「そうよ。一郎さんの息子。当時はまだ、副社長の職には就いてなかったかしら」
飯森社長は、片付けそびれていたパイプ椅子に座って、足を組んだ。
……意味分かんねぇ。
奈々子ちゃんをモリプロで使ってもらうように、頼んだ?
あの、希が?
「なんで、希がそんなこと……」
「理由までは知らないわよ。素材を見つけたのはいいけど、自分のトコは男しか使えない事務所だから、代わりにモリプロに、ってことなんじゃない?」
飯森社長は、煙草を指に挟んで、「でもね」と言葉をつなぐ。
「結構、大変だったのよ。親御さんの方針で上京は高校卒業まで待たされたし、リズム感ゼロだったし、関西弁はなかなか抜けないし……」
その当時を思い出してか、飯森社長は懐かしそうに笑う。
こういう時の、この人の顔。どことなく静岡のお袋に似てるんだよな……。
「……ちょっと、火、点けなさいよ」
「会議室は禁煙なんです。喫煙コーナーは偶数階にありますよ」
「そんなカタイこと言わないでよ」
「火災報知機、鳴りますよ。それで、取り引きの件はどうするんですか?」
俺が聞くと、不満げだった飯森社長は煙草を指に挟んだまま、答えた。
「取り引きには応じないそうよ。しばらくこのまま、世間にも『恋人』と思わせて様子を見るって」
「誰の意向ですか? 萩原社長?」
「副社長の方」
「希っ!? アイツと連絡取れたんですか!?」
「取れるわよ」
飯森社長はさらりと、当然のことのように言う。
「えっ……アイツ、いま、どこで何してるんですか!? Hinataに関わる仕事どころか、リーダー会議にだって、ここ何年も出てきてねぇっつーのに……」
「あら、あなた、何も聞かされてないの?」
飯森社長の問いに、俺は何も返事ができなかった。
ヨソの事務所の社長が知ってるっつーのに、俺は、何も知らされてねぇ。
希に拉致られてから、ほぼ毎日のように一緒に仕事をしていたのに、希はある日突然、姿を見せなくなった。
アイツの高校卒業祝いにっつって、四人で焼肉を食いに行ったのは覚えてんだ。
でも、ハタチの誕生日や成人式を祝ったり、話題にしたりっつー記憶はねぇから、たぶんその頃には、いなくなってたんだろう。
希は、どこかカラダが良くないようだったから、すげぇ心配で……だけど、他の誰も、何も言わねぇし。
何の便りもないっつーことは、逆に、無事だからなんだと、今まで、半ば言い聞かせるようにしてきたっつーのに。
「怖い顔ね」
飯森社長は軽く微笑んで、俺の頬に手を伸ばす。
「あのコがあなたに何も話してないのは、変に心配掛けたくないからだと思うわ。大丈夫。本人が話したくなったら話すだろうし、仕事にだって、きっと何事もなかったみたいに戻ってくるわよ、そのうち」
「……アイツは、無事なんですか?」
「そうね。元気にしてるわよ」
具体的に、希はいま、どこで何をしてるんだ、とか。
どうして飯森社長が、希と連絡を取れるほど親しい関係なのか、とか。
問いただしてぇことは、たくさんある。
けれど、『元気にしてる』のたった一言を聞いて、いくつもの疑問も、いまはどーだっていいことだと思えるくらい安堵したっつー方が大きい。
どのみち、いつかアイツが、自分から話す気になるのを、俺は待つしかねぇんだな。
腹の底から、深くため息。……いろんな意味で。
ふと、俺の頬に触れてる飯森社長の指先が、この間イースティンホテルで逢ったときと比べて冷たいことに気付いた。
もう、11月も終わる。
しばらく天気の良い日が続くらしいが、朝晩は随分と冷えるようになった。
この婦人は、毎年この季節になると身体が冷えて、顔色も幾分悪くなる。
俺のお袋も似たような症状で……たぶん、きっと、冷え性だ。
「千里さん、食事がまだだったら、これから一緒に行きませんか?」
「あら、珍しいわね。あなたから誘ってくれるなんて」
「何か身体が温まるもの……鍋とか……」
「でも、行かないわよ」
……何だよ。せっかく、こっちが心配して誘ってやってるっつーのに。
と考えたのが顔に出ちまったかどうかは分からねぇけど。
俺を見つめていた飯森社長は、俺の全てを知り尽くしているような表情で笑った。
「あなた、カノジョできたでしょう?」
「…………は?」
「カノジョ」
「できてないですよ」
「嘘」
「嘘じゃないです」
「さっきからずっと、携帯気にしてるじゃない」
「……え?」
ビシッと、俺のジャケットのポケットを指差される。
無意識のうちに、ポケットの中の携帯にずっと触れていた……らしい。
「普段そんなことしないから、すぐ分かったわよ。カノジョから連絡がないか、気になってつい、触っちゃうんでしょう」
「いや……別に、そういう訳じゃ……」
うまく取り繕うつもりが、逆に意識がいっちまって、手から携帯が離れねぇ。
そんな俺の様子を、飯森社長は会議用テーブルに頬杖ついて、面白そうに眺めた。
なんだかんだで、この婦人とは付き合いが長い。
言い逃れなんてできっこねぇのは、分かってる。……分かり切ってる。
「……気になってる女性は、います」
「ほら、やっぱり。相手はどんなコ? この業界のコ?」
「それは……言えません」
「何よ。別に、裏から手を回して潰そうだなんて、思ってないわよ」
いや、絶対、思ってるだろ。怖ぇ……。
「そういう意味じゃなくて……。まだ言える段階にないっつーか、何度か世間話をしただけっつーか……」
「『好きになれそうなコを見つけた』ってとこかしら?」
おぉっ。すげぇ的確な表現。
思わず、うなずいちまった。
それを見た飯森社長は、クスクスッと笑う。
「……何ですか」
「何でもないわ。ねぇ、私とひとつゲームしてみない?」
「ゲーム?」
「そう。あなたが、その女のコを口説き落とせるかどうか、賭けましょう。口説き落とせたら、あなたの勝ち。私はあなたに出来る限りの協力をするわ。口説き落とせなかったときは……」
「口説き落とせなかったときは……?」
「そうね。今後、他の女と一切関わらないで、一生私だけの奴隷になる、っていうのはどう?」
「いっ……」
嫌だ。それだけは、絶対に嫌だ。
相手が複数いて、お互いにそれを了承済みだからこそ、それぞれの婦人とライトな関係でいられたし、俺もそれほど深く悩まずに済んでたわけで……。
……でも、待てよ?
よくよく考えたら、目の前にいるこの婦人は『モリプロの社長』だ。
もしも、俺がこのゲームに勝ったとき。
この人の『協力』が得られるっつーなら、俺にとってすげぇ好都合なんじゃねぇ?
――よっしゃぁ。いっちょ、やってやるっ!!
「そのゲーム、お受けします。期限は?」
「クリスマスイブっていうのは、どう?」
「ク……クリスマスイブ!?」
マジでっ!?
嘘だろっ!?
あと一カ月もねぇしっ!!
「実はね、イブに部屋を取ってあるのよ。イースティンホテルの最上級のスイートルーム。ユリや一郎さんたちを誘って、パーティーでも開こうかと思ってたんだけど、みんな忙しいみたいでね、キャンセルしようか迷ってたの」
イースティンの最上級スイートっつーと……一泊、数百万するってウワサだぞっ!?
「イブに、いつものところで待ってるから、カノジョも連れていらっしゃい。その部屋、使わせてあげるわ」
飯森社長は、指先に挟んだままだった煙草をようやく箱に収めて立ち上がると、俺の肩をポンッと叩いて、会議室の出入り口へと向かう。
「……千里さん」
「何?」
「俺がゲームに勝ったら、本当に協力してくれるんですね?」
ドアに手を掛けて振り返った飯森社長は、不出来な息子を見守るような瞳で微笑んで、無言のまま、うなずいた。
05 ホスト、社長と賭けをする。

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