09 カレシいない歴と仕事用コメント

 民宿の前の道を少し歩いて行くと、すぐに海水浴場に出られる。
 この島にたどり着いたときには強かった日差しも、二人して眠っている間に随分落ち着いて、『夕方』と呼べる時間になってしまった。
 砂浜へと続く道路を歩く諒くんの背中を見ながら、私はこの数ヶ月のことを考えていた。

 諒くんが私を食事やお茶に誘ってくれるのも。
 諒くんが街中でいきなり私にキスをしたのも。
『ドッキリ』じゃない(……と、諒くんは言っている)。

 諒くんにとって、とっても貴重なハズの、この五日間のオフ。
 諒くんが私のスケジュールを確認してきたのは、一ヶ月も前のことだ。
 私が、『五日間のうちの最初と最後の日は仕事』と連絡した後。
 返ってきたのは、『その三日間は空けておいてください』というメール。

 昨日は私の部屋で、二人で一緒にプリンを食べて。
 今日は諒くんの運転で、二人でこの小さな島へとやってきて。
 そして、さっき……二度目のキスをされてしまった。

『もしかしたら』――。

 この数ヶ月、まったく考えなかったわけじゃない。
 でも、そんなこと、絶対にあり得ないって……思ってた。
 思ってた、けど……。

「おっ、いたいた。ねぇ、見て、みっちゃん。カニがいるよ!」

 道路を横断しようとしていた小ぶりのカニを見つけて、諒くんは足を止めた。

「捕まえてやるっ。……あ、くそっ……意外と足が速いなぁ」

 諒くんは道路に座り込んで、カニと格闘。
 車はめったに通らないから、危なくはないんだけどね。
 まるで、夏休みの宿題のことなんてすっかり忘れてはしゃいている、小学生の男の子みたい。

 ちょっとセクシーで、大人っぽくて、どちらかというと物静かなイメージの『Hinataの高橋諒』とは、違う。

『もしかしたら、諒くんは私のことを好きでいてくれてるのかもしれない』

 あり得ないと思ってたけど。
 あり得ることなのかもしれない。
 こんな私の、どこを、どんな風に気に入ってもらえてるのか、いまいちよく分からないけど。

 だって、やっぱり諒くんだもの。
 普通の人とは頭の中の構造や配線が違う、諒くんだもの。
 だから、こんな私のことでも――。

「おりゃっ! 捕まえたっ! カニ、ゲット!!」

 カニのハサミの付け根部分をしっかりと持って、諒くんは満足げな表情を見せた。
 ほんと、子どもみたい。

「なに? みっちゃん」
「え?」
「なんで、そんな変な顔してるの?」
「なっ……変な顔で悪かったわねっ」
「いや、そういう意味じゃなくて……そう、『苦笑い』っていうの?」
「……そんな顔してた?」
「してた。あ、わかった。僕のこと『子どもみたい』って思ってたでしょ?」
「そうよ。だって、カニ捕まえて喜ぶなんて、ほんとに子どもみたいじゃない」
「あぁ、そうだね。みっちゃんから見ると『子ども』だよね。僕はまだ若いから」

 ――なんですって!?

 真顔で言う諒くんに思いっきり不機嫌な顔を見せると、諒くんはクスッと笑った。
 私、ただ単純にからかわれてるだけなのかしら……。
 諒くんはカニを道路の端に解放してやると、目の前に広がる砂浜を眺めた。

「これだけ人がいないとさ、はしゃぎたくなるでしょ?」

 そう言うと、ダダダッと走って……えっ!?

 タンッ! ひょいっ! とんっ!
 鮮やかにアクロバティックな動き。
 アスファルトに手をついて逆立ち状態になったところで、ズボンのポケットから……ガシャン!

「わっ、落としたっ」

 言いながら、スタンッ! と、キレイに着地。

「えっ、えっ、今のなに?」
「ロンダートからのバク転」
「こんな固い地面でやって平気? 手の平とか痛くないの!?」
「痛いけど、割と大丈夫」

 諒くんは手の平をパンッと払って、バク転の途中で落とした物を拾った。

「あぁ、少し傷がついてる……仕方ないか」

 ライターだった。
 手の平の上で夕陽を眩しく反射している、紺色のライターを見つめる諒くんは、どこか少し寂しげな表情。

「そのライター、高かったの?」
「これ? いや、もらったんだよ」
「……カノジョから、とか?」

 恐る恐る聞いてみた。
 だって、とても大切そうにライターを見つめてたから。
 やっぱり、私のことなんて……と思っていたら、諒くんは呆れたような顔を見せた後、すぐに笑って、

「そう。……ただし、『昔の』だけどね」
「昔のカノジョ?」
「うん。聖徳太子くらい昔の話」
「意味分からないんだけど」
「それくらい、僕の歴史の中では昔ってことだよ」

 分かったような、分からないような。

「ふぅん。諒くんの歴史年表には、さぞかしたくさんの女の人の名前が書いてあるんでしょうね」
「そうでもないよ。そりゃ、何人かはあるけど。でも、みっちゃんの歴史年表にだって一人や二人くらいは男の人の名前書いてあるでしょう?」

 本気でそう考えているのかしら。
 それとも、ただの社交辞令的なものなのか。

「書いてあるわけないでしょう? 私、産まれてから今までカレシがいたことなんてないんだから」

 私が言うと、諒くんはしばらく無言でじっと私の顔を見つめた。
 アゴに手を当てて、なにやら真剣に考えてる様子。
 そんなに悩ませるようなこと言ったかしら、と思っていたら、諒くんは言葉を選ぶような感じで口を開いた。

「みっちゃん……それ、仕事用のコメントじゃないの?」

*****

「――私、産まれてから今までカレシがいたことなんてないんだから」

 眉間にシワを寄せて、彼女は僕の問いに答えた。
 今までカレシがいたことがない、と。

 この期に及んで、まだ僕のことを『カレシ』だと認識していないってことに関しては、彼女の鈍さ加減はもう理解したから、この際置いておくとして。

 確かに彼女は『モテない芸人』というのがある意味『売り』だし。
 どれだけひいき目に見たって、『プライベートでは実はモテまくってます』という感じには見えない。
 だけど、(普段はオーラがないとはいえ)アイドルの僕を適当にあしらう様子は、過去にちゃんと『質のいい恋愛』の経験があるからだと思ってた。
 だからこそ、僕のことを『アイドル』としてじゃなく、ただの『普通の男』として見てくれてるんだろうな、と……思ってたんだけど。

「みっちゃん……それ、仕事用のコメントじゃないの?」
「ど、どういう意味よ」
「だから、その……『モテないキャラ』を演出するための」

 僕の言葉が予想外だったのか、彼女は眉間のシワをさらに深くして、

「そんな演出して、何の得があるっていうのよ。もしカレシができるようなことがあったら、私、みんなにしゃべりまくって自慢……」

 そこまで言って、彼女は急に口をつぐんでうつむいてしまった。

「……みっちゃん、どうかした?」

 僕の問いに、彼女はうつむいたままかぶりを振った。
 まるで、頭の中にあるものを強く振り払って追い出すみたいに。

「なんでもない。とにかく、そんな演出するまでもなく、ほんとにモテないのよ。だって、私、その……キスだって、仕事でしかしたことないの」
「仕事?」
「そう。観たことない? バラエティーでは私とキスするのは罰ゲームなのよ。この間なんて、『プラタナス』の……名前なんだっけ。関西で人気のコなんだけど、仕事だっていうのに完全拒否されたわ。『絶対にできません!』って」

 ほんと、失礼しちゃうわよね、と、ふて腐れたような顔で彼女が言った。
『罰ゲーム』……か。

「僕は罰ゲームを受けてるつもりはなかったんだけど」

 僕が言うと、彼女はきょとんとした表情で僕を見た。

「したでしょ? 2回も」

 言いながら、僕は自分の唇に、人差し指を軽く当てる。
 それを見た彼女は、しばらく硬直。
 やがて、まるで茹でダコのように顔を紅潮させた。

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