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13 約束は時の流れに。

 
 わたしが『中川盟』と三度目に出会ったのは、彼と別れてから三年後のことだった。
 
「――あ、また、時計止まってる」
 
 一年くらい前に、紘子が(半ば強引に)セッティングした合コンで意気投合したことから付き合い始めた現在の彼氏、裕介ゆうすけくんとのデート中。
 使い続けて馴染んだ腕時計を見つめながら、わたしはため息をついた。
 
「さやちゃん、この間、電池交換したんじゃないの?」
「ん……そうなんだけど。やっぱり調子悪いみたい」
「新しい時計、僕が買ってあげようか? ほら、もうすぐクリスマスだし」
 
 ……クリスマス。
 そういえば、盟にこの腕時計をクリスマスプレゼントとして買ってもらったのも、今日遊びにきたこの街だった。
 
『――――そんな、2、3万の時計にビビるなよ。もし、調子が悪くなったりしても、ここで直してもらえばいいじゃん――――』
 
 呆れた表情の盟の顔が浮かんで……なんだか懐かしいな。
 まさか、その日のうちに別れの時が訪れるなんて、思ってもみなかった。
 
 あれからのわたしは、相変わらず平凡なOL生活を続けてる。
 
 二時間近くかけて出勤して、電話の対応、お茶出し、書類の整理……と仕事をして、また二時間近くかけて帰宅。
 ……最近は、現在の彼氏の家から出勤(電車で約30分)することも、たまにはあるけれど。
 その辺りも含めて、これといって特筆できるようなことは何もない。
 強いて言うなら……三十路を過ぎてしまったことくらい。
 
「この時計買ったお店、すぐ近くだから、寄っていってもいい? 気に入ってるから、できれば直してもらいたいの」
 
 快く頷いてくれた裕介くんとともに、記憶を頼りに探し歩くこと五分。
 あの時と何も変わらない、小さな時計屋を無事に見つけ出して、わたしはそのお店の自動ドアの前に立った。
 
「――いらっしゃいませ」
 
 裕介くんと一緒にお店に入ると、奥から店員さんの声が聞こえた。
 確か、お店の奥には作業スペースみたいなところがあったはず。
 そちらへ視線を走らせると、既に先客と思われる男性が一人、こちらに背を向けて椅子に座っていた。
 
 椅子の背もたれに無造作にかけてあるのは、深いグリーンのマフラー。
 わたしがいま身に着けているワイン色のものとお揃いの――――。
 
 店員さんがその男性に小声でなにやら耳打ちすると、彼はゆっくりと振り返って、わたしの方へと顔を向けた。
 
「紗弥香……」
 
 目を見開いて、わたしの名前を口にした彼の声……三年前と変わってない。
 
「……あれ? もしかして、Hinataの中川盟? さやちゃん、知り合い?」
 
 背後から、裕介くんがわたしに聞く。
 その問いに、どう答えようかとわたしが迷うよりも先に。
 彼は――盟は、ゆっくりと立ち上がると、フッと穏やかに笑って、こう言った。
 
「幼馴染なんですよ、昔、長野に住んでた頃の。……な、紗弥香?」
 
 
 
 
 
 修理に少しだけ時間がかかると聞いて、裕介くんは、外で待ってるから、とお店を出た。
『幼馴染なら、積もる話もあるでしょう?』って。
 
 もちろん、話したいことはたくさんある。
 だけど、わたしは何も言葉が出てこなくて……。
 盟と二人で修理カウンターの椅子に並んで座って、ただ盟の横顔を見つめるしかできなかった。
 
 そんなわたしに、盟は右手を差し出して、
 
「……覚えてるか? 昔、約束したこと。こうやって、オレ、言ったんだよな」
 
 言いながら、わたしの右手をとった盟は、自分の小指をわたしの右手の小指に絡ませた。
 
「『大人になったら、結婚しようね。約束だよ。』……ってさ」
 
 向かい合って、小指を絡ませたまま、盟は伏し目がちに口をつぐんだ。
 
「気づい……てたの? わたしが幼馴染だ、ってこと……」
 
 わたしが聞くと、盟はゆっくりと絡めていた小指を放すと、静かに首を横に振った。
 
「全然、気づかなかった。いや、『もしかしたら』って、思ったこともあったんだ。でも、あり得ないって……確かめようともしなかった」
「じゃぁ、どうして……」
「……一年くらい前かな。実家に……長野に帰ったときに、母さんから昔のアルバム見せられてさ、気づいたっていうか……分かったんだ。子どもんときのオレの隣で、笑って写ってる『さーちゃん』が、『どっかで見たことあるな』って思ってよく見たらさ……」
 
 いったん言葉を切った盟は、自分の胸のところを親指で指して、
 
「ここんとこに付いてる、幼稚園の名札に書いてあった。『あんざい さやか』って。ホント、マジびっくりして……何のために長野まで帰ったんだか、忘れるところだった」
 
 そう言って苦笑いしながらカウンターに頬杖をついた盟の左手には、薬指に金色の指輪。
 
 平凡な生活をしているわたしと違って、盟の方はあれからいろいろとあったようだけど。
 この間見たトーク番組では、『毎日楽しいし、幸せですよっ。なぁ?』なんて言いながら、隣にいた高橋くんの背中を叩きながら言っていた。
 ここ数か月、テレビの画面を通して見る盟は、いつも笑顔。
 言葉通り、本当に幸せ……なんだよね、きっと。
 
「ねぇ、盟」
「ん?」
「わたしが幼馴染だったって知って、少しは後悔した?」
「……何が?」
「わたしと、別れたこと」
 
 わたしが冗談っぽく聞くと、盟は視線をさまよわせて、無言のままうつむいてしまった。
 気のせいか、盟の顔がやつれて見える。
 ……うまくいってないの?
 
「……ちゃんと、食べてる?」
 
 そう聞くと、盟はほんの少しだけ、笑った。
 
「ん……食ってるよ。そんな、心配すんな」
 
 それきり、盟は自分のことは何も語らなかった。
 その代りに、わたしの家族のことや、新しい彼氏のことばかり聞きたがった。
 付き合ってた頃は、盟の愚痴を聞くばかりで……わたしが自分のことを話しても、盟は流すように聞いてるだけだったのに。
 
 カウンターの奥から店員さんに声をかけられて、視線をそちらへ移すと、二つの腕時計が並べて置かれていた。
 同じ時刻を指して、秒針の動きまでまったく同じ。
 
「……紗弥香。一つだけ、約束してほしいんだ」
 
 並べて置かれていた腕時計の、小さい方を手に取った盟は、向かい合って座ってるわたしの左腕にそれをつけながら言った。
 
「子どもんときの約束を果たせなかったこと。そりゃぁ、ガキの頃のことだし、おまえが引っ越しちまってからは顔も名前も忘れてたけどさ。でも、この東京で再会して……もしかしたら、約束も果たせてたかもしんないと思うと、やっぱ悔しいんだ。だから……」
 
 盟がそこで言葉を切ると、すっ……と盟の腕がわたしの方へと伸びてきて。
 次の瞬間には、わたしは盟の腕の中にいた。
 
「……おまえは、幸せになってくれよ。幸せになるって、約束してくれ。じゃないと、オレ……」
 
 強く強く抱きしめられて……ジャケットの上からなのに、盟の鼓動を感じる。
 
「盟……?」
 
 一瞬の間を置いた後、腕の力がゆるめられて、ゆっくりと身体が離れていく。
 
「……ごめん。何でもない」
 
 そんなに辛そうな顔して、『何でもない』なんて……嘘だよ。
 だけど……わたしには、聞けない。
 時計の指し示す時刻は同じでも、わたしたちにはお互い別の時が流れてる。
 
「ん……分かったよ。約束する。幸せに……なるよ」
 
 精一杯の笑顔でわたしが言うと、盟は泣きそうな顔を少しだけ緩めて、笑った。
 
「じゃぁ、オレ、行くわ。……あぁ、そういえば、これ」
 
 と、椅子の背に掛けてあった深いグリーンのマフラーを手に取った。
 
「あったかいから、すんごい重宝してる。毎年使ってるよ。『着てる服に合ってねぇっ!』って、直くんに言われることも……たまに、あるけどな」
 
 ニッといたずらっぽく笑ったあと、ふっと真顔に戻って、言った。
 
「ありがとう……な」
 
 
 
 
 
 
 
 盟が小さな時計屋から出ていくその背中を見送った後、わたしは店員さんに尋ねた。
 
「あの、修理の代金って……」
 
 すると、店員さんは穏やかに微笑んで、
 
「要りませんよ。あなたがいらっしゃる前に、彼から言われてるんです。もし、あなたがこの店にくることがあったら、修理代金とか全部、事務所を通して彼に請求するようにって」
「わたしが来る前に……?」
 
 背後で自動ドアが開く音が聞こえた。振り向くと、店内に入ってきたのは裕介くんだった。
 
「さやちゃん、時計直った?」
「裕介くん……。ごめんね、待たせて」
「いや、全然いいけど。ねぇ、中川盟って、本当にさやちゃんの幼馴染?」
「え? 何で?」
「ん……さっき、お店の前で言われたんだよ。『あいつを幸せにしてやってください』って。ただの幼馴染だったら、そんなこと言うかなぁ……って思って」
 
 盟が、そんなことを……?
 
「だから……その、もしかして、付き合ってたことがあったりしたのかな、って……」
 
 裕介くんはわたしの表情をうかがうようにして聞いた。
 
「うん……実は、元婚約者」
「えっ……?」
「……六歳のころの、ね」
 
 ニッと笑って言ったわたしの言葉に、裕介くんは安堵の表情を浮かべて、そして笑った。
 
「ね、今度、家に来てよっ。子どもの頃の写真、裕介くんにも見てもらいたいし――――」
 
『幼馴染のメイくん』も、『居酒屋で出会った盟』も。
 これからもきっと、ずっと大好き。
 あなたと一緒に時を刻んでいくことはできないけど。
 あなたと過ごした時間は、わたしの『一生の宝物』。
 
 わたしは、時計屋の店員さんに頭を下げた後、裕介くんの腕に自分の腕を絡めて。
 あの日とは違う、雲一つない青く澄んだ冬の空の下へと歩きだした。
 

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