
「もぉー、そんなの後でいいだろ? ボク、3時半くらいまでしか空いてないんだって」
「分かってるけど……まだ9時過ぎだよ?」
「いいじゃん、一緒に出掛けるの久し振りなんだからさぁ。ここんとこ、どっぷり仕事だったし、プライベートの充実も大事なんだよ」
「それはそうだけど……」
 
 盟は、玄関でつま先を小刻みに動かして落ち着かないみたい。
 ん……あれ?
 盟をよく見ると、わたしと出掛けるときの必須アイテムを装着してない。
 
「ね、盟……、眼鏡と帽子は?」
「ん? あぁ、きょうは要らない」
「えっ……? でも、変装しなかったら目立っちゃうんじゃ……」
 
 わたしが聞くと、盟は自分の頬にかかる髪に触れながら、
 
「ん……まぁ、そんときは、そんとき。っていうか、おまえ、その格好で行く気?」
 
 と、指差したのは、わたしがまだ身に着けていた紺色のエプロン。
 
「だって、まだ片付けが少し残ってるし……」
「だから、帰ってからでいいって。……ほら、こっち」
 
 腕をグイッと引っ張って、抱き寄せられる。
 そのまま、盟はわたしの背中に手を回して、腰のところで結んでいたエプロンの紐をスルッと解いた。
 そして、外したエプロンとわたしを交互に見つめて、何やらうぅ~ん……と考えてる。
 
「……盟、どうしたの?」
 
 わたしが聞くと、盟はかぶりを振って、
 
「いや……『Hinata中川盟、熱愛発覚! お相手は紺エプの似合う同い年OL』。……なぁんてな」
 
 そう言いながらニッと笑って、玄関のドアをゆっくりと開けた。
 
 
 
 
 ここ数日、盟は妙に明るい。
 ……ううん、『妙に』と言うと『作ったようなハイテンションなのか?』と思われるかもしれないけど、そうじゃなくて。
 口数はあまり変化なく、仕事をしてるときの何十分の一ってくらい。
 バラエティー番組を見ながらテレビに話しかけたり、『週刊少年なんとか』を読んで爆笑してたりするのも、変わりない。
 
 じゃぁ、何が変わったのか? というと、わたしと話をするときの視線や表情。
 まっすぐにわたしの目を見て、自然に笑うようになった気がする。
 今年の初めに母が『あさ田』の屋根裏部屋から持ち帰ったアルバムの中の、幼い頃の盟みたいに。
 
 きっかけはたぶん、この間朝帰りした盟が買ってきた、女性向けファッション雑誌『en-en』。
 この雑誌に載っていた、Andanteのなーこ……ではなくて、盟と同じHinataの高橋くんなんじゃないかと思う。
 
 わたしがそう考えるようになったのは、2、3日前。
 スポーツ新聞から始まってワイドショーでも話題騒然の、とある記事。
 
『Hinata高橋諒とAndanteなーこ、熱愛発覚!!』。
 
 この話題を、わたしは会社の休憩室で紘子たちと3時のお茶をしてるときにテレビのワイドショーで知ったんだけれど。
 その日の夜、さりげなく盟にこの話題を振ったら、盟は何も語ってはくれなかったけど、顔は笑ってた。
 
 盟は、この二人が付き合ってるのを知っていた。
 その事実を忘れて、ずっと引きずっていた『あの人』のことも忘れてしまうくらい、なーこに夢中になってしまった。
 だけど、そのなーこが載っている雑誌に偶然連載していた高橋くんの写真を見て思い出して、自分は身を引くことにした。
 そして、『あの人』も『あのコ』もいなくなって空いた場所に入ることになったのが、たまたま身近にいた、わたしだった。
 
 ……なんて、もちろん、わたしの『推理』とも呼べないような、ただの『想像』でしかないんだけど。
 
 本当は、なーことは全く何もなかったのかもしれない。
 雑誌のことだって、ただ単純に、同じ業界の後輩が『かわいいよなぁ~』ってことなのかもしれない。
 さっきの、『Hinata中川盟、熱愛発覚! ――――なぁんてな。』って、まるでそうマスコミに取り上げられるのを望んでいるかのような言いぶりも、盟は高橋くんのことをライバル視してる部分があるようだから、高橋くんの熱愛発覚の記事を見て、対抗意識みたいなものを持ってしまったのかもしれない。
 ここのところ盟が妙に明るいのも、ハードスケジュールだった仕事が一段落して、ホッとしてるだけなのかもしれない。
 
 真相は分からない。けど……。
 
 テレビや雑誌の中で見せるものとは少し違う、穏やかな笑顔。
 珍しくつないだこの手は前後に揺られて……なんだか遠足に出かけた小学生みたい。
 そんな盟の楽しそうな顔を間近で見られるのがうれしくて……。
 
「……で、何が欲しいか、決めた?」
 
 盟のその問いに、わたしはゆっくりと首を横に振った。
 
「なぁんで決めてないのさ」
「だって、改めて『何が欲しい?』って聞かれても……浮かんでこないよ」
 
 わたしがずっと『欲しかったもの』。
 それは、大人になって出会った盟の無邪気な笑顔。
 きっかけはどうであれ、いまわたしはその笑顔を既に手に入れてる。
 もう……これ以上、何を望めっていうの?
 
 
 
 
 
 
 
 クリスマスプレゼントに選ぶために盟と一緒に足を運んだのは、時計屋さん。
 小さな店内のショーケースには腕時計を中心に、懐中時計や卓上時計がディスプレイされている。
 壁面の上の方には壁掛け時計。商品棚には目覚まし時計。
 そして、お店の奥の方の作業台には工具らしきものが並べられていて、たぶんここで修理したりするんだと思う。
 昔から親しまれている、『街の時計屋さん』って感じ。
 
 店内に入ると盟は自分から店員さんに声を掛けて、ショーケースを覗き込んだ。
 盟がわたしのために何かを選んでくれるなんて、たぶん初めてのことだと思う。
 うわぁ……なんだかとてもドキドキするっ。
 
 
 
 ****
 
 
 
「すんません、えーっと……クリスマスのプレゼントで、腕時計を考えてるんですけど」
 
 ボクが声をかけると、店員は穏やかに笑って軽くうなずいて、ボクの一歩後ろにいる紗弥香に聞こえないくらいの声で、
 
「ご予算は……」
「ペアで、これくらい……かな」
 
 と、紗弥香に見えないように指を立てて伝えたのは、30万。
 時計って、ある程度値段の張るものの方が長持ちするから、結局は安上がりじゃん。
 年齢も年齢だし、そろそろ『一生モノ』の時計を持ってもいい年頃なんじゃないかな、と思う。
 だから、ホントはもっと……100万くらい出してもいいくらいなんだけど。
 紗弥香の性格からして、そこまでいくと『高過ぎるから』って受け取ってくんなさそうだし。
 初めてのマトモなプレゼントで気合い入れ過ぎてもな……となると、だいたいこのくらいかな、と。
 ボクなりにいろいろと考えたんだよ、ちゃんと。ボクなりに。
 
 ちなみに、この時計屋って、店は小さいけど、ボクの知り合いの中じゃぁ結構有名なんだ。
 揃えてる品物の価格帯も数千円から上は数千万(誰が買うんだ)まで幅広いっていうし。
 何より、アフターサービスがしっかりしてるんだ。
 ここで買った時計は、値段やメーカーに関係なく、何十年でも修理を受け付けてくれるって、以前共演して仲良くなった大物芸人さんから聞いた。
 だから、この店で買えば結果的に『一生モノ』の時計になる……ってわけ。
 
 だいたいこの辺り、と店員が示してくれたショーケースの中を覗いていると、店員はさらに声のトーンを落として、
 
「……プロポーズ、ですか?」
「――――は?」
「最近、多いんですよ。プロポーズするときに、指輪の代わりに時計を渡される方。実は、僕もそのクチで」
 
 と、店員は自分の腕につけている時計を指差して見せた。
 
「『二人でこの先ずっと一緒に、同じ時を刻んでいく』という意味を込めて」
 
 うわっ……これは……もしかして『営業トーク』ってヤツかっ!?
 
「……い、いや、まだ、そんなんじゃないっすよ、全然っ」
 
 軽く手を振り、『その手には乗りませんよ』と意思表示して、ボクは再びショーケースに視線を落とした。
 
『二人でこの先ずっと一緒に、同じ時を刻んでいく』…………か。
 別に、プロポーズしようとか深い考えがあってプレゼントに腕時計を選んだ訳じゃないんだけど。
 一生モノの時計をペアで、と考える根本には、いずれは……という気持ちがあるから、ということは否定しない。
 
「……そういうのもアリかもな」
 
 ポロッと呟いて、ハッと顔を上げると、店員がしてやったりな感じで笑みを浮かべていた。
 もしかして、ボク……うまいこと乗せられちゃってる?
 
 
 
 ****
 
 
 
 
「こういうのなんて、どう?」
 
 そう言って、盟は何気ない様子で目の前に並んでいる腕時計を指差した。
 盟が好みそうな、実用性重視であまり飾りっ気のない腕時計。
 
 ……あ、これ、ペアになってるんだ。
 と、いうことは、盟とわたしとでお揃いの腕時計……ってこと?
 驚いて盟の顔を見ると、盟は穏やかに笑った。
 
 あぁ……そっか。もう、何も不安に思うことはないんだ。
 盟の中には、もう『あの人』も『あのコ』もいない。
 ちゃんと、わたしを見てくれてる。
 たぶん、これからもずっと――。
 
 再び腕時計に視線を移すと、その腕時計の値札が視界に入った。
 ……えっ? ちょっと、嘘でしょっ!?
 
「め、盟……これは、いくらなんでも高過ぎるんじゃない?」
「そうかなぁ。だって、ペアで15万だよ? むしろ、安いよ」
「盟の感覚では、でしょ? わたしから見たら、桁が違うの」
「桁? ……ちょっと待って。紗弥香がいましてる腕時計って、いくら?」
「……1980円」
「ええぇ!? マ、マジで!? そんなのどこで買ったんだよ?」
「……ディスカウントストアで」
 
 わたしがそう答えると、盟は店員さんと視線を合わせて、苦笑い。
 
「……ったく。んじゃぁ……こんくらい」
 
 不貞腐れたような顔をした盟が次に指差したのは、シンプルなアナログの腕時計。
 ベージュの文字盤に、ベルト部分はダークブラウンの革で、『ナチュラルかわいい』感じ。
 値段は、ペアで約5万。
 
「こんくらいなら、いいだろ? 仕事にもしていけるし、紗弥香が普段着てる服にも、合ってると思う」
「うーん……。でも、わたしにはちょっと高い気が……」
「そんな、2、3万の時計にビビるなよ。もし、調子が悪くなったりしても、ここで直してもらえばいいじゃん。そうですよね?」
 
 盟が店員さんに聞くと、店員さんは穏やかに笑ってうなずいた。
 そうは言っても……うぅ~ん……。
 すぐに決断できないでいると、盟はわたしの耳元で、
 
「……この店、言えば奥から数千万の時計が出てくるような店なんだぞ?」
 
 ――すっ、数千万っ!?
 おそるおそる店員さんの顔を見ると、店員さんはニコッと笑う。
 
「だから、これでいいよな?」
 
 盟はもう一度、さっきのペアの腕時計を指差してわたしに聞いた。
 もしわたしがここで首を横に振ったら、盟に恥かかせることになっちゃう……よね。
 わたしが無言でうなずくと、盟は心底ホッとしたみたいだった。
 
 
 
 
 
「盟……ありがとっ。大事にするね」
「あんまり大事にし過ぎて、どっかにしまったままにしとくなよ。ちゃんと使わなきゃ、意味ないんだからな?」
 
 言われて、わたしは小さくうなずいた。
 
 腕時計をプレゼントしてもらった、ということよりも。
 盟がわたしのことを考えて選んでくれた、ということの方がすごくうれしい。
 この腕時計の値段だって、スーパーアイドルをしてる盟は、平凡で安月給OLのわたしに随分歩み寄ってくれたんだと思う。
 そういうことって、結構重要だったりする。
 盟はあまり気にしてないのかもしれないけど。
 
「……あ、わたしからは、何をプレゼントしようかな。盟は、何がいい?」
「うん? いいよ。ほら、ボクも紗弥香とお揃いの腕時計買ったし」
「そんなの、ダメだよっ。わたしからも、何かプレゼントさせて」
「ん……じゃぁ、とりあえず歩きながら考えようぜ。立ち止まってたら、寒いだろ」
 
 言いながら、盟は空を見上げた。
 
 きょうは朝から分厚い雲が広がっている。
 今朝のテレビの天気予報では夕方から雨が降るって言っていたけれど、お昼前のいまにも降り出しそう。
 
「紗弥香、どうかした?」
「……え、何?」
「『何?』じゃないって。暗いよ、顔が」
「そ……そうかな」
「その時計、気に入らない?」
「そっ、そんなことないよっ。全然。シンプルでかわいいし、ほら、盟の車と色も似てるし、こういうの、好きだしっ」
「じゃぁ、そんな暗い顔すんなよ。こっちが不安になるだろっ」
 
 盟は笑って、コツンっとわたしの額を軽く小突いた。
 
 お揃いの腕時計と、盟の穏やかな笑顔がわたしの目の前にあって。
 期待しちゃいけないと思ってた『ハッピーエンド』への障害なんてもう何もなくて。
 数日前に母に頼んでおいた『あさ田』のそばを大晦日に茹でてあげたら、盟はどんな反応するんだろう、なんて考えてる自分。
 
 だけど、どうして……かな。
 きょうのこの、いまにも降り出しそうな空みたいに、心がざわついて落ち着かないの。
 不安に感じる要素なんて、どこにもないはずなのに――――。
 
 
 

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