女将さんが作ってくれた軽いおつまみを、座卓に並べて。
ビールの大瓶が、『とりあえず』5本。
膝を崩して座る諒くんは、私のグラスが空くたび、すかさずビール瓶を手に取って注いでくれる。
そのついでに自分のグラスにも同じようにビールを注ぐものだから、私がお酌する機会を与えてはくれない。
会話の内容は、ほんとにたわいもないことばかりなんだけど。
視界の端に入るのは、ほんのわずかな隙間を空けて並べて敷かれている、二組の布団。
ひょっとして、もしかして……なんて。
思っちゃったりするじゃない、どうしたって。
『諒くんもお風呂入ってきたら?』なんて、言ってみようかと思ったりもしたけど。
そんなのまるでこちらからお誘いしてるようで、とてもじゃないけど言えっこない。
ただひたすら平静を装って、会話を続けながら。
諒くんがビール瓶の栓を抜く姿を眺めて。
あれ、いつの間に……3本目?
私、お酒を飲めないこともないんだけど。
いつもは、一緒に飲みに行くことの多い『しぐパラ』のメンバーやマネージャーが。
だいたい、ほろ酔いになったころにストップをかけてくれるから。
こんなにハイペースで……大量に……飲むのは。
もう……何年ぶり……って感じ……で。
あぁ……でも、ちょっと……待って。
もしも……もしもなんだけど。
今夜このあと。
『ひょっとして、もしかして……』なんて展開に……なるのであれば。
『(34歳にして)初めての経験』が……『泥酔して記憶にない』……だなんて……。
そんな……無残なのだけは……嫌よ……。
****
僕が4本目のビール瓶の栓を抜こうとしたところだった。
会話が途切れ始めたと思ったら、彼女は僕の身体にもたれて眠ってしまった。
――作戦成功。
僕は彼女を起こさないように注意しながら、彼女の顔から眼鏡をそっと抜き取って、自分のグラスの横に置いた。
一緒にお茶をして、食事して、……キスをして。
僕にとっては、今まで何人かの女性ともしてきた、取るに足らないことだけど。
恋愛経験のない彼女にとっては、周りに自慢したくなるくらい、大きな出来事。
僕とのことを周りに話すのは、僕は全然構わない。
だけど、それを周りが信じてくれなくて、結果として彼女が傷ついてしまうのは、僕としても本意じゃない。
だから僕は、決めたんだ。
世間の人々が認めるまでは。
お笑い芸人である道坂靖子と、アイドルである高橋諒が、付き合っていても全然おかしくないと認めるまでは。
僕たちの関係を先には進めない、……って。
すぐには無理かもしれない。
数年単位の長期戦になるかもしれない。
だけど、いつかは。
僕の方から、『この人と付き合ってます』って公表して、みんなに理解してもらえる日が来ると思う。
彼女が言っても周りが信じないのなら、僕が信じさせればいい。
だから、それまで――。
酔い潰れて眠る彼女の髪を、そっとなでた。
……ちょっと、申し訳ないことをしたかもしれない。
強引に酒を飲ませて、眠らせてしまうなんて。
他に方法が思いつかなかったんだ。
二人で一晩過ごすことに対して、彼女は明らかに動揺してた。
もちろん、そうして意識してくれるようになったのは、こちらとしては願ったり叶ったりのはずだったんだけどね、本来は。
それなのに、何もしないなんてのも不自然でしょう?
正直、こっちだってこの状況下で我慢するってキツいですよ。
ほんの数十分前までは、がっつり『その気』だったんだから。
自分で勝手に決めたことだと言われてしまえば、確かにその通りなんだけど。
「……さぁてと。風呂でも行ってこようかな」
このまま彼女と密着していては、せっかく眠らせたにも関わらず、どこまで理性が保つか分からない。
僕は彼女を抱きかかえて、布団に寝かせた。
未練がましく彼女の額にそっとキスして、静かにその場を離れる。
……つもりだった。
眠っているはずの彼女の腕が、僕の首に絡みつく。
えっ、起きてるっ!?
「……わらしをおいてぇ、ろこ行くのぉ?」
眼はとろんとしているし、ろれつも回っていない。
「ちょ……み、みっちゃん。とりあえず、放して……」
「いーやーよ。さみしぃんらからぁ。ろっかいっちゃわないれよぉ……」
「ちょっと風呂行ってくるだけだから……わっ」
ぐいっと引き寄せられて、バランスを崩す。
こともあろうに、彼女の身体に覆い被さる形になってしまった。
これは明らかに、作戦失敗!?
「諒くんはぁ……なんれぇ……わらしを、お茶とかぁ、食事とかぁ、……誘うのぉ?」
「え? あぁ……うん。何でだろうね?」
「もおぉおっ! ちゃぁんと答えなしゃいっ!」
ペちっ! っと。
両手で頬を叩いて挟まれる。
そういえば。
さっき酔い潰れる前、彼女はこんなことを呟いてた。
いつもは、一緒に飲みに行くことの多い『しぐパラ』のメンバーやマネージャーが、だいたい、ほろ酔いになったころにストップをかけてくれる……って。
……こういうことか。
酔っ払うと、面倒くさく絡んでくるタイプ。
知っていたなら、もう少し加減したのに……。
「みっちゃん、放して。放してくれないなら、せめて起きてよ」
「放さなーい。ずえぇったい、放さないわよぉーっ」
さらに、ぎゅううっ……としがみつかれてしまった。
仕方なく彼女を抱き起こして、向かい合って座らせる。
「みっちゃん、飲み過ぎなんだよ」
「なぁによっ。飲ませたのは諒くんれしょぉ? こんなに飲ませて、何するつもりよぉ」
いやいや、『何もしない』ために、飲ませたんですが。
「もしかひて、わらし、酔ってるうぅ? なぁんか、全然……見えないんらけど……」
「確かにものすごーく酔ってるけど、見えてないのは眼鏡を掛けてないからだよ」
「諒くんのぉ……顔もぉ……よく見えなぁい……」
言いながら彼女は僕に顔を近づけて……わわっ、近い近い!
思わず仰け反って……どすんっ!
そのまま、後ろへと倒れ込んでしまった。
近づいてきた彼女と一緒に。
敷き布団の上で、彼女から顔をのぞき込まれる。
その視点はどうにも定まってない。
さっきからのどたばたで、浴衣が少し崩れてしまっている。
見えそう……で、……見えない。
ちょっとだけ位置をずらせば見え……いやいや、待て待て待てっ!!
だっ……駄目だ。
このままでは、僕の決意も音を立てて崩れてしまうっ!
「お、お願いだから、どいてくれる?」
「諒くんはぁ……なんれ、わらしなんかに、キスなんてするのぉ?」
「………………は、はいぃ?」
「なんれ、わらしにキスするの? って、聞いてんのぉー。諒くんは若いからぁ……きっと、友だちくらいにしか思ってなくてもぉ……ほいほいキスしちゃうんれしょぉ?」
「そ、そんなわけないでしょう? そりゃあ、僕は若いけどさぁ。す、好きでもない人にはしないよ」
「じゃあ……わらしはぁ? わらしには、なんれキスするのぉ?」
「だ、だから、つまり……そ、そういうことだよ」
「どーいうことよぉ?」
「……だからっ!」
――もう、この酔っ払いっ!
「みっちゃんのことが、す……好きだからに、決まってるでしょうっ? それくらい、言わなくても分かってよ。っていうか、分かったら早くどいてっ!」
「…………………………」
「……? みっちゃん?」
「………………ぐぉっ……ぐごごごっ……」
こ、このタイミングで寝るかっ!?
自分の身体に彼女の身体の重みを感じながら。
僕は、自分の作戦ミスを激しく悔やんでいた。
はぁぁ……こんなことなら、酒なんか飲ませるんじゃなかった。