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11 強がる心、さまよう視線。

 
「お二つで、19,600円になりますね」
 
 店員のお姉さんは、にこやかに言った。
 
 ショーウィンドウに飾られていた男女のマネキンが着けていたマフラー。
 その深いグリーンが盟のイメージにピッタリで、正体不明の不安な気持ちを振り払うように、半ば衝動的にお店の中に入ってきてしまった。
 マネキンに背を向けて、ショーウィンドウのガラスにもたれてる盟が店内から見える。
 斜め向かいのケーキ屋さんを眺めているみたい。
 
 わずかに首を傾けた店員のお姉さんは、ニコッと笑った。
『どうされますか?』と、表情で言っている。
 つまりは、『このマフラー、買うんですか? 買わないんですか?』と。
 
 普段のわたしなら、愛想笑いをしながらその場を立ち去っているところだけど。
 いまのわたしは、この店員のお姉さんが告げた値段に、正直言うとホッとしている。
 
 数千万の時計を扱ってる時計屋さんと同じ街にあるお店なわけだし、数十万とか数百万とかするんじゃないかと……内心は思ってた。
 盟も、『1,980円の腕時計してた紗弥香がビビるような値段なんじゃない?』なんて冗談半分で言ってたし。
 何も買わずに店を出て、『やっぱり盟の言う通り、高かった』とか言っても、きっといまの盟なら『ほら、やっぱボクの言った通りだっただろ?』なんて言いながら笑ってくれるんじゃないかな、と思って。
 
 だけど、この値段なら、買える。
 12月に入ってボーナスも出たし。
 決して安くはないけれど、シンプルなこのデザインは流行に関係なく使えそうだし。
 
「あの、じゃぁ……お願いします」
 
 店員さんが紙袋に入れてくれたマフラーを受け取る。
 ショーウィンドウのガラス越しに盟の方へと視線を向けると、盟は誰かと話をしていた。
 
 ……誰? 女の人?
 
 いつもと違って帽子も眼鏡もないから、『Hinataの中川盟』って気づかれて、道行く人に話しかけられた……とか?
 だとしたら、いまお店から出て行きづらい。
 道行く人が盟から離れるまで時間を潰そうと身体の向きを変えて、次の瞬間、わたしは自分の大きな勘違いに気づいてしまった。
 
 ――――違う。ただの『道行く人』じゃない。
 ピンクのニットキャップを目深にかぶって、眼鏡をかけているこの女性。
『Andante』の、なーこ……!!
 
 盟と話していたなーこは、何かを否定するように、自分の目の前で両手をバタバタと振った。
 そして、二、三度盟と言葉を交わして、今度は力強く頷く。
 
 ……何? まさか、もしかして。
『あの熱愛報道は間違いで、高橋くんとは付き合ってなんかないよ』という否定。
『なーこが好きなのはボクだよな?』という盟の言葉に、頷いた……?
 
 ……やだ、わたし、何を考えてるの?
 きょうの盟はちゃんとわたしのこと見てくれてた。
 それが嘘でも演技でもないってことくらい、わかってる。
 だけど、お店のドアの取っ手に掛けてるこの手が震えて止まらない。
 視線もガラス越しに見える二人から外せない。
 
「大丈夫ですか? どうかなさいました?」
 
 店員のお姉さんに声を掛けられて、でも何も返事ができない。
 うまく呼吸できてるかどうかすら、わからない。
 視線の先にいるなーこが、突然顔をくしゃっと歪ませた。
 口をへの字に曲げて……その歪んだ顔に、盟の手が伸びる。
 
 ――――嫌っ!! やめてっ!!
 
 気づいたら、わたしはお店を出て二人の前にいた。
 わたしがお店を飛び出した瞬間、盟はなーこの顔に伸ばしかけていた手をパッと引っ込める。
 
「ごめんね、待たせて……」
「あ、あぁ。……か、買ったのか?」
「うん。ちょっと高かったけど、クリスマスだし、奮発しちゃった」
 
 何も知らないフリをして、笑顔を作って盟に言った後、わたしはなーこの方へ視線を向けた。
 なーこも、それまで俯けていた顔をゆっくりと上げて、わたしの方を見た。
 涙を流して、『あなた、誰?』と問うようにわたしを見つめる不安げな瞳。
 
 何をそんなに不安になることがあるの?
 テレビや雑誌で見るより控え目なメイクも、それが涙で崩れてるのさえ、絵になるほどかわいくて。
 不安になるのは、できることならこの場から走って逃げ去ってしまいたい……何を取っても平凡なわたしの方なのに。
 
 無言のままのわたしとなーこの間の重たい空気を振り払ったのは、それまで困惑の表情を浮かべていた盟だった。
 
「――あ、あのさっ、このコ、……友達の……妹なんだ」
 
 と、盟はなーこを指差した。
 
 友達の、『妹』?
 そんなありきたりな言い訳、と一瞬疑って。
 でも、わたしに向けてる盟の視線がまっすぐなことに気づいた。
 誤魔化してるわけじゃ……なさそう。
 
 盟はニッと笑って、今度はわたしを指差しながら、
 
「奈々子、えっと……この人、ボクの彼女。紗弥香って言うんだ。おまえの兄貴の彼女より、いい女だろっ?」
「……………………彼女……?」
 
 ほとんど聞き取れないくらい小さく呟いたなーこは、わたしに向けていた視線をゆっくりと盟の方に移した。
 
 わたし、『嫌な女』だ。
 盟が、わたしのことを『ボクの彼女』と紹介してくれたことも、もちろん単純にうれしいけど。
 それよりも、目の前にいる、このお人形のように可愛らしい女のコが、その言葉に対して衝撃を受けてること。
 それに気づいてしまって、少なからず優越感を抱いてる。
 
「盟、込み入った話だったら、わたし……席外そうか? えっと……ななこ……ちゃん? よかったら、これ使って……」
 
 わたしは、カバンの中からハンカチを取り出して、涙の跡が残っているなーこに差し出した。
 親切心なんかじゃない。
 涙の理由に盟がどう関係していようと、わたしは動揺なんてしないし。
 いま、ここで盟をなーこと二人っきりにしたって、わたしは全然、平気なんだからっ!!
 
 
 
 
 
 
 
 なーこは、『これから仕事なんだ』と言い残して、勢いよく走り去っていく。
 盟はその様子を、ただ茫然と見つめていた。
 
「あ……ごめんな? なんか、気ぃ遣ってくれたのに、あいつ……昔っから泣き虫でさ。あいつの兄貴が妹をほったらかしにするから、ボクがとばっちりを受けてるんだ、いつも。ホント、まいるよな」
 
 普段、仕事の愚痴を言うのと同じように、盟は口をへの字に曲げた。
 
『気ぃ遣ってくれたのに』。
 
 盟のその言葉に胸が痛む。
 全然、そんなんじゃない。『余裕』があるように見せて、あのコを追い払いたかっただけ。
 今だって、あのコを追わずに、盟がこうしてわたしの隣にいてくれてること……本当は抱きついて泣き叫びたいくらい、うれしいの。
 ……だけど。
 一人の女のコを傷つけておいて、自分だけ、はしゃぐなんて……やっぱりできなくて。
 そっと盟の手を握って、笑顔を作るのが精一杯だった。
 
「盟は一人っ子だから、あんなかわいい妹さんがいるお友達が、うらやましいんでしょう?」
 
 わたしが聞くと、盟は『その通り』とでも言うように、苦笑い。
 
 ……そっか。
 盟にとっては、本当に、なーこは昔から知っている『友達の妹』なんだ。
 
『Andanteのなーこ』には、『泣き虫』のイメージなんて全然ないけど。
 そこは、盟だって仕事ではHinataの中で一番よくしゃべってるけど、家ではかなり無口だし。
『友達の妹』なら、共演した歌番組で見つめ合って笑ってたのだって、別に不自然なことじゃない。
 ドロドロの不倫ドラマを見ながら微笑んでいたのだって、『友達の妹』を見守ってただけ。
 盟が、あのコのことを好きかもしれない、なんて。
 わたしのただの早とちり……だったみたい。
 
 
 
 
 
「……ねぇ、さっきのななこちゃんのお兄さんって、どんな人?」
 
 ファミレスで、運ばれてきた豚生姜焼き定食とそぼろ丼セットを前にして、わたしは盟に聞いた。
 盟が『昔から知ってる』っていうくらいだから、きっと高校の頃の友達だったりするのかな、と思って、本当に何気なく……聞いてみたんだけど。
 盟はお箸を持ったまま、左手で頬杖をついて、豚生姜焼きに手を付けるでもなく、わたしの質問に答えるでもなく。
 テーブルの端に置かれている爪楊枝の束の辺りで視線をさまよわせていた。
 
 ファミレスの順番待ちしてるときから、盟はずっとこんな調子。
 何度話しかけても、すぐには返事が戻って来ない。
 暗い顔して考え事をしていることは前からよくあったけど、いまの盟は、ただ『暗い』んじゃなくて……何かに『困惑』してるみたい。
 
 気づいた、のかもしれない。
 ずっと『友達の妹』だと思ってたあのコが、自分のことを好きなんじゃないか……って。
 
「……盟、聞いてる? 頬杖ついてたらお行儀悪いよ?」
 
 ねぇ、盟。わたしの気持ちにも気づいてよ。
 盟にとっては、わたしは『形だけの彼女』かもしれないけど。
 わたしは、盟のこと……本当に、大好きなんだよ。
 
 寝癖がついてる盟も。
 無口な盟も。
 少年マンガに夢中な盟も。
 盟がテーブルに置きっぱなしにしたマグカップだって。
 盟が脱ぎ散らかした服だって……。
 
「――盟っ?」
 
 周りに迷惑にならない程度に大きな声で呼びかけると、盟はようやくわたしの方へと視線を向けた。
 
「あ……な、何?」
「『何?』じゃなくて……早く食べないと、冷めちゃうよ。要らないなら、わたしがもらっちゃうけど?」
「ああっ! く、食うに決まってるだろっ!! ちょっ……待てっ!! ボクの生姜焼きぃぃぃ!!」
 
 わたしが生姜焼き一枚を口に運ぶと、盟はエサを取り上げられた子犬のように哀しげな眼をして、がくっとうなだれた。
 
「五枚しかないんだぞ? 五枚しかない生姜焼きの一枚を食っちまうなんて……」
「盟が、わたしの話、聞いてないからだよ」
 
 わたしが口を尖らせていうと、盟は顔を上げた。
 
「あ……ごめん。ちょっと考え事してた。……で、何の話?」
「……きょうはこれからどうするの? って話。プレゼントはもう買ったし、用事は済んだでしょう?」
「ん……そうだな。えーっと、いま……12時40分。食い終わるのが、1時ってとこか。一度家に帰ってもいいけど……きょうの職場はここからの方が近いんだよな……」
 
 お箸を置いて腕組みをした盟は、うぅ~ん……と考えこんで、
 
「……よし、決めた。ラブホ行こうぜ」
「――――え?」
「この間見た深夜番組で、『ラブホ特集』やってたんだよ。最近のラブホってすんごい面白いんだって。んで、それで紹介されてたとこが、確かこの近くにあったはず……」
「ちょっ……昼間っからそんな話……」
「何言ってんだよ。ボクには昼も夜も関係ないっての。ほら、仕事の時間が不規則だろ? きょうだって、帰れるのはたぶん夜中の2時か3時だぞ」
 
 そういう意味じゃなくて……『ランチ時で満席のファミレス』という状況でする話じゃないでしょうっ?
 
 わたしが半ば呆れていると、盟は急に真面目な顔つきになって、
 
「ボクん家からだと、2時間近くかかるけど、ここからなら乗り換えの回数も少ないし、1時間くらいあれば帰れるだろ?」
「……え? どこに?」
「おまえの実家。ボク、きょうは帰り遅いし、明日は朝から事務所に行くし……。それに、ここんとこ、ボクんとこに泊まりっぱなしだったから、たまには帰って親を安心させとくのも必要じゃん?」
 
 そう言った盟は、再びお箸を手に取って、定食についているお味噌汁をすすった。
 
『たまには帰って親を安心させとくのも必要じゃん?』。
 
 盟が、そんなことを言うなんて。
 初めてのデート(……と呼んでいいのかどうかは置いといて)の時は、『門限がないなら、帰らなくても問題ないよな』なんて、強引に泊まらせたのに。
 
「紗弥香、それ、食ってもいい?」
「……ん? 何?」
「その、ミニそば。おまえのだろ?」
「あ、うん。……いいよ、食べて」
 
 わたしとの『これから』のこと、考えてくれてるんだよね?
 もう、不安になる必要なんて、ないんだよね――?
 

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