06 『お姉さん思いの弟さん』

 小学生のとき、授業で地域のあれこれを勉強するじゃない。
 全国的にはマイナーな、地域密着型の戦国武将の話だったり。
 ちょっと大きめな地元企業の工場見学なんかしたりして。
 ちなみに、私の地元である名古屋は、『県』じゃなくて『市』なのよ。
 愛知県、名古屋市。
 ときどき『名古屋県』なんて真面目に言ってる人を見かけるからびっくりするわ。

 そんな名古屋市を擁する愛知県には、いくつか島が存在してるんだけど、観光名所になってる代表的な島は三つ。
 日間賀島、篠島、そして佐久島。
 どの島もタコやフグなんかが美味しくて、名古屋から日帰りでも行けちゃうし、ゆったりとした時間を過ごしたい人にはぴったりなんだけど。
 私としてはとりわけ佐久島をお勧めしたい。

 どうしてこんな話をし始めたかっていうとね。
 連れてこられたのよ、その佐久島に。
 東京から遠路はるばる諒くんが私を連れ出した先が、偶然にも私の地元近くに浮かぶ佐久島だったわけ。

「この島、信号もコンビニもないんだって」

 連絡船から降り立った諒くんが言う。
 愛知県民だった私よりも情報通だ。

 そんな諒くんに促されるまま連れて行かれたのは、目の前に海が広がる小さな民宿。

「こんにちは。先日連絡した、東京の高橋ですけど」

 奥から出てきたおかみさんに、諒くんが挨拶する。
 と、おかみさんは顔をほころばせて、

「遠いところからいらっしゃい。お二階にお部屋ご用意してありますから、ご案内しますね」

 ……え?
『お部屋ご用意してあります』?

「ねぇ、諒くん。これって一体どういう……?」

 まったく状況が飲み込めない。

「ほら、もうお昼過ぎてるでしょ。このくらいの時間に着くんじゃないかなと思って、昼食をここで食べさせてもらえるように前もってお願いしておいたんだ」

 ね、おかみさん? と、諒くんは笑顔をおかみさんに向ける。

「あー……えぇ、そうなんですよ。おいしいお料理をご用意しましたので、ゆっくりしていってくださ……あら?」

 おかみさんはじっと私の顔を見つめて、

「もしかして……あのお笑い芸人の、道坂靖子みちさか やすこさん……ですか?」
「えぇ、そうですけど」

 地味な顔立ちの割には、すぐバレる。
 眼鏡の印象が強いのかしらね。
 いつものことだから、別にいいけど。

「まぁ! ウチの民宿に芸能人の方がいらっしゃるなんて! 旅番組みたいなロケは何度かありますけど、プライベートでは初めてじゃないかしら」
「はぁ……」
「もし、ご迷惑でなければ、あとでサインいただいても……?」
「えぇ……まぁ、構いませんけど」

 芸能人なら私の隣にもう一人いますけど。
 しかもスーパーアイドルが。

「弟さんとご旅行なんて、ご家族の仲がよろしいんですね。うらやましいわぁ」
「え?」

 なんのことやら。

「最初は親も一緒にって計画してたんですけど、休みが合うのが僕たちだけだったので」

 と、私の背後から諒くんが返す。
 ……いやいや、ちょっと待ってよ。

「ご予約は『高橋』さんでお受けしましたけど、じゃあ『道坂』さんは芸名……?」
「いえ、本名なんですけど、ほら、『道坂』ってそんなによくある名前じゃないから……姉もこういうお仕事してますし、一応、偽名にしておこうかなって……すみません」
「あらあら、うちは全然構わないですけど。お姉さん思いの弟さんでいいですねぇ。……あ、こちらがお部屋になりますので」

 おかみさんは一礼して、いま上ってきた階段を下りていく。

 ……だから、どういう話になってるのよ。
 困惑している私に、諒くんは笑いをこらえながら、

「『お姉さん思いの弟さん』だって、お姉ちゃん」

 っていうか、姉弟じゃないから。

「あー、おいしかったっ」

 座卓いっぱいに用意された昼食を平らげた諒くんは腕を高く上げて、満足そうにうんっと伸びをした。

 確かに、おいしかった。
 アサリや魚の煮付けにフライと、新鮮な海の幸が満載で、量だって二人分とは思えないくらいボリュームたっぷり。
 にもかかわらず、諒くんは白飯をどんぶり三杯も食べた。
 それに加えて、私が食べきれなかった分も、きれいにしっかりと胃に収めてしまった。
 普段からよく食べるコだなぁ……とは思ってたけど、今日はまた格別にお腹が空いていたらしい。
 中肉中背な感じの諒くんの身体の、どこに入っていくんだろう?

「さて、お腹もいっぱいになったことだし」

 と、満腹になった諒くん。
 外に出て散策でもしようと提案するのかと思いきや。
 なんと座布団を枕にして、ごろんと寝転がってしまった。

「……諒くん? 何してるの?」
「ん? うん、ちょっと休憩」
「休憩って……海を見に行ったりしないの?」

 この民宿の目の前は海水浴場だ。
 さっき昼食の用意をしに来てくれたおかみさんから、泳ぐなら民宿の一階にあるシャワーを使わせてもらえると聞いた。
 いまも窓から砂浜が見えるけど、平日とはいえ、学校は夏休みも始まっているこの時期に、観光客が海水浴を楽しんでる様子はない。
 せいぜい、時折歩いている人を見かけるくらい。

 どこへ行っても注目されてしまうスーパーアイドルが人目を気にせず思いっきり泳ぐには、絶好の場所だと思うし。
 なんなら、それが目当てでわざわざこの佐久島まで来たのかしらって、昼食を頂きながら勝手に納得していたんだけど。

「んー……日差しが強いし。ほら、僕、一応アイドルだし。職業柄、あんまり日焼けしたくないんだよね……」
「じゃあ佐久島まで何しに来たの?」
「……ん? ……んー……」
「まさか、この昼食を食べるためだけってわけじゃないんでしょう?」
「…………んー……」
「泳ぎに来たんじゃないなら、釣り? 釣り道具一式借りられるって、おかみさん言ってたわよね」
「……………………」
「……ちょっと、諒くん? 聞いてる?」
「………………………………」

 ……返事がない。
 まさか……まさかとは思うけど。

 私、座卓の向こう側で寝転がる諒くんの顔を、そっとのぞき込んだ。

 ……寝てる。
 それはもう、気持ちよさそうに寝息を立てて。

 ちょっと待ってよ。
 このコが寝てる間、私はいったい何をしてればいいのよ?

 このまま諒くんを寝かせておいて、海水浴に行ったっていいけど、行き先も知らされずに来たものだから、水着も何も持ってない。
 釣りにしたって、道具が借りられるっていっても、やり方も分からないし。
 そもそも、海ってそんなに積極的に好きなわけじゃないのよね……嫌いなわけでもないけど。

 これはもう……いっそ開き直るしかない。

 私は眼鏡を外して、諒くんと同じように座布団を枕代わりにごろんと横になった。

 諒くんの隣で(いや、そこしかちょうどいい場所がなかったのよ。ほんとに)。

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