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08 敵から、塩を送られる。

 
 
 結局、ボイトレは谷崎さんの判断で中止になった。
 一番ボイトレを受けなきゃならねぇ中川があんな調子じゃぁ、しょうがねぇ。
 喫煙コーナーで一服しながら、突然空いた時をどう使おうか考えていると、深谷がやってきた。
 
「これ、樋口くんに渡してって、頼まれた」
 
 と、深谷は俺に茶封筒を差し出す。
 
「頼まれた?……誰に?」
「飯森社長」
 
 飯森社長、か。
 中身は現金? ……じゃねぇな。
 現金だったら直接渡すだろうし、そもそも金を貸してくれなんて頼んだ覚えもねぇし(昔はそういうことも何度かあったけどな)。
 
 俺は深谷から封筒を受け取って、中身を出してみた。
 ……ん? なんだ、こりゃ。
 
「遊園地の株主優待券?」
 
 
 
 
 
『あなたのことだから、まだカノジョと何も進展がないんじゃないかと思ったのよ。自分から行動を起こすって、あなた、不得手じゃない? だから、『敵に塩を送る』じゃないけど、何かないかしらと考えてたら、デスクの引き出しに眠ってた優待券を見つけたの。ほら、私は子どもも孫もいないんだから、あなたが使いなさい』
 
 携帯から聞こえる飯森社長の声は、どことなく楽しげだった。
 昔、高校時代に、好きだった女から俺に電話が掛かってきたときのお袋と同じ……いや、それ以上だな。
 
 誰もいない喫煙コーナーで、俺は深くため息をついた。
 
「千里さん、俺のこと、少し甘く見てるんじゃないですか?」
『そう? じゃぁ、カノジョと何か進展あったの?』
「た、多少は」
 
 ……なんて、進展があったかどうだか、自分でもよく分かってねぇけど。
 
『その遊園地ね、クリスマスイブは深夜まで営業してるのよ。といっても、動いてるのはメリーゴーラウンドと観覧車くらいしかないけど』
「メリーゴーラウンドぉ? 俺がぁ? 絶対に似合わないでしょう」
『観覧車乗んなさい。観覧車。夜景がキレイに見えるのよ。あなた、夜景が好きでしょう?』
「えぇ、まぁ、そうですけど……」
『観覧車がてっぺんまで行ったら、何も言わずにキスしちゃいなさい。それで落ちない女はいないから』
 
 すげぇ少女趣味。五十もとっくに過ぎてるクセに。
 
「それは、いくらなんでも古典的過ぎ……」
『恋愛に古典も流行りもないのよ。なんだったら、係員に言って、てっぺんで止めることもできるわよ?』
「いっ、いやっ、いらね……いりませんっ」
『いいから、頑張んなさい。ゲームのタイムリミットは、イブの深夜よ。深夜三時までに、結果報告すること。いいわね?』
「あ、ちょっ……千里さんっ」
 
 通話はプツンっと切れた。
 
 この婦人は、結局、いったい何がしたいんだ?
 っつーか、観覧車なんて、どうやって止めるんだよっ?
 
 
 
 ****
 
 
『…………え? イブ? …………うん。………………え? そうなの?』
 
 携帯から聞こえてくる奈々子の声は、相当びっくりした様子だった。
 
 とある火曜日。
 お昼も過ぎれば奈々子と会って直接話ができるというのに、わたしはわざわざ電話を掛けた。
 奈々子とのイブの約束をキャンセルするために。
 
 実は、ついさっき、樋口さんからメールがあった。
『遊園地の優待券をもらったから、一緒に行かないか?』……って。
 
 日時は、イブの仕事が終った後。
 この間、蕎麦屋で話したときに、年末年始のスケジュールの話もしてて(この時期は忙しいですねって愚痴り合ってたんだけど)、イブの夜はわたしも樋口さんも、同じテレビ局内で仕事の予定になってる。
 だから、その後で……ということなんだけど。
 
「うん。で、どうしようかなって思って……だから、イブの撮影が終わったら奈々子のトコでケーキ食べるって約束してたけど、あの……ゴメンネ」
『うん、あたしは全然っ』
「ケーキ代、払っちゃってあるんでしょ? わたし、その分出すから」
『いいよいいよっ。汐音がそんなこと言うなんて、珍しいねっ』
「えっ? ……そう?」
『うん。だって、今まで男の人に誘われてもほとんど断ってたし。たまぁに、カレシができても、あたしとの約束をキャンセルしてカレシ優先することなんてなかったし』
 
 ……言われてみれば、そうかもしれない。
 でもね、行きたいのよ。
 クリスマスイブの、あの遊園地に。
 観覧車から見える夜景がすごくキレイなの。
 だけど、また見たいと思いつつ、一緒に行きたいと思える人がいなかった。
 ハタチ過ぎくらいのときに友達と行ったとき以来、ずっと。
 
「だっ、だから、ゴメンって」
『んふふっ。ジョウダンだよっ。タップリ楽しんできてねっ。……あ、それから、あとでお話も聞かせてね』
 
 なんだか奈々子が妙に明るいなぁ……と思いながら、また昼過ぎにドラマの撮影でね、と電話を切った。
 携帯を握りしめたまま軽く深呼吸をして、今度はメールの作成画面を呼び出す。
 
 あの遊園地に、行きたい。
 ――樋口さんと。
 
 奈々子には、当分の間、加藤堂のパンを大量に差し入れしなきゃ、だわ。
 
 
 
 
 ****
 
 
 
 クリスマスイブに、事件が起きた。
 生放送の特番で、あの高橋が、お笑い芸人の道坂さんにプロポーズ。
 ……いや、それはそれで驚いたが、俺にとっては『事件』っつーほどでもねぇ。
 
「もう、そのくらいでイイんじゃナイ? 高橋がさ、『仕事に悪影響を与えない』って言い切ってるんだ。結婚ぐらい、させてやったら?」
 
 その登場があまりにも突然で、俺は夢か幻でも見てんじゃねぇかと思った。
 ハギーズ事務所副社長、萩原希。
 オレンジがかった茶髪、透き通るような瞳、生意気な語り口。
 どれを取っても、姿を消した数年前と何も変わってねぇ。
 
 希がお偉いさん(つっても、当然、副社長である希の方が立場は上なんだが)に、高橋の結婚を認めさせた後。
 俺は、すぐに希のところへと駆けていって、長年抱えていた疑問をぶつけた。
 
「おまえ、いままでどこで何やってたんだよっ?」
 
 心配してたんだ、ずっと。
 何があったか知らねぇが、何も言わずにいなくなるなんて、水くせぇじゃねぇか。
 親友との感動の再会。
 希は照れくさそうに笑ってこれまでの経緯を語り、俺はそれを聞きながら涙をこらえて…………。
 
 ……という展開になるかと思いきや。
 
「うん? まぁ、イイじゃん、どーだって」
 
 ……何も変わってねーな?
 でも、コイツが『どーだっていい』って言うなら、本当に、どーだっていいことなのかもしんねぇ。
 何より、こうして無事に俺の前に現れたんだ。
 今は、それだけで十分……っつーことにしておくか。
 
 
 
 ****
 
「コンバンハ、須藤サン」
 
 奈々子が、『高橋諒の妹』という重大発表を終えて。
 その後のドラマ撮影も順調に進んで、わたしは奈々子より一足先に帰り支度。
 楽屋でひとり、着替えを終えたときだった。
 背後で楽屋のドアがいきなり開いて、わたしが振り向くより先に、ドアを開けた人物は、わたしにそう声をかけた。
 
 嫌な予感。
 
 わたしのことを『須藤さん』と本名で呼ぶ人なんて、滅多にいない。
 しかも、この『テレビ局』という職場内では、特にあり得ない。
 恐る恐る振り返る。
 と、そこにはオレンジ色の髪の少年。
 
「……萩原くん?」
「そー。お久しぶり」
 
 少年は、片手を軽く挙げて、ニッと笑った。
 確かに、久しぶりだ。
 彼の姿を最後に見たのは、わたしが高校を卒業するときだったから、十年くらい前だ。
 
「ノックくらいしてくれない? わたし、着替えてたんだけど」
「あぁ、そーなんだ。失礼」
「何の用? ここ、Hinataの楽屋じゃないわよ」
「知ってるよ」
 
 萩原くんは、ツカツカと楽屋へ入り込んできて、イスにひょいっと腰掛けた。
 ……ちょっと。わたしは暗に『この楽屋から出ていけ』と言ったつもりなんだけど?
 
「随分、めかし込んでるね。デート?」
「……関係ないでしょ」
「イブだしね。今のカレシはフツーのカレシ?」
「だから、萩原くんには関係ないでしょ」
「そーだね。関係ないケド」
 
 そう言って、萩原くんはテーブルに置いてあったケーキの箱を勝手に開けて覗き込む。
 
「ナナは? まだ終わってナイの?」
「……『ナナ』?」
「高橋の妹。あのコに用があるんだケド」
「奈々子? 奈々子に何の用?」
「それはヒミツ」
 
 ……わたし、この人大嫌い。
 
「あのコに変なコトしたら、許さないから」
「心配無用。あいにく頭の悪いオンナは嫌いナンだ、ボクは。まだかかるなら、ここで待たせてもらうよ」
「そんな、勝手なこと……」
「キミたちのマネージャーには、話はついてる。問題ナイ」
「……あっそう。わたしは帰る。時間ないの」
 
 カバンを掴んで、ドアのノブに手を掛ける。
 そのまま、ドアを開けて楽屋を出ればよかった。
 
「知ってる? 高橋が結婚するんだって」
 
 背後から飛んできた萩原くんの声が、わたしの動きを封じた。
 振り返らなくても、分かる。
 この人は今、挑発的な笑みを浮かべてるんだわ。
 昔から何も変わってない。嫌な男。
 
「知ってる。さっき、奈々子から聞いた。……でも、わたしには関係ないわ」
 
 それだけ言って、わたしは楽屋のドアを開けた。
 これ以上、この人と会話を続けたら、せっかくのイブの夜を笑顔で過ごす自信、ないもの。
 楽屋のドアが閉まる直前、萩原くんはわたしに、こう言葉を投げた。
 
「行ってらっしゃい。カレシにヨロシク」
 
 誰があんたのことなんか。
 
 わたし、わざとらしく派手な音をたててドアを閉めてやった。
 これからわたしが会う相手をこの人に知られたら、何をされるか分からない。
 
 
 
 

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