02 初めての訪問はプリンとともに

 諒くんからの指示通りにオフが取れた。
 それをメールで伝えると、当の諒くんからは『その3日間は空けておいてください』とだけ返事が来た。

 7月下旬。
 今日はその3日間のオフの初日なんだけど。
 あれからお互いに仕事が忙しかったりして、一度も会ってないまま一ヶ月が過ぎた。
 結局、私は諒くんから、この3日間のオフについて、何も聞かされてない。

 理解不能。
 何が? って、そりゃあもう、何から何まで。

 諒くんと私の関係って、そもそも、何?

 同じ業界で働いてる二人。
 それは、間違いない。
 お笑い芸人とアイドルという違いはあるけどね。

 それでもって、数ヶ月前からはご近所さん。
 これも、間違いない。
 私の住むこのアパートから徒歩数分のところに、諒くんのマンションはある。

 この二つの事実から考えると、仕事帰りに偶然会って、一緒にお茶したり食事したりってことは、そう不自然なことではないとは思うのよ。

 諒くんが、年上の私に対して敬語を使わないのも、別に気にならない。
 どうやら、この業界に入った時期もほぼ同じだったみたいだしね。

 うん。ここまでは、一応、理解できる。

 理解できないのは、この先。

 諒くんは、私のことを『みっちゃん』って呼んでる。
 おそらく、『道坂みちさか』の頭文字からとってるんだろうけど、そんな風に呼ばれたことなんて、この34年の人生の中で一度もない。

 諒くんは、自分のことを『諒くん』って呼ばせてる。
 私が自発的に呼び始めた訳じゃないのよ。
 諒くんが『プライベートでは名字じゃなくて名前で呼んでほしい』って言ったのよ。

 一番理解できないのは、……その、あれよ。
 今から二ヶ月くらい前に、諒くんから突然、キスされちゃった件。

 実は私、仕事以外でのキスって、あれが初めてだったりする。
 つまりは、実質的に、34歳にして俗に言うファーストキスだったわけ。

 だけど、あれ以来、私と諒くんとの間に何か変化があったかというと、実は、何も変わってない気がする。
 相変わらず、仕事の帰り道に偶然会って。
 お茶を飲んで、食事して。
 その後、私のアパートまで送ってもらって。

 一ヶ月くらい、そんな感じだったわけ。

 そこへ、『自分のオフに合わせて、三日間空けておいて』という要望。

 超多忙な諒くんにとって、貴重なオフのハズなのに。
 せっかくだから、『カノジョと過ごす』なんてことは考えないのかしら。
 そういえば、諒くんってカノジョいるんだろうか。

 ……いたら、私みたいなおばさんに、キスなんてしないわよね。

 だいたい、諒くんはどうして私にキスなんてしたんだろう?
 私、ただただ驚いて、そんな重要なことにまで考えが及ばなかった。

 まさか、私のこと、好き……とか?

 いやいやいやいや。
 あり得ないでしょう。

 だって、プライベートではオーラがないとはいえ、あの『Hinataの高橋諒』でしょ?

 それが、子どもには見せたくない番組ランキングの常連になってる『しぐパラ』のレギュラーメンバーである『お笑い芸人の道坂靖子』のこと……?

 ないない。あり得ない。

 もし仮に、アイドルとお笑い芸人じゃなかったとして。
 イケメン年下男子が、こんな地味なおばさんを好きになるなんてこと。

 やっぱり、あり得ないと思う。

 じゃあ、きっと、あれだ。
 諒くんくらいの若い世代の人たちは、きっと挨拶代わりに気軽にキスしちゃったりするんだわ。

 もしくは……そう、やっぱりドッキリとか。

 諒くんはあのとき、『ドッキリなんかじゃないから』って言ってたけど。
 あれだって、『いまドッキリだなんてバレたらマズい!』ってことだったのかもしれない。
 最近のドッキリはどんどん悪質化してるから、数ヶ月の長期戦で仕掛けてくるなんてことも、珍しくない。

 そうだ。
 きっと、諒くんが近々ドラマや映画に出ることになっていて、このドッキリはその番宣のためのものなんだ。

 じゃあ、ドッキリのネタばらしは、この三日間の最後辺りになるのかしら。
 そもそも諒くんの『五日間のオフをもらった』なんて話も、実はウソだったりして。

 だって、ほら、ドッキリだったら、それはもう仕事なわけで。
 ……ってことは、やっぱりあのキスも仕事ってことになるのよね。

 ――ピンポーン。

 玄関のチャイムの音。
 ……諒くんかしら。

 うーん、ドッキリって気づいちゃったら、なんだかやりづらいわ。

 平常心、平常心。
 気づかなかったフリしなきゃ。うん。

 あくまでも、私にとってはこれから始まる三日間は『オフ』なのよ。

 これが最後かもしれないんだし。
 イケメン年下男との楽しい時間を満喫しなきゃ、損でしょ。

*****

 玄関のドアを開けて顔をのぞかせた彼女。
 その表情は普段と変わらない。

「おはよう。久しぶりだね」

 彼女の様子に少しだけ戸惑いながらも、僕は笑顔で声を掛けた。

 このところ、とても忙しかった。
 彼女を駅周辺で待ち伏せすることもできなかった。
 だから、僕たちは実に一ヶ月ぶりに会ったことになる。

 この一ヶ月、スケジュールも仕事内容もハードだったけど、今日というこの日を心待ちにして頑張ってきたんだ。

 別に、『彼女に会えないさみしさから、仕事が手につかない』なんてことはないけど、それでも、ふとした瞬間には彼女のことを思い出してた。

 だから、本当は今すぐここで抱きしめてしまいたいくらい、会えてうれしいんだ、僕は。

 それなのに、彼女はちっともうれしくなさそう。

「みっちゃん、どうしたの? 体調悪い?」
「そんなことないけど。なんで?」
「いや、だって……冴えない顔してるから」

 僕が言うと、彼女は眉間にシワを寄せた。

「私の顔が冴えないのは、生まれつきなんだけど」

 あ、いや……そういう意味じゃなかったんだけどな。

 なんだか、ペースが狂う。
 僕たち、付き合い始めたばかりですよ。
 いわゆる『ラブラブ期』ですよ。
 そんな時期に一ヶ月も会えなかったら、不安になったりしない?

 電話もメールもできなかったから、もしかしたら怒ってるかもしれないな、とか思ってたんだ。
 正直なところ、面倒くさいよ。そういうの。
 今まで付き合ってきた女性の何人かとは、その辺りでうまくいかなかったという自覚もある。
 けれど、彼女相手なら、それも全面的に受け止めようと思ってたわけ。

 それが、いざこうして会ってみたら、これだ。

 不安になってるようでもなく。
 怒っているようでもなく。
 それでいて、久しぶりに会えてうれしい、というわけでもなさそう。

 彼女にとっては、僕と一ヶ月会えなかったのは、特にどうってことないみたいだ。

 ……もしかして。
 この地味な見かけによらず、実は恋愛経験が豊富だとか?

 あり得るかもしれない。
 僕よりいくらか年上なんだし。
 この落ち着き払った様子は、きっと、そういうことなんだろう。

 と、いうことは。
 それだけ僕のことを信じてくれてるってこと、だよな?
 あれこれ波風を立てず、穏やかに僕とつき合っていこう、ってことだよな?

 なんだ、そうか。
 不安になってたのは、僕の方だったのか。
 いやいや、僕もまだ若いね。

「で、諒くん。今日はどういうご予定で?」
「あ、うん。……今日は特に決めてないんだけど」

 まだ玄関のドアから顔だけのぞかせている彼女に、僕は手土産を差し出した。
 怒ってるかもしれない彼女をなだめるために買ってきた、プリン。
 その必要性はなくなってしまったけど、このまま僕が持っていても仕方がない。

「これ、プリン。さっき買ってきたんだ」
「プリン? じゃあ、うちの冷蔵庫に入れておこうか? それとも、諒くんの家まで行って置いてくる?」
「ん? いや、そうじゃなくてさ」

 一緒に食べたくて買ってきたんだ。
 ……なんて、言えるわけがない。

「じゃあ、差し入れ?」

 いやいや、仕事じゃないんだから。

「四つ入ってる。僕とみっちゃんと、二つずつ」
「そうなの? でも、諒くんの分はどうするの? これから出かけるんでしょう?」
「できれば、今、食べたいんだけど」
「今? ……どこで?」
「だから、そこで」

 僕は、彼女の部屋の中を指差した。
 要するに、『僕を部屋にいれてください』ということなんだけど。
 彼女は怪訝そうに眉をひそめて、周囲を見回す。

「……大丈夫なの?」

 誰かに見られていないか、警戒しているらしい。
 やはり、彼女も僕と同じく芸能人だ。

 僕自身はそれなりの『覚悟』はできてるから、つき合ってるのがバレても全然平気だけど。
 彼女が世間に知られるのを望まないというなら、それを尊重するべきだと思うし。
 いざとなったら事務所に頼み込めばなんとかなるだろう。たぶん。

「問題ないと思うよ。もし、何かあっても、大丈夫。なんとかするから」
「そう? じゃあ、どうぞ。思いっきり散らかってるけど」

 そう言って、彼女は眉をひそめたまま、僕を部屋へと通してくれた。

 ……どうして、笑ってくれないんだろう?

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