砂浜へと続く石段に、彼女と並んで腰を下ろす。
僕の何気ない世間話に時折相づちは打つけれど、まともに僕の顔を見られないのか、彼女はほとんど俯いたままだ。
ようやく、僕の気持ちを分かってくれたらしい。
彼女のことが好きだから、2回もキスしたんだってこと。
さっき彼女が言っていたことが本当なら、僕が初めてのカレシってことになるから、緊張して無口になってしまうのは無理もない。
なんだか中学生の恋愛のようだけど、それもまぁ悪くない。
妙に納得した僕は、無意識にズボンのポケットから取り出したタバコを咥えた。
すると突然、彼女の表情が険しくなる。
「諒くん、タバコ……吸うの?」
眉間のシワが、過去最大級に深い。
「……吸うけど」
「し、知らなかった。諒くん、一緒にご飯食べに行ったときだって一度もタバコ吸ってるとこ見たことなかったから……」
みるみる表情が沈んでいく。
今の今まで僕に対して持ち始めてくれていた熱が、急速に冷めていくのが空気で分かる。
「あ……えっ、もしかして、タバコ苦手?」
「苦手っていうか……大嫌い」
僕に向けて放った言葉のように感じた。
どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
***
私が子どもの頃の話だ。
祖父が仕事中に事故に遭った。
詳しくは聞かされてないけど、何かが刺さって、肺に穴が開いたらしい。
すぐに病院に搬送されて、命に別状はなかったけど、手術をしてくれた医師が言ってた。
おじいちゃんの肺が真っ黒でした、って。
資料写真も見せてもらった。
喫煙者の肺って、ほんとに真っ黒なのね。
きれいな肺と全然違うの。
子どもながらに、タバコって怖いと思った。
でも、それはまだ私のタバコ嫌いの入り口でしかなかった。
私と一緒に医師からの話を聞いた祖母は、親戚中に『禁煙命令』を出した。
タバコを吸う人は家の敷居をまたがせない、と。
私の父も喫煙者だった。
お正月に、親戚一同が集まる。
父はそのときだけは、タバコは吸わないようにしてた。
だけど、どうにも我慢できなくなっちゃったんでしょうね。
隠れて外で吸ってるところを見つかっちゃって。
祖母は自分の娘である私の母の制止も聞かずに、勝手に父に離婚届を突きつけたりして。
そんな『すったもんだ』を何度も繰り返した。
お正月が来るたびに、タバコのせいで離婚話。
子どもの私からしたら、ほんと、迷惑な話だったのよ。
タバコのことさえなければ、みんなで食事して、お年玉もらって……楽しいお正月なはずなのに。
「タバコを吸う人を否定するつもりはないし、親しい人に喫煙者もたくさんいる。目の前で断りもなく吸われたって平気。けれど――」
『けれど――』?
その先に続く言葉が見つからなかった。
そもそも他人が吸っていても平気なのに、どうして諒くんがタバコを咥えたところを見ただけで拒絶反応だなんて。
困惑していると、それまで黙って私の話を聞いていた諒くんは、穏やかに笑って、
「……みっちゃん」
「な、なに?」
私の手を取ると、その手の平にさっき落とした紺色のライターを乗せた。
「これ、預かって」
「え?」
「タバコ、吸わないから」
「……禁煙するってこと?」
「そういうこと」
「そんな簡単に禁煙できるものなの?」
「みっちゃんの顔を見てたら、吸う気がなくなる」
「な……どういう意味よ」
「いま話してくれたこと、思い出すから。肺が真っ黒になるんでしょう? 想像したら、吸う気なくした」
言いながら諒くんは苦笑いして、
「……まぁ、僕の場合、もう手遅れかもしれないけど」
「何言ってるのよ。諒くん、まだ若いじゃない。そんなに長年吸ってるってわけでもないんでしょう? 大丈夫よ」
私の言葉に、諒くんはなぜか曖昧に笑う。
「とにかく、もう吸わないから。だから、そのライターはみっちゃんが預かってて」
「で、でも、大切なものなんでしょう?」
「うん。なくさないでね。もし、また吸いたくなったら、返してもらうから」
「……それ、ほんとに禁煙する気あるの?」
私が諒くんに疑問を投げかけると、諒くんは私の頭の上に手を伸ばして、
――ぽんっ。ぐしゃぐしゃっ。
「大丈夫だよ。吸いたくなる日なんて来ない。……絶対に」
「どこからくるのよ、その自信は」
諒くんは答えずにフッと笑うと、ゆっくりと立ち上がって、私の顔の前に手を差し出した。
「……そろそろ戻ろうか?」
時計で時間を確認すると、既に午後6時近い。
「そうね。今からなら、今日中に東京に戻れるわよね」
「いや、それ、無理だし」
「……は?」
私、石段に座り込んだまま諒くんを見上げた。
「無理って、どういうこと?」
「船、もう出てないよ」
「船?」
もしかして、この島に渡ってくるときに乗った連絡船のこと?
……ということは、今日はもう、この島から出られないってこと!?
「民宿に戻って、晩ご飯食べようよ。僕、お腹空いた」
「な、何をのんきなこと言ってるのよ?」
「だって、僕、まだタコ食べてないし」
「はぁっ? タコ?」
「今日はこの佐久島に、アサリとタコを食べに来たんだよ。アサリはお昼に食べたけど、タコはなかったでしょ?」
「そ、そういう問題じゃなくて。もっと慌てたりするもんでしょう。東京に帰れないのよ?」
「僕は別に構わないけど」
「な、何言って……」
「せっかくだから、泊まっていこうよ。みっちゃん、明日もオフなんでしょう?」
「そ、そうだけどっ。でも、泊まっていくって言ったって、急にそんな……」
「嫌なの?」
「え? 何が?」
「だから、僕と一緒に、この島に泊まっていくの」
諒くんは石段に座ったままの私をまっすぐ見つめる。
『嫌なの?』
その問いに答えるとするなら。
『嫌じゃない』
でも。だけど……。
私が答えられないでいると、諒くんはため息をついて、私の腕を掴んで引っ張って立たせた。
「みっちゃん、どうあがいても、今日はもう帰れないんだ。そろそろ覚悟を決めてよ」
言いながら諒くんは、私の手を握って。
その手を引いて、石段を上り始めた。
さっきこの砂浜まで歩いてきた道を、戻っていく。
ねぇ……ちょっと待ってよ。
『覚悟を決めて』って……何?
いったい、どういうことなのよ!?