彼女の言葉通り、部屋の中は『思いっきり散らかって』いた。
あちらこちらに、雑多な物がなんの脈絡もなく置かれている。
けれど、かろうじて足の踏み場はちゃんとある。
決して、不潔に汚れているというわけではない。
生活感が非常に出過ぎている、というべきか。
これは少々ヤバいんじゃないだろうか。
いや、悪い意味じゃなく、むしろ良い意味で。
なぜならこの部屋は『取り繕うことのない、ありのままの彼女の状態』なわけで。
それを僕に見せてくれるってことは、彼女は僕に心を開いてくれてるってことだと思う。
うん。やっぱり彼女は、今まで僕がつき合ってきた他の女性とは、どこか違う。
*****
諒くんは私の部屋に入ってきてしまった。
自分が買ってきたプリンを食べたい、と言って。
本当に大丈夫なのかしら。
てっきり、ドッキリの撮影に適した場所まで連れて行かれるんだと思っていたんだけど。
あ、もしかして部屋のどこかに隠しカメラが!?
マネージャーが合鍵持ってるし、当然スケジュールだって把握してるんだから、私がいない間にカメラを仕掛けるなんて、たやすいことだわ。
もしくは、諒くんのカバンかどこかにマイクが仕込んであって、音声のみでお届けというパターンも、アリかも。
それはさておき。
諒くんもやっぱり役者よね。
私がドッキリに気づいたと知っても、動揺するそぶりも見せずに臨機応変な対応ができちゃうんだから。
『何かあっても、なんとかするから』、だなんて。
本来なら、私が言わなきゃいけないセリフなのよ。
だって、ドッキリは芸人である私の主戦場なんだから。
我ながら情けないと思わなくもないけど。
でも、そうね。
諒くん相手なら、むしろこの人に主導権を預けてしまった方が、うまくいきそうな気がする。
ここはひとつ、『Hinata高橋諒』のお手並み拝見といこうかしら。
*****
「ごめんね、本当に散らかってて。座る場所もないわよね」
彼女は床の上に散乱していた雑誌をかき集めて、部屋の隅に追いやった。
「僕のところも、こんな感じだよ。いや、もっとひどいかもしれない。よく、靴下が片方なくなるんだ」
僕が言うと彼女はまた眉をひそめて、
「『Hinataの高橋諒』が、そんなこと言っていいの?」
「え? いや、だって今はプライベートだし。ほら、アイドルのオーラなんて見えないでしょ?」
「プライ……ベート?」
彼女はなぜか不思議そうな顔をして聞き返す。
「えっと……あぁ、そっか。そうよね。『プライベート』なのよね。うん」
「……みっちゃん、やっぱり体調悪いんじゃない?」
熱でもあるんじゃないだろうか。
そう思って、座卓の向こう側に座る彼女の額に手を伸ばす。
と、それを避けるように、彼女は身体を引いた。
「プリン食べるんだったわよね。いま、スプーン持ってくるから」
……もしかして、避けられてる?
それとも、警戒されてる?
あ、本当はやっぱり怒ってる、とか?
プリンでご機嫌を取ろうだなんて、むしろ逆効果だったんだろうか。
僕は台所にいる彼女の様子をうかがうようにしながら、口を開いた。
「……みっちゃん、怒ってる?」
「えぇ? 何が?」
「いや、だから、その……一ヶ月会えなかったこととか、連絡もろくにできなかったこと、とか」
僕が言うと、彼女は眉間のしわを深くして、ため息をついた。
そのまま腕組みをして、うーんと考え込んでいたかと思うと、突然、
「ごめんなさい!」
「……え?」
「どうしたらいいか、分からないの。こういうの、実は初めてで」
男の人とつき合うことが?
それとも、男性を部屋に入れること?
「あぁ、なんだそんなこと。僕は全然……」
「私、本当にアドリブに弱いのよ。スタッフには後で私がちゃんと謝っておくから」
「……アドリブ? スタッフ?」
話がだんだんおかしなことになってきた。
嫌な予感がする。
「ごめんね、気づいちゃった私が悪いのよ。これ以上、高橋くんに迷惑かけられないから、一度ストップしてもらって、簡単でいいから打ち合わせを……」
あぁ、これは……。
「みっちゃん。もしかして、またドッキリかな、なんて思ってる?」
「え? ……そうなんでしょ?」
やっぱり……。
「この間も言ったでしょう? 『ドッキリなんかじゃない』って」
「だから、それって、あの時点でドッキリだってバレたらマズいから、じゃ……ないの?」
どうして、そんな考えになる?
僕のことを信じてくれてるどころか、別の意味で疑われてるってことじゃないか。
ってことは、あれか?
『つき合ってる』と思っていたのは、僕だけ?
仕事とプライベートで呼び方を変えるっていうのは、つまりは『特別な関係』ってことでしょう?
だから、僕は彼女のことを『みっちゃん』って呼んでるし。
彼女には僕のこと、仕事で使われることの多い名字じゃなくて、名前で呼んでもらってる。
その呼び方が定着したころに彼女にキスをして、それはもう『告白した』も同然、のつもりだったんだけど。
要するに、それら全部ひっくるめてドッキリだと勘違いされてしまったということか。
「何で僕がみっちゃんにドッキリなんて仕掛けなきゃならないの? 理由がないでしょう?」
「それは……あれでしょう? ドラマとか映画の番宣。違うの?」
「しばらくドラマや映画の予定はないよ。今はHinataの10周年で忙しいから、個人の活動は控えめなんだ」
台所の水切りかごに伏せてあったグラスとマグカップを手に取る。
そんな僕を、彼女はまだ状況を飲み込めてないような表情で見つめる。
何も言ってこないので、僕は冷蔵庫からお茶が入ってる容器を(勝手に)取り出して、座卓に置いた。
「みっちゃんは僕から『みっちゃん』って呼ばれるのも、プライベートでこうして僕と会うのも、嫌?」
聞くと、彼女はスプーンを二つ握りしめたまま、ぼそっと呟いた。
「……嫌じゃない、けど」
「『けど』? 何か困る理由でもあるの?」
「理由?」
「例えば……実は彼氏がいる、とか」
モテない芸人だって言っても、実際はどうだか分からない。
僕にとって彼女は『運命の人』だけど、現時点で彼女が確実にフリーであるとは限らない。
ここまで来て『ふりだしに戻る』なんて、なんとしても避けたいところ。
彼女の口から否定の言葉が出てくるよう、心でひたすら願う。
「彼氏なんているわけないでしょう? 憧れの人ならいるけど」
「憧れの人? だ、誰?」
「シュワちゃん」
「……ターミネーター?」
「そう。もちろん、会ったことはないけど」
「そ、そっか」
僕は胸をなで下ろした。
どうやら、ふりだしには戻らずに済んだらしい。
「じゃあ、何も問題はないわけだ」
「問題? 何が?」
「いや、だから……今のこの状況」
「状況?」
この人、ものすごく鈍いんじゃ……。
「僕が今、こうしてみっちゃんの部屋にいて、一緒にプリンを食べることに関して、何も問題はないんだよね?」
僕とつき合うことに、何も問題はないよね?
「……? 私は問題ないけど。高橋くんは、」
「名字じゃなくて名前で呼んでよ」
「……諒くんは、それでいいの?」
「どういう意味?」
「だって、こんな冴えないおばさんと話してたって、楽しくないでしょう?」
まだそんな『おばさん』なんて歳じゃないだろうに。
「僕は、自分で納得してることしか行動しない主義なんだ。以上、この話はおしまい。で、食べるの、食べないの? どっち?」
少々語気を強めた僕は、座卓に置いたプリンを指差した。
あぁ、もう……なんだか『貴女と一緒にいたいから、今ここにいるんだ』って言ってるのと同じじゃないか。
これ以上、恥ずかしいこと言いたくないから、強引に話を終わらせてしまおう。
『顔から火が出そう』って、まさにこういう状況のことなんだな。
あぁ、恥ずかしいっ!