07 寝顔を見ながら思い出すのは

 私は視力が悪い。
 視力検査の一番上の大きな『C』が見えない。
 どの向きに空いてるのかが見えないんじゃなくて、『C』のマークそのものが見えない。

 そんな私の裸眼でもくっきり見える位置に、諒くんの顔がある。

 目鼻立ちはハッキリしてるんだけど、『彫りが深い』の一歩手前って感じ。
 個人的にはもう少し彫りが深いくらいの方が好みなんだけど、たぶん、日本人女性の大半が好む顔ってこういう顔なんじゃないかしら。
 ……まぁ、だから『アイドル』として大人気なんだろうとは思うけど。

 ほんとにまぁ……キレイな顔よねぇ。
 同じ『人間』ってカテゴリに属してるとは思えない。
 この顔が、ブサイクでモテないお笑い芸人の私にキスしたっていうんだから。
 よく分からない世の中になったもんだわ。

 仕事以外でキスをしたのは、あれが初めてだった。
 正直に言うとね、あれからしばらくの間、浮かれちゃってたのよ私。
 だって、34歳にして、いわゆるファーストキスだ。
 諒くんも『ドッキリなんかじゃないから』って言ってたし。
 浮かれない方がおかしいじゃない。ねぇ。
 で、何人かの親しい芸人仲間に、その事実をべらべらとしゃべっちゃったんだけど。
 まぁー、誰一人として信じてくれなかったわ。
『とうとう現実と妄想の区別がつかなくなったの?』とまで言われる始末だ。

 間違いなく現実に起きたことだってことは、ちゃんと分かってるわよ、私は。

 全力疾走した後の、乱れた呼吸。
 額にうっすらと浮かぶ汗。
 私の頭に触れたときに見せた、なぜだか少しホッとしたような諒くんの表情。
 二ヶ月ほど経ったいまも、リアルに思い出せる。

 ……だけどね、分からないのよ。
 何が? って、そりゃ、諒くんが私にキスをした理由が。
『ドッキリである』という、最も自然な答えを、諒くんはハッキリと否定した。
 じゃあ、いったいどんな理由が? って思うじゃない。

 結局、あんまり深く考えない方がいいのかもしれない。

 だって、諒くんってちょっと変わってるもの。
 わざわざ人を早起きさせてまで、東京から離れたこの小さな島まで来ておいて、こうしてぐーすか寝ちゃうような人だもの。
 諒くんの頭の中は、普通の人とは構造や配線が違うのよ……きっと。

 半ば強引に納得して、再び諒くんの顔を見つめた。

 諒くんの寝顔を見るのは、これが二度目だ。
 前回は確か、一年くらい前。

 バラエティー番組収録の後、うっかり足を滑らせて、氷の浮かぶ冷たいプールに落ちてしまったことがある。
 そのとき、たまたまゲストで来ていた諒くんが、これまた偶然にも私の側にいて、運悪く道連れにしちゃったみたいなのね。
 そしたら、諒くんがあっという間に高熱でダウンしちゃって。
 諒くんの所属する事務所の偉い人から、めちゃくちゃ怒られたわ。
 このあと、ものすごく大きな仕事が控えてたんですって。
 申し訳ないことをしたなって思ったわ。
 もちろん、故意にしたわけじゃないけど。
 
 医務室のベッドで、諒くんは苦しそうにしてた。
 そんな諒くんを、そのときの私はただ見ていることしかできなかったんだけど。
 どういうわけか、諒くんは私の手をむぎゅっと握って、眠ってしまったのよ。
 しかも、そのまま3時間。
 家に帰るどころか、トイレにだって行けなかったわ。
 まぁ、幸い、目を覚ましたときには諒くんの熱はすっかり引いてしまったようなんだけど。

 ……そういえば。
 あのときの諒くん、何か言ってなかったっけ?

 ようやく解放された私は、医務室を後にしようとしているところを諒くんに呼び止められたのよ。
 その辺りは、なんとなく覚えてはいるんだけど。

 何かを約束した気がするの。
 呼び止められて振り返った私に向けて、ベッドの上で身体を起こしたばかりの諒くんが言ったセリフ。
 頷いたことだけは覚えてるのに、肝心な内容が思い出せない。

 頑張って思い出そうと記憶をたどっているうちに、だんだん意識が途切れていく。
 結局、何も思い出せないまま…………。

****

 目が覚めたら、隣で彼女が眠っていた。
 どういうわけか、眉間にシワを寄せながら。

 そっと身体を起こして部屋を見回すと、さっき平らげた昼食のお皿はそのままになっていて、座卓の端には彼女の眼鏡が置かれている。

 ……どうして彼女は、僕のすぐ隣で寝てるんだ?

 彼女も僕と同じように、二つ折りにした座布団を枕にしている。
 お互いの座布団の距離、ゼロセンチ。
 要するに、ぴったりとくっついている。
 しかも、彼女の身体は僕の方に向いていて、まるで僕のことを見ながら眠ってしまったような感じだ。

 ……もしかして、見ていたのだろうか。
 僕のことを。

 と、いうことは、少なくとも僕に興味を持ってくれている、ということだな?
 で、こんな至近距離で眠ってしまっているということは。
『ドッキリかもしれない』という疑いも、もう晴れたと。
 そういうことだよな?

 あぁ、思い切って東京から遠く離れたこの島まで連れてきた甲斐があったというものだ。
 やれやれ……女性を口説くのに、こんなに手こずったのは初めてのことだよ、本当に。

 自分の頑張りを自分で褒めながら、改めて彼女の横に寝転がって、彼女の顔を見つめた。

 初めて見る、彼女の寝顔。
 彼女の顔は、全体的に『地味』だ。
 目、鼻、口……どのパーツを見ても、どれもこれといって特徴がない。
 強いて言うなら、やや『平面的』という感じだろうか。
 ほんの少しメイクで手を加えるだけで、きっと随分と印象が変わるんじゃないかと思う。

 こうして間近でよく見てみると、本当に肌がキレイだ。
 見えている部分がこれだけキレイなら、見えてないところは……あぁ、だめだ。
 このままでは、真っ昼間にもかかわらず、よからぬ事を考えてしまう。

 だって、僕24歳ですよ。
 アイドルなんて仕事してるけど、普段はフツーの男ですよ。

 ちょっとだけ、アイドルのオーラを利用して女のコを口説いてみたり……なんて時期も、正直なくはないけど。
 ここのところ久しく『そういうコト』してないんだよね。
 直近ではいつだったかな。
 あれか。たぶん一年くらい前に女友達と……ん、いや、確かあの時はいろいろあって、結局、最後まではできなかったんだった……なんて話はどうでもいいか。

 ……ん? あぁ、そういえば。
 いま僕の目の前で眠っている彼女と、一緒に氷のプールに落ちてしまったのも、ちょうど同じくらいの時期だったかな。

 もしもあの時。
 一緒にプールに転落していなかったら。
 僕が高熱を出していなかったとしたら。
 きっと僕はまだ、彼女に対して苛立ちと嫌悪感を抱いていたんだろう。

 あの頃は、彼女とまともに会話したこともなかったし。
 彼女の方も、(一応スーパーアイドルの)Hinataの高橋諒である僕にはまったく興味がなかったようだから。

 あの時、僕が突っ走って言ってしまった言葉も。
 彼女の去り際に呼び止めて交わした約束も。
 もしかしたら、一緒にプールに転落したことすらも。

 ……忘れてしまっているんだろうな、彼女は。

 まぁ、今思い返してみるとものすごく恥ずかしいから、できればこの先ずっと思い出してほしくはないけれど。

 とにかく、そんなわけで。
 今の僕は『そういうコト』に少々飢えてる。

 ……少しくらい、いいよな?

 そうだ。彼女がこうして、僕のそばで眠っているということは。
 それはもう、目を覚ました僕が『その気』になってしまっても、『オッケー』ってことだよな?
 いや、むしろ、誘ってる? とか思ってしまう。
 この眉間に寄せてるシワも、見ようによってはある意味色っぽい――。

「ん……うぅん……」

 彼女は眉間のシワをさらに深くして、もぞもぞと身体を動かす。

 起きる……かな?

 様子をうかがっていると、彼女は自分の頭を手でわしゃわしゃっとして、再び眠ってしまった。

 ちょっと……これは、ヤバい。
 彼女がもぞもぞと動いた結果として、僕たちの距離はさらに接近してしまった。
 どのくらい近づいてしまったかというと。
 彼女の額が、僕の首筋に触れるか触れないか。
 いや、もう、ほぼ触れてる。
 この微妙な感じが、どうにもくすぐったい。

 彼女の寝息を、胸に感じる。
 シャツ越しとはいえ、……むしろシャツ越しだからこそ、なのか。
 自分でも何を考えてるのかよく分からない。
 要するに……限界。

「みっちゃん……」

 ……抱きしめるくらい、全然問題ないだろう。
 だって、つき合ってるんだし。

 ……つき合ってるんだよ、な?
『ドッキリ』だっていう誤解は、解いたハズだし。
 こんな近くで無防備に眠ってるし。

 そっと彼女の背中に腕を回す。
 ……と、

「失礼しまーす! お食事終わられたようでしたら、お皿の方下げさせていただきま……」
「――――!!」

 突然の、女将さんの登場。
 見てはいけないものを見てしまったような、女将さんの視線が刺さる。

 ……マズいところを見られた。
 これはヤバい!

 とっさに彼女から離れようとして、
 ――――ゴスッ!!

「――――!?」

 座卓の天板に後頭部を強打してしまった。
 思わず呻いているんだか叫んでいるんだか分からないような声を上げながら、頭を抱える。

 何を焦ってるんだ。落ち着け。
 まずは女将さんの誤解を解こう。
 なぜならば、いまの僕たちの関係は『姉弟』ということになっている。
 せめてそこだけは訂正しなければ!
 と、腹をくくったところで、

「んん……なによ、うるっさいわね……」

 ――どうしてこの最悪な状況、最悪なタイミングで起きるかな、この人は!?

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