「で、どこに行くの?」
助手席に座った彼女が聞いた。
「それは目的地に着くまで秘密」
僕が言うと、彼女は不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。
目的地を告げたら、きっと驚くと思う。
……と、いうか、この車から降りてしまうかもしれない。
――ずるい。分かってる。分かってます。
だけど、女性を口説くのにバカ正直に突っ込んでいって、うまくいった男なんてごくごく少数派だと僕は思う。
現に、この間の僕は、その少数派になれなかったわけだし。
だから、実力行使というか、行動あるのみ。
僕がどれだけ本気なのかは、目的地に着けば、いくら鈍い彼女でもきっと分かってくれる……はず。
そんな、期待と不安の入り混じった気持ちを珍しく抱えた僕は、カーナビの指示通りに車を走らせた。
****
諒くんは普段とあまり変わらない様子で、何気ない会話をしながら運転している。
既に首都高速を経由して、東名高速道路を走ってるわ。
会話しながら高速を運転できるなんて、すごいわねぇ。
私も運転免許は持ってるけど、もう何年も前にただの『身分証明書』となってしまっている。
高速道路なんてとてもとても……なんて話はおいといて。
ほんとに、どこに行くんだろう?
聞いてもきっと答えてはくれないんだろうな、どういうわけか。
今はどの辺りなんだろう。
流れる景色の中から、緑色の看板を発見。
次の出口は……静岡。
――静岡!?
「ねぇ、諒くん。いったいどこに行くの? もう伊豆も通り過ぎたみたいなんだけど」
不安になって聞いてみた。
ここで答えてくれなかったら、どこかから犯罪のニオイが漂って……そんなの嫌よ。
「ん……あの、佐久島って知ってる?」
諒くんがしぶしぶと口にした地名に、聞き覚えがあった。
「佐久島? って、愛知県の?」
「そう。あ、知ってるんだ?」
「知ってるわよ。私、愛知県の名古屋出身だもの」
「みっちゃん、名古屋出身なの? じゃあ、やっぱりエビフライは好き?」
「言っとくけど、名古屋人みんながエビフライ好きだと思ったら大間違いよ」
「違うの? じゃあ、名古屋城の上に乗ってるシャチホコって、中身がエビフライっていう噂は?」
「そんな噂、聞いたことないけど」
「そうなの? 残念」
どこら辺が残念なのか、分からないんだけど。
「諒くんはどこ出身なの?」
「え? 僕? ……どこだと思う?」
「うーん……やっぱり、東京?」
私が聞くと諒くんはニヤリと笑って、
「違うよ。実は、北海道なんだ」
「えっ、意外。そうなの?」
「嘘。本当は、沖縄」
「とても沖縄出身には見えないけど」
「あぁ、やっぱり? 本当はね、福岡」
「どれがほんとなの?」
「大阪だよ、大阪」
「……いい加減にしてほしいんだけど」
「いや、本当に大阪出身だよ、僕」
「一番あり得ないと思う。だって、関西弁の気配すらないじゃない」
「ドラマで標準語を話すことが増えたから、頑張って練習したんだ。数年前までは思いっきり関西弁しゃべってたんだよ」
言いながら諒くんは、私の方に視線を向けてクスッと笑った。
いったい、どこまで本当なんだろう(っていうか、ちゃんと前見て運転してよ)。
……あれ、ちょっと待って。
「ねぇ、諒くん」
「ん、何?」
「さっきカーナビが言ってた、高速下りるところって、今のところじゃない?」
「……えぇ? ど、どこ?」
「『音羽蒲郡』で下りるって言ってたと思うけど」
私がカーナビの画面を見ながら言うと、諒くんは笑顔をひきつらせて、
「いや、そんなはず……ないよ。カーナビが間違ってるんじゃない?」
カーナビが間違えるなんてこと、あるかしら。
****
……不覚。
僕は車の運転は得意だけど、実は少しだけ方向音痴なんだ。
だから、カーナビも最新の結構いい機種を装備してるんだけど。
まさか、漢字が読めなくてインターチェンジを降り損ねるだなんて……かっこ悪過ぎるでしょ。
なんとか次の岡崎インターで高速を降りる。
と、彼女が突然、
「ふっ……ふふっ……あはははっ」
いつも無愛想な彼女にしては珍しく、声を上げて笑い出した。
「え、なに……どうしたの?」
漢字が読めずに道を間違えた僕をバカにして……?
「いや、だって……諒くんがさっき言ってた『名古屋城のシャチホコの中身がエビフライでできてる』って噂、確かめるために名古屋まで行く気になったから、カーナビの指示通りに降りなかったのかなって……思っちゃって……あははははっ」
……そこですかっ?
「漢字が読めなかったのを笑ってるわけじゃ……」
「うーん……地名ってホントに読めないことってあるわよね。私は愛知県民だから『音羽蒲郡』って知ってるけど、そうじゃなければきっと読めないと思うわ」
腕組みをしながら、彼女はうんうんと頷く。
頷きながらも、笑いが収まる気配がない。
どうやら、僕の発言がツボにはまったらしい。
そうか。名古屋、か。
Hinataのライブとか仕事で行ったことはもちろんあるけど、プライベートではたぶん行ってないかな。
「名古屋城って、中に入れるの?」
「入れるわよ。いろんなものが展示してあって、一番上の階は展望室になってるの」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、今度確かめに行こうよ」
「……何を?」
「だから、シャチホコの中身がエビフライかどうか」
僕が言うと、彼女は少し呆れた顔で、
「さすがに屋根の上までは上れないわよ。無理やり上ったら捕まって新聞に載っちゃうわよ」
いや、そんな真面目に返されても……。
『いつか貴女の地元に、二人で一緒に行きたい――』
そういう意味で言ってるつもりなんだけど。
この様子じゃぁ、全然伝わってないよね。
赤信号で車を止めて、目を閉じて助手席の方へと手を伸ばす。
今日もいつもと変わりない、強い純白の光。
梅雨も明けて夏本番だというのに、この光から連想するのは、やっぱり雪だ。
目を開けると、彼女は怪訝な表情で僕を見ている。
決して『綺麗』とか『可愛い』とかいう言葉がお世辞にも似合うとは言えない顔だけど。
多分きっと、この先ずっと、彼女のこの顔を見続けていくんだろうな……と、漠然とだけど思ってる。
僕がそんなふうに思ってるなんて、彼女は頭の片隅にも考えてないんだろうけど。